キリスト教徒としての死を


 皇帝が、宮廷の教会を訪れた。宮廷司祭のワーグナーが出迎える。

 ワーグナー司祭は、ライヒシュタット公フランソワを、子どもの頃から知っていた。彼の宗教教育の、師でもあった。



 懺悔が終わると、皇帝は、居住まいを正した。

「近く、私は、トリエステへ出発します」

 昨年のイタリア争乱の、事後協議に行くのだ。

 静かに、皇帝は頭を下げた。

「孫のことを、どうか、よろしく頼みます」

「お任せ下さい」

頼もしく、司祭は請け合った。


 近づく死を予感させる言葉は、どちらの口からも発せられなかった。


 「孫が、あなたに、いくつかの無礼な言動を働いたことは、私も聞き及んでいます」

皇帝はため息を付いた。

「自分の留守中に、あなたを部屋に通したといって、侍従を叱りつけたり。大切な儀式をすっぽかしたり。……病気が、さらに彼の傍若無人を増長させているのではないかと、私は、気掛かりです」


「そのようなことはありませんよ」

ワーグナー師は、柔らかく笑った。

「それに、宗教に対して疑念を抱くのは、若い人にありがちのことです。ライヒシュタット公に於かれても、通常の若者の範疇を、全く、越えてはおられません」


「孫には、」

皇帝は言葉を探した。

「彼には、厳格なドイツ風の教育を施してきました。しっかりとした家庭教師をつけ、偏りのない、近代的な教育を施してきたつもりです。しかし、この頃、私は思うのです。私は、彼の教育に失敗したのではないか、と」

「……」


穏やかに微笑み、ワーグナーは、先を促した。


「あれは……、マリー・ルイーゼが、初めて、パルマから里帰りした年です。2年半ぶりで母親に会えると知らされ、孫は、大喜びでした」


 遠い日の思い出を、皇帝は、静かに語り始めた。


「母親を待つ間、孫は、有頂天でした。楽しげに騒ぎ回り、私を始め、皇妃、フェルディナンド長男……宮廷のあらゆる人間が、彼女を待ちわびていると、幼い手紙を、パルマへ書き送ったり……。そして突然、彼は、気がついたのです」


懐かし気だった皇帝の顔が、突如歪んだ。

「母は、自分に会いに来る。だが、なぜ、父は来ないのか、と」



「ライヒシュタット公は、その時、おいくつでしたか?」

司祭は尋ねた。


「7歳です。父親とは、5年近く会っていない勘定になる。第一、父親が最後の戦に出ていった時、彼はまだ、3歳だったのですよ? ウィーンについてきたフランス人の付き人たちを追い返してからも、随分、時間が経っている。それなのに、彼の中の父親の記憶は、一向に、色褪せていなかったのです」


「ライヒシュタット公には、大切なお父上です」


「それは、わかっています。私にとっても、娘婿だ。だから、ウィーン会議では、の死刑に反対したのです。しかし……」


言いよどみ、皇帝は続けた。


「あの年、ちょうど今くらいの季節でした。孫は、私の執務室に駆け込んできて、大きな声で叫んだのです。『ママは来る。それなのに、なぜ、パパは来ないの?』」



「それに対して、皇帝は、何とお答えを?」

司祭の問いに、皇帝は、ため息を付いた。


「神よ、お許しを。私はまだ、未熟だったのです。幼子の問いに、真摯に向き合うことができなかった。それどころか、甲高い声で、何度もしつこく問われ、癇癪を起こしてしまったのです。私は、あの子を、怒鳴りつけました。『なぜお前の父親が来ないか、だって? 教えてやろう! お前の父親は、邪悪だからだ。だから、牢獄に入れられているのだ。そしてもし、父親と同じように邪悪だったら、お前も、牢に入れてやるからな!』」


 一時の間があった。


 「皇帝は、ライヒシュタット公の教育に、厳格だったと聞きます」

 司祭が、柔らかく微笑んだ。

「彼に対しては、体罰さえ、お許しになられた、と。もっとも、家庭教師たちは、決して、そうした罰を、プリンスに加えることはありませんでしたが」


「男の子ですから。私の子どもたちと、同じように育てようと思ったのです」

「いずれにしろ、公が、子どもの頃のお話ですね。やんちゃな、けれども、おかわいらしい……、」



「子どもの頃だけではないのです」

 皇帝が遮った。

 深刻な顔をしている。けれど、とても悲し気な。

「ワーグナー師。あなたは、パリで、流行った詩を覚えておいでですか? バーセレミーの ”Le Fils de l’Homme” という」


「はい」

司祭は頷いた。

「あれは、まさしく、パリに投下された爆弾でした。あの詩は、ブルボン王朝の屋台骨をゆるがしました」(※1)



 1829年刊行の ”Le Fils de l’Homme” は、直訳すれば、「その男の息子」になる。この場合、「男」とは、「神」を指す。そして、「男」とは、ナポレオンのことなのだ。

 つまり、「その男の息子」というのは……。



 皇帝は頷いた。

「家庭教師のオベナウスが、この詩を、現代史の教材に使いました。なんといってもこれは、フランツ自身について書かれた詩ですから」


「皇帝は、ナポレオンについて、隠し立てをせぬよう、指示されていたと聞きます」


「ええ。家庭教師たちは、ナポレオンを、時代に翻弄された犠牲者として扱うことで一致していました。オベナウスは、この詩を使って、ある種の人間が、どうやって人々を扇動するかを、示そうとしたのです。オベナウスは、孫に、”Le Fils de l’Homme” を読ませました。」


「実践的な教育ですな」


 司祭の言葉を、皇帝は受け流した。

 熱に浮かされたように続ける。


「ところが、詩を読み終わった孫は、こう言ったのです。『やっぱり、僕の人生の究極の目的は、父の栄光を受け継ぐにふさわし人間になることなのだ』」


「……」

「……」

沈黙が落ちた。



 ぽつんと、皇帝がつぶやいた。

「私は、あの子の、第二の父たらんとしてきました。しかし、私の与えた教育は、失敗しました。祖父には、父親の代わりは務まらなかったのです」


「ナポレオンの代わりなど、誰にも務めることはできませんよ」

強い口調で、宮廷司祭は言った。


「ワーグナー司祭」

皇帝は目を上げた。まともに、司祭を見据える。

「確かに、孫は大人になりました。傍系の大公家の規則に則り、私は彼を、20歳で独立させ(※2)、一人前に、連隊を与えました。しかし、中身は、全く、変わっていないのです。彼の中には、依然、邪悪な父親の影が、宿っている」


不意に、その目から、涙が溢れた。


「ワーグナー司祭。お願いです。どうかあの子を、キリスト教徒として死なせてやって下さい。間違っても、罪深い父親と同じ、神から見放された死ではないように! どうぞ、あの子の魂を、天国へ導いてやって下さい」


 無言で皇帝の皺だらけの手を握り、ワーグナーは、大きく頷いた。








・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥


※1 バーセレミーの詩

6章「キリストの犠牲 1・2」「パリの爆弾」、ご参照下さい



※2

直系の皇族の独立は、17歳です。

ライヒシュタット公は、母を通じての皇族です。直系ではありません。


とはいえ、彼は、17歳で初めて、大尉に昇進しています。これについては、母のマリー・ルイーゼが、早くから根回ししていたフシがあります。この時、母から、ナポレオンの形見の、湾曲した剣を与えられています(5章「初めての昇進」)。


そして、本文中にあるように、20歳になる直前に社交界デビューを果たし(社交のシーズンがあるのでしょう)、また、20歳の6月14日付で、陸軍大佐に昇格、ハンガリー第60連隊の大隊長に任命されます。ホーフブルク宮殿を離れ、アルザー通りの兵舎で新生活を始めました。

この辺り、規則に則った、皇帝らしい几帳面さが感じられます。


しかし彼には、ハプスブルク家の皇族が、軍務を始める定番の地、プラハへ赴任することは、許されませんでした。実戦に出ることはおろか、最後まで、ウィーン勤務でした。






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