叔父上が邪魔だ
「ライヒシュタット公! 絵が仕上がってよ!」
騒々しい声で、マリア・カロリーナが叫ぶ。
「私、それはそれは美人さんなのよ! フランツ・ヨーゼフは、天使だわ! ああ、そうだ。小鳥さんも、ちゃんといるの。でも、ライヒシュタット公は、あまり似てないわ……」
皇帝と3人の孫の絵は、無事に仕上がり、皇帝に贈られていた。
「フランツ。具合はどうなの? あら、まだ顔色が悪いわ。少し休んだほうがいいんじゃなくて?」
叔母のクレメンティーネがまくしたてる。
「お前達が騒々しいんだ」
とうとう、レオポルトは言った。
「騒々しい? なんですって?」
「ひどい、パパ!」
妻と娘が、揃って、金切り声を上げた。
「えと……つまりだ。今日はきっと、来客が多くて、フランツは疲れているんだ。そうだろ、フランツ」
「そんなことはありませんよ」
「はあ? フランツ、お前なあ……。ああそうだ。俺はフランツと話があるから……」
意味ありげに、妻に目配せを送る。
クレメンティーネは、すぐに察したようだった。
まだ従兄と一緒にいるとだだをこねる
「横になれよ、フランツ」
一人残り、レオポルトは言った。
「貴方の前で、そんなこと、できません。いつ、寝首をかかれるか、わかったもんじゃありませんからね」
いつもの軽口だった。
いつもの口調、いつもの愛想の良さ……。
ただ、顔色は、真っ青だった。そして、ひどく痩せて、疲れて見える
「フランツ。療養しろ。療養が一番だ。俺がお前を、ナポリに行かせてやるから」
「なんですって?」
「だから、お前をナポリに行かせてやると言ったんだ」
「ごめんなさい、大公。左の耳は、聞こえないんです」
「フランツ……」
レオポルトは、慄然とした。
彼の妻子がいた時、フランツは、そんなそぶりは、毛ほども見せなかった。にこにこと愛想よく笑い、優しい顔で、彼女らの相手をしていた……。
ボナパルト家に特有の神経障害のひとつに、聴覚の減退があることを、レオポルトは、伝え聞いていた。
病気で体力が極端に衰えたフランツに、父方の遺伝的疾患が、現れているのかもしれない。
フランツが向きを変えて、座り直した。右耳を、レオポルトに向ける。
同じ言葉を、レオポルトは繰り返し、付け加えた。
「両シチリア国王は、俺の甥だ。俺の頼みなら、何だって聞くさ」
「……」
フランツは絶句していた。
レオポルトは、片目をつぶってみせた。
「何より、ナポリは、ハプスブルク領じゃないしな」
「レオポルト大公、」
掠れた声で、フランツは言った。
「……あなたは、僕のナポリ行きを止めるべきなんです。だって僕は、ナポリから、イタリアを……」
「しっ!」
レオポルトは、唇の前に人差し指を立てた。
「実のところ、俺は、兄とは仲がよくなかった。
そもそも、両シチリア王家は、イタリア、ブルボン家の流れを汲む。しかし、現在の国王の祖母(そして、サレルノ公レオポルドの母)は、オーストリアから嫁いだ皇女だ。
ウィーン会議の時、レオポルトは、ブルボン家をとるか、ハプスブルク家をとるか、決断を迫られた。
彼の答えは、オーストリア皇女クレメンティーネとの結婚だった。
一方、兄は当然のようにブルボン=シチリア家の後を継ぎ、イタリアの領土を返還された。両シチリアは、今、
「お前が何を考えていようと、俺の知ったことじゃない。行きたいなら、ナポリへ行くがいい。俺にできることなら、何でもしてやる」
「
レオポルトは、一瞬、息を呑んだ。
すぐに、不敵に微笑んだ。
「言ったろ。甥とは、そこまで親しくない。あいつにはもう、跡継ぎがいるから、逆立ちしたって、両シチリアの王座は、俺のところには回ってこないし」
「それはつまり、あなたの影響力は、
泣き笑いの表情を、フランツは浮かべた。
「あなたの伝手では、僕は、ナポリへ、行けないじゃないですか……」
「いや、それは……」
レオポルトは鼻白んだ。
「フランツ。お前、けっこう、元気だな」
「絶好調です」
すっかり痩せたフランソワを、レオポルトはまじまじと見つめた。
「だが、不自然じゃなかろう? 両シチリア王の叔父が、妻の甥に、ナポリで療養させるのは。だが、そうだな。まずは、医師の口から、提案させようか」
「マルファッティはダメです。せいぜいイシュルの温泉がいいところでしょう」
「まあ、この俺に任せろ」
どん、と、レオポルトは胸を叩いた。
青白くやつれたフランツの顔に、ふと、猜疑の色が浮かんだ。
「あなたは、レオポルト大公。どうしてそこまで、僕に尽くして下さるんですか?」
「愛する妻の甥だからだよ。決まってるだろ」
「……」
「本当のことを言おう」
小さく、レオポルトはため息を付いた。
「俺は、お前を利用しようとした。お前を利用して、メッテルニヒを打倒しようと……。それには、
しかし、皇帝の長男、フェルディナントに、統治能力はない。彼が即位した場合、今以上に、メッテルニヒの権力が増大するのは、わかりきっていた。
「だから、俺はお前に、ひどい疑いをかけた。何年か前の、狩りの時……」
……お前だって、フェルディナントを邪魔に思っているだろう? だってお前は、あいつに向けて、発砲したことがあったものな。
「もちろん、狩りでの出来事は、単なる事故だ。俺は、それを知りながら、お前を糾弾した。反メッテルニヒ派の口車に乗せられるままに!」
……我々が、本当に取り込まねばならないのは、ライヒシュタット公だ。
それが、ウィーンの某所に集まった人々の、隠れた総意だった。
(9章「メッテルニヒを追い落とすには」、参照下さい)
勢いよく、レオポルトは頭を下げた。
「すまん、フランツ! この通りだ!」
「……頭を上げて下さい、レオポルト大公」
静かな声が言った。
「おお、許してくれるか?」
下げた時と同じくらいの勢いで、レオポルトは頭を上げた。
「もちろんですとも。だって、それは、本当のことかもしれないでしょ?」
「ん?」
「僕だって、
「お前、何を言い出すんだ!?」
フランツを見て、レオポルトは驚いた。
もともと青白かった顔色が、まるで紙のように蒼白になっていた。
「嘘ですよ」
フランツは微笑んだ。
レオポルトは、信じた。
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