メフィストフェレスの花火


「アシュラ? アシュラ!」

「はいはいはい、ここです、ここです」

「どこへ行ってた?」

「いえね、ちょっと……」

「お前、何を握ってる?」


「こっ、これはっ!」

握った手を使い魔は慌てて後ろへ隠した。


「隠すな。怪しい。なんだ、それは。見せろ!」


 フランソワが、指をぱちんと鳴らすと、アシュラの両手が、本人の意思に逆らって、前に出てきた。

 必死の形相で、使い魔は手を握りしめる。しかし、魔王の力には、勝てなかった。

 ゆるゆると指が開いた。


 フランソワは、顔を顰めた。


「……髪の毛じゃないか!」

「あなたのです」

「何だって!?」


 金色の美しい髪には、毛根がついてた。


「ひどいな。引っこ抜いてきたな!」

「あなたが急かすからです。他の人達は、はさみで切り取ってました」

「他の人達だって?!」

「みんな、持って行くんですよう! だから、俺も……」

「髪の毛なんて、どうするつもりだ?」

「決まってます! 記念にするんです!」

「そういえば、お前は、昔から、この髪に執着していたな。……初めて会った日から」(※1)


 力の抜けた声で、フランソワがつぶやいた。

 奮然と、アシュラが返す。

「俺だけじゃない! みんな、欲しがってます!」


 亡骸は、2日間、シェーンブルン宮殿の漆の間(プリンスの寝室に隣接)に、留め置かれた。

 オーストリア将校の白い制服に着替えた彼は、黒い布で覆われた机の上に横たわっていた。周囲を、12の燭台が取り囲んでいる。


 忍びやかに、足音を忍ばせ、宮廷の人々が集まってきた。彼らは、悲しみにくれながら、形見分けのように、金色の巻毛を切り取っていくのだと、アシュラは話した。



「それで、フォレスチ先生が帽子を被せたんですけど、遅すぎたようです。今、あなたの頭には、殆ど、髪の毛がありません」

「悪趣味な!」


 吐き捨てるように、フランソワはつぶやいた。

 アシュラはむくれた。


「そうそう、先生方ね、デスマスクを作ってきた業者に、作り直しを命じてましたよ。ああでもない、こうでもないって、山のような注文をつけて」

「デスマスク?」

「ちっともあなたらしくないからって。美しさが、圧倒的に足りてないそうです」

「……」

「みんな、あなたが、大好きだったんです。あ、御覧なさい! 葬列です!」



 暗く、曇った晩だった。

 シェーンブルンの前庭は、隅々まで、松明の光で照らし出されていた。たくさんの人が集まってくる。


 対象的に、宮殿は、静まり返っていた。


 馬の嘶きが聞こえた。

 葬列が、行軍を開始した。側面に騎兵が配され、松明の光で行路を照らし出している。

 葬列は、ウィーンの宮廷教会に向かっていた。2日間の、市民とのお別れの為に。







 「こりゃまた、たくさんの人が集まってきましたねえ。ウィーン中の人が来てるんじゃないですか?」


 宮廷教会の上空に浮かび、使い魔が感心している。


「この後、宮廷教会から、カプツィーナ礼拝堂ハプスブルク家の墓所までは、ハンガリー第60連隊が護衛につくそうですよ? 見ていきますか?」

「いや、いい」


「でもあなた、葬列が大好きだったじゃないですか。先駆けの鼓笛隊が来ると、大喜びしてたって、聞きましたよ」

「子どもの頃の話だ。あの頃は、軍隊を見ることができるのは、葬列くらいのものだった。自分の葬列なぞ……」


その顔に、哀愁が浮かんだ。

「ハンガリー第60連隊は、どうなってしまうのだろう。誰が、次の大隊長に就くのだろう……」


「誰か、ですよ。誰か」

「そうだな。誰かだな」


 フランソワは、ためらった。何か、気がかりがあるようだ。


「僕の書類は、どうなっただろうか?」

「あなたの、書類?」

「いろいろな計画を記した、メモや日記のたぐいだ」

「ああ、それ。先生方が取りまとめて、マリー・ルイーゼ様に渡されました」

「秘密警察の手には、渡らなかったんだな」

「もちろんです」



 宮殿を出る葬列を見送った後、、マリー・ルイーゼは、ペルゼンバーグへ向けて旅立っていった(※ 24日朝)。そこで、父親や、他の皇族たちと合流するのだ。

 葬儀に出ないのが、典礼だった。



「あなたの書類は、パルマへ持っていって、焼くんですって」

「焼く……ああ、それがいい」

 小さな声だった。


 使い魔が促す。

「さてと。参りましょうか。あなたを、待ってる人がいるんです」

「待ってる人? 誰?」

「エミールですよ! フランスからあなたについてきた、あの、」

「エミール!」


 ローマ王をフランスに呼びたい一心で活動していたエミールは、6月の暴動で、政府軍に銃殺された。


「そして、ガブリエルも」


 7月革命の時、誰よりも早く、王座に上った浮浪児……、

 ……王座に座ったのは、彼の、屍だったのだけれど。


「他にも、たくさんの人が、あなたを待っています。人の輪から外れた者たちが、あなたの救済を待っているのです。勝者の作った輪から、こぼれ落ちた者たちが」


「僕を、待っている……よし!」

 フランソワが、ぱっと顔を上げた。

 瞳を輝かせ、彼は言った。

「悪いことを、いっぱいしよう」


 キイーッとでもいうような声を、アシュラは上げた。使い魔は、躍り上がって喜んだ。

 晴れ晴れと、フランソワは、笑った。


「ついて来い、アシュラ」

「ええ、ええ! お供しますとも。一緒にたくさん、悪さをしましょう!」


 その人生で、一度もしたことのなかった悪いことを。

 人を、傷つけることなく、自分だけが傷ついてきたフランソワ。彼にこそ許される、「悪いこと」。

 誰かを、どうしても譲れない何かを、護るための……。


「たくさんたくさん、悪さをしましょうよ!」







 ライヒシュタット公毒殺の疑いを恐れ、メッテルニヒは、皇室侍医ら、6名からなる医師団に、遺体の解剖を命じた。



 医師団は、右肺は、完全に、損なわれていたことを認めた。左肺も、上部に大きな結節ができていた。

 その他の内臓は、健康で、きれいな状態だった。ただし、胃は、通常よりも、かなり小さかった。まともな食事の摂れない状態が続いた為だろう。あるいは、毒殺を恐れ、たくさん食べることをしなかった、という噂は、本当だったのかもしれない。


 医師団はまた、脳の状態も調べている。ナポレオンの息子に発達障害があったとの悪意ある噂の真偽を調べるためだったのだろうか。

 もちろん、彼の脳に、異常はなかった。



 この解剖により、毒殺の疑いは、払拭された。

 ライヒシュタット公は、肺の病で亡くなったのだ。


 なお、医師団には、4人の皇室医師のほかに、ライヒシュタット公の主治医として、マルファッティ医師とヴィーラー医師が名を連ねていたことを、書き添えておく。




この後、

 心臓は銀器に納められ、アウグスティーナ教会に、

 体を納められた棺は青銅で覆われ、カプツィーナ礼拝堂に、

 心臓以外の内臓を納めた壺は、シュテファン大聖堂に

安置された。


 これは、ハプスブルク家の分割埋葬といわれる。実利的には、市民とのお別れなど、長引く葬儀に対する、腐敗防止の為である。だが、心臓を他の臓器とは別にするなど、宗教的な、或いは、スピリチュアルな意味もあるに違いない。







 夜空に、ぱあん、という音がした。


 1832年(ライヒシュタット公の亡くなった年)、ウィーンの上空に、花火が打ち上げられた。


 2羽の鳩が浮き上がる。鳩たちは、

「わが親愛なる観客諸君へ」

という文字の入った火のリボンを咥えていた。


「ブラヴォー!」

「ブラヴォー!」


 人々の歓声の中、鳩とリボンは、夢幻のように消えていった。



 最後の火花が消え、空は、前よりも一層暗くなった。

 乾いた火薬の音と共に、次の花火が打ち上がられた。


 夜空一面に、人の姿が現れた。

 ファウスト博士だ。音楽を聴きながら、晩餐を楽しんでいる。


 遅れて、どーんという音が轟いた。打ち上げ音に、悪魔の言葉と雷鳴が、重なって聞こえる。

 この花火には、特殊な火薬が使われていた。赤い炎が揺らめき、その中心が、みるみる黒く染まっていく。


 黒い染みは、次第に、悪魔の姿を形作っていった。

 悪魔は、激しく踊り狂っていた。


 集まった観客たちは、慄然とした。(※2)



 どこからか、不気味な笑い声が聞こえてきた。

「王子様の魂が喰えなくて、とても残念だ」


 声とともに、端正なファウスト博士の風貌が崩れていった。

 後に映し出されたのは、他ならぬメフィストフェレスの顔だった。


「だが、私は、契約を守ろう。王子様の願いは、叶えてあげる」


 ぱっと広がり、メフィストフェレスの残像は消えた。







 ……「ずうずうしくもキリスト教徒として死んだナポレオンと、同じ場所へ、貴方を導いてさしあげます」

 メフィストフェレスは、この約束を守った。


 1940年11月。

 ライヒシュタット公の青銅の柩は、ドイツ軍の手によって、フランスに運ばれた。

 フランス……廃兵院アンヴァリッドに眠る、ナポレオンの傍らへ。

 アドルフ・ヒトラーの命令で。(※3)








*~*~*~*~*~*~*~*~*~


※1

3章「1824年 第九初演」「そこに魔王がいる 3」に、フランソワの金髪にあこがれるアシュラの記載がございます。



※2

1832年、ウィーンで、ファウスト博士の花火が打ち上げられたのは、本当です(ただし、何月かまでは不明です。ここでは、7月以降として描きましたが、違うかもしれません。そこは、詩的自由ということでお許し下さい)。



※3

つまり、身体は、パリのナポレオンのそばに(後に、ナポレオンの柩の下、地下に移されたらしいです)、そして、心臓と内臓は、今でもまだ、ウィーンにあります。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る