薔薇と小鳥


 「きゃあ! 鳥が!」

叫び声が聞こえる。


「プリンセス! 鳥は後から付け足しますからいいんです! 籠から出さないで!」

「くちばしでつついたのよ。私の指を、よ?」

「籠の隙間に指を突っ込まれるからです!」

「そんなことはしてないわ。あっ! 痛い!」


「だから、そっとしておいて下さい。お願いですから、籠を開けないで!」

悲鳴に近い声を、画家が上げる。



 「うぎゃーーーーっ!」

「うわっ! 今度は何!」

「フランツ・ヨーゼフ大公が、薔薇を握られて……」

子守娘が、うろたえている。

「取り上げようとしたら、お怒りになって……」

「何っ! 薔薇?!」

「殿下、殿下! 御手をお開き下さい!」

「きゃきゃきゃきゃきゃ」

「まあ、笑われた。なんて、おかわいらしい……」



 「ああーん! 鳥さんがぁーっ!」

「大変! 鳥よ! 鳥が逃げたわ!」

女官たちの声。

「誰か、捕まえて!」


「殿下! 御手を開いて下さいませ。ああっ! それは食べ物ではありません!」

「うきゃ?」

「か、可愛い……じゃなくて、さあ、私にお渡し下さい。ね?」


「鳥さんがぁ! 鳥さんがぁっ!」

「プリンセス、危ないです。走ったら!」

「殿下。薔薇をお口に入れたらいけません! さあ、子守ナニーにお寄越しなさい」


「うっぎゃーーーーーーーーっ!」



 「舐めても大丈夫。棘は抜いてあるから」

掠れた声が取りなすが、誰の耳にも入らない。

 ……。





 「なんだ? 大騒ぎじゃないか」

 続きの間で、サレルノ公レオポルドがつぶやいた。

 優雅に、ココアをすすっている。

「ゾフィーはすっ飛んでったぞ。君は行かなくていいのか、F・カール」


 F・カール大公の妻、ゾフィー大公妃は、息子フランツ・ヨーゼフの叫び声を聞いて、飛び上がって駆けつけていった。


「あなたこそ、マリー・カロリーヌが心配じゃないんですか、サレルノ公。かわいいお嬢さんが、鳥の糞まみれになりますよ?」


 レオポルドの妻、クレメンティーネも、ゾフィーと一緒に、娘のところへ走っていってしまった。


 レオポルドは、顔を顰めた。


「鳥の糞? 君は、相変わらず下品だなあ、F・カール。だから、ゾフィーに嫌われるんだよ」

「嫌われてなんかいませんよ」

「だって、フランツ・ヨーゼフ一人目はもう、1歳になったのに、いっこうに、二人目が出来ないじゃないか」

「タイミングが悪いものですから」

「タイミング? 愛があれば、子どもなんか、ぼこぼこできるはずだろ?」

「大公のところだって、マリー・カロリーヌ一人しかいないじゃないですか」

「僕は、妻一筋というわけじゃないからね」

「……下品はどっちですか」

「君には負ける」


 レオポルドは、再びカップに口をつけた。

「子どもが騒ぐのを見ていると、なぜか甘いものが欲しくなるね。君も飲むか?」

「僕は、もっと強い方が」

立ち上がり、F・カールは、カップボードの方へ歩いていく。


「なあ、F・カール。フェルディナンドお前の兄の結婚について、どう思う?」

「いくら僕でも、身内の濡れ事について語るのは、さすがに、苦痛でしてね」

「濡れ事? ないだろ、そんなの。なにせ、フェルディナンドは……」


 酒を満たしたグラスをにゅっと差し出し、F・カールは、大公妹の夫を黙らせた。


サルディニアの姫マリア・アンナとの結婚は、フェルディナンドの即位の為に、必要なんです」


「やっぱりな」

グラスを受け取り、レオポルドはため息をついた。

「やっぱり? 何がです?」

「お前には、野心というものがまるでないのだな」

「野心? 何の?」

「次期皇帝即位の」


「次期皇帝?」

F・カールが、素っ頓狂な声を上げた。

「だって、長男即位が鉄則でしょ? 次期皇帝は、兄上フェルディナンドで決まりですよ」


 ぐい、と、レオポルドは、F・カール妻の兄の方へ、身を乗り出した。


「だが、フェルディナンドに、統治能力はない。あれは、傀儡にされてしまうぞ。メッテルニヒの」

「ま、そういう面も、確かにあるでしょうが……」

「今はかろうじて、皇帝の権威が保たれている。だが、メッテルニヒは、皇帝より若い。皇帝が崩御され、フェルディナンドの即位ともなれば、宰相の独裁は、ひどくなる一方だぞ」

「独裁って……まさか、僕らの地位大公位の剥奪とか、所領の取り上げとか、ないでしょう?」

「さすがにそれは、なかろうが。だが、宰相の権力が強まれば、我々皇族の政治的な影響力は、確実に弱まる」


「いいじゃないですか」

のどかな声で、F・カールは言った。

宰相メッテルニヒのおかげで、オーストリアはうまくいってるんだし。僕は、めんどうなことは大嫌いでね。兄貴フェルディナンドがいてくれて良かったと、心底、思っていますよ。皇帝にならなくて済みますからね」


「F・カール……。いいのか、そんなことで。欲がないというより、むしろ無気力だぞ?」

「いや、本当に。皇帝親父にしたって、娘は二人も売り飛ばされるし、戦争にも出掛けて行かなくちゃならないし、細かな書類もいっぱい書かなくちゃならないし。そんなの、僕は、まっぴらごめんだ」


「おい!」

思わず、という感じの大声が、レオポルドの口から漏れた。

「お前、それでいいのか?」


「ですから、めんどうは、嫌いです」

「フェルディナンドは、いつまで生きるかわからないぞ? せっかく生まれた息子フランツ・ヨーゼフの権利を守ってやろうとか、思わないのか?」


フランツ・ヨーゼフ息子の権利? そうですね。フェルディナンドに、子どもは無理でしょう。その次の皇帝は、自動的に、うちの子……かわいそうに」

F・カールは、大きなため息をついた。

「なんとかしてやりたいと思ってます」


「なんとか?」

レオポルドの目が輝いた。

「ええ。どうしたら、息子フランツ・ヨーゼフが、皇位を継がずに済むか、その抜け道を、真剣に、考えておきます」


 がっくりと、レオポルドの肩が落ちた。それでも、彼は言った。

「そんなこと、ゾフィーが許すまいよ」

 途端に、F・カールの顔が曇った。

「そこなんです、問題は。なにしろ妻は、バイエルンからこの国オーストリアに、皇帝を産みにきたんですからね……」



 騒ぐ声が、一段と大きくなった。

 レオポルドとF・カールは、揃って、続きの部屋を見た。

 妻たち……息子フランツ・ヨーゼフを抱いたゾフィーと、小鳥を逃して泣きじゃくるマリー・カロリーヌを宥めるクレメンティーネ……が、引き上げてくるところだった。








・~・~・~・~・~・~・~・


先週に引き続き登場の、サレルノ公レオポルドは、6章「フランソワの罠」で、フランソワの口車に乗せられて、マリー・ルイーゼとナイペルクの間にできた子ども達について、ぺらぺらしゃべっちゃった大公です。



ヨハン・エンデル作、皇帝の3人の孫の絵を、ブログに上げておきました。もしよろしかったら。

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-32.html







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