シューベルトの子守歌 1
「
眠れ 眠れ ステキな王子様
この手がそっと揺さぶるよ
王子様のために、お空に浮かぶゆりかごを、もってこよう
眠れ 眠れ スイートなお墓の中で
お墓に生えた百合と薔薇が花開いたら
王子様へプレゼントしよう
」
「おいっ! さっきから、黙って聞いていれば……」
この世ともあの世ともしれぬ、中有の空間。
青い目が、ぱっと開いた。
膝枕をして、子守唄を歌を口ずさんでいたアシュラが、思わず叫ぶ。
「あれ? 殿下。起きちゃったんですか?」
「当たり前だ! 耳元で下手くそな歌を歌われたら、おちおち死んでいられないじゃないか!」
はっと、フランソワは、左の耳に手を当てた。
「聞こえる。聞こえてる……」
「シューベルトの子守唄」
アシュラが答えた。
「その時が来たら、歌うように、言われたんです」
「その時?」
「今。……多分」
……「その時が来たら、彼に、この歌を歌ってやるといい」
シューベルトはそう言って、子守歌の歌詞を手渡した……。(※)
アシュラは首を傾げた。
「ベートーヴェンは、キスだろうと言いました。けれど、それは違う気が、」(※2)
「違う。間違いない」
フランソワが断言し、アシュラは、複雑な顔をした。
なおも、フランソワが苦情を述べる。
「シューベルトの子守唄は、そんなデタラメな歌詞じゃなかった筈だ。僕は聞いたぞ。さっき」
「さっき?」
「身体が沈みそうになって……誰かの腕につかまった時……」
「
眠れ 眠れ 可愛い坊や
母の手があなたをそっと揺さぶるよ
穏やかな安らぎを、柔らかな休息を
あなたのために、浮かぶゆりかごを、持ってきましょう
眠れ 眠れ 甘い墓の中で
今も母の腕が守ってる
全ての願いも、全ての宝物も
それらを愛し、全てを温かく愛して、とっておきなさい
眠れ 眠れ 綿毛に包まれた膝の上で
今もまだ、強い愛の調べがあなたを包んで
一本の百合と、一本の薔薇が、
眠った後のご褒美になる
」
(シューベルトの子守歌 歌詞。「雲隠れ 6」より再録)
「ああ! あなたの魂が抜け出た時ですね!」
嬉しそうにアシュラが叫んだ。
「あの時、あの場で、この俺が、あなたの魂をさらったんです!」
「さらった?」
「ええ」
したり顔で、アシュラは言ってのけた。
「前に言ったでしょ? いざとなったら、あなたをさらって逃げるって」
……「正統法ではありません、もちろん。私に、そんな力もない。でも、いざとなったら、あなたをさらって逃げますから」(※3)
「でも、さすがにあの時は、子守唄を歌ってる余裕はなかったけどなあ。幻聴だったんじゃないですか?」
「ちゃんと聞いた! 幻聴なんかじゃない! 優しい、女性の声だった」
「そりゃ、お母さんですよ。子守唄ですから」
「母上?」
「あ、あのお母さんじゃありませんよ?」
「じゃ、どの母親だ?」
「みんなの、お母さんです。人間だけじゃなくて、ありとあらゆるものの……」
「お前が言いたいのは、地球、とか、自然、とかいうことか?」
「ええ、多分……」
アシュラは自信なさげだった。
不意に、彼は、真面目な顔になった。
「意識を失う直前、あなたがつかまったのは、モルの腕です。終油の儀式の直前に、彼はもう一度、あなたの手を握りました。そして、確かに、あなたが握り返してきたと思っているようだけど、それは違います。いいですか、殿下。終油の儀式は、茶番です。既にあなたは、抜け殻だったんだから」
「うん」
「司祭に答えて、首を横に振っただの、頷いただの……、全ては、あの場にいた人達の気休めです。もともと、生者の為のものですからね、死の儀式は。生き残った者が、勝手に解釈すればいいんです。あなたには、関係ないことだ」
「……そうだな」
フランソワの顔に、生気が蘇った。
今更のように、彼は、アシュラの膝から飛び起きた。
「お前、今までどこにいたんだ? 空気の良いところに行けるよう頑張る、とか言ってたじゃないか。それなのに、途中でいなくなったりして!」
「死んでたんです。ごめんなさい」
アシュラは頭を下げた。ひどく悄気げている。
ぽつんと、フランソワはつぶやいた。
「そうじゃないかと思った」
「え?」
「だってお前の声は、左から聞こえた。あの晩、聞こえなくなってしまったはずの、左の耳から」
「ああ……」
誕生日の少し前。乗馬の後、無理な外出を重ね、決定的に健康を損ねた晩のことだ。
……「俺は本当に、ダメなやつだ。最後のツメが甘いんだ。フランス土産のステッキは途中で壊しちゃうし、譲ったつもりの女の子は、他の野郎と結婚しちまうし……」
(※4)
「やっぱりあれは、お前だったんだな。あの晩、僕の枕元で泣いていたのは」
「ええ、俺です」
「声が聞こえるなら、僕の前へ、出てくればよかったのに」
「何度もモルの体を乗っ取ろうとしたんです。でも、あいつの魂が、譲ってくれなくて。あなたのそばを、離れようとしないんです」
「ふうん」
「ですが、俺はずっと、あなたの近くにいました。つぐみやネズミの姿になって」
「つぐみ? ネズミだって?」
「しょうがないでしょ。使い魔が、蛇や猫をやっつけるのは、大仕事なんだ。ああそうだ。ついでに、あなたのことを、ちっともわかろうとしないモルの耳にも、噛みついてやりました」
フランソワは、首を傾げた。
.:♪*:・’゚♭.:*・♪’゚。.*#:・’゚.:
※1
シューベルトの子守唄については、以下に言及があります。
・3章「シューベルトの子守唄」
・4章「間に合わなかったワイン」
・5章「墜ちた小鳥」(引用は、ここからです)
※2
3章「カビのはえたパンとチーズをまぶしたマカロニ」
※3
9章「ゾフィー大公妃のお願い」
※4
10章「Guten Abend!(下がれ!)」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます