秘跡の儀



 20日。

 フランソワに、(本人にはそれと知らせず)最期の秘跡が授けられる日。



 朝。

 プリンスが、

「死ぬ準備はできている」

と、つぶやくのを、傍らに控えた侍従は、聞いた。





 午前10時。病室に、ワーグナー司祭が来た。フランソワは、告解を行った。

「病が重いことは、知っています」

告解の後、彼は、司祭に告げた。

「しかし、良くなる望みを捨ててはいません」



 フランソワは、自室で聖書を読むように言われた。その間に、シェーンブルク宮殿の教会で、荘厳な儀式が執り行われた。


 ハプスブルク家の最期の秘跡の儀式は、非常に大掛かりなものだった。皇族、貴族らがお供を引き連れて列席する。ハプスブルク家の皇族の死には、この儀式が欠かせない。


 一同は、一列になって、教会を出た。同じ宮殿内の、ライヒシュタット公の住居まで、粛々と行進を始める。

 青い絨毯を敷いた階段両脇には、彼の部下の選抜歩兵達が、二列に並んで整列していた。

 その間を、行列が通り過ぎていく。


 先頭は、ライヒシュタット公の部下、そして、宮殿の付き人達だった。

 それから官僚、高位の貴族たち。

 鐘を鳴らして進む司祭たちが、それに続く。


 その後ろに、宮廷司祭のワーグナー司祭の姿があった。壮麗な儀式にも関わらず、彼だけが、普段着用している法服姿だった。司祭は、天蓋のついた供物台に、聖体(パンとワイン)を捧げ持っている。


 列の最後尾に、ルードヴィヒら大公達、それから、女性皇族達が続く。ここに、ゾフィー大公妃もいた。


 全員が、蝋燭を手に静かに歩んでいく。



 ライヒシュタット家の入り口には、ハルトマン将軍とモルが待機していた。

 プリンスの住居に入っていったのは、ワーグナー司祭だけだった。

 普段の質素な法服姿のワーグナー司祭だけが、ハルトマンとモルを従えて、プリンスの住居の階段を登っていく。


 プリンスには、これが、通常の聖餐だと思わせなければならない。派手な法衣では、まずい。


 その間、人々は、外で、プリンスの回復を祈った。




 ワーグナーが、プリンスに聖体を与え、聖餐の儀は、終了した。

 司祭は彼の部屋を退出し、長い行列は、再び、教会へと戻っていった。







 聖餐を与えられた後。

 フランソワは、すぐに眠ろうとした。

 だが、眠れなかった。

 彼は、はっきりとわかっていた。

 秘跡の儀を受けたのだ、と。


 お前はもう死ぬと、突きつけられたようなものだ。


 ベッドの縁を叩き、のたうった。苛立ち、全てを引き裂きたいと願いながら、彼は、全世界を呪った。


 やがて、ひどい咳が戻ってきた。

 熱が上がり、冷や汗が出る。


 苦しみのたうつプリンスに、マルファッティ医師が呼ばれた。

 人払いをし、侍医は、磁気療法メスリズムを施した。


 磁気療法は、患部に手をかざし、体内の磁気を正常に戻すとされる。


 催眠術を用いたインチキ療法だとして、まだ医局生だった頃、マルファッティは、訴えられたこともある。

 これ以上、磁気療法を行わないということ判決が出て、訴訟は結審した。


 だから、内緒で、施術したのだ。マルファッティにはもう、お手上げだった。苦し紛れの、ほとんどやけくその「治療」だった。


 この日、磁気療法は、2回ほど繰り返された。もちろん、何の効果もなかった。フランソワには、ただただ煩わしく、まるで拷問のように感じられた。


 その晩、彼は、眠ることができなかった。







 秘跡が行われた晩。

 フランソワが、神から死を宣告され、眠ることもできずに苦しんでいた夜。

 待ちかねていたように、メッテルニヒは、在フランスのアポニー大使に手紙を書いた。


ライヒシュタット公の、寿命は尽きたといっていい。彼は現在、結核の末期である。この病は、あらゆる年齢の者を襲い、あっという間に命を奪う。彼は、21歳だった。




 この日、メッテルニヒは、もう一通、手紙を書いている。


 半月ほど前、5月の末に、彼は、シャルル・ルイ・ボナパルト(オルタンスの3男。後のナポレオン3世)から、手紙を受け取っていた。


 シャルル・ルイは、ナポレオンの部下に宛てた文書を作成し、ウィーンに送りつけてきた。彼は、その文書に、ライヒシュタット公の署名を欲しがっていた。


親愛なる諸将。

私は、諸賢の、勇敢なるフランス人民と同じ、献身的な愛情に、深い感動を覚えています。それらは、私に、父の思い出を鮮やかに蘇らせずにはいられません。

私は、諸賢への感謝の表します。また、いつの日か、私の最高の理念は、フランスの幸福であると、証明できる日を、待ち望んでいます。


 ……「この文書を、ライヒシュタット公に見せ、サインさせてほしい」

 シャルル・ルイは、メッテルニヒに要請していた。



 ……不可能だ。

 メッテルニヒは嘲った。

 ……いずれにしろナポレオン2世は、もはや死んだも同じだ。


 メッテルニヒは、ペンを取り上げた。

 ……ナポレオンの甥が、接触してきた。

 ためらわず、フランスのルイ・フィリップに、通報した。




 ルイ・フィリップフランス王への手紙を書き終え、メッテルニヒは、両腕を上に伸ばし、大きく肩を回した。


 ……全てが、一挙に片付いた。

 ……ナポレオン2世も。

 ……ナポレオンの甥も。

 ……小うるさいゲンツも、ザウラウも。


 いまだかつてない、晴れやかな気分だった。






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