アレネンバーグ城の密談 4
「君は、
ボンベル大使を振り返り、ディートリヒシュタインは尋ねた。
「私の報告は、もう済みました。これ以上、宰相にお伝えすることはありません」
表情ひとつ変えず、ボンベルが答える。
「うん」
満足そうにディートリヒシュタイン侯爵は頷いた。
「もちろん、非合法な手段が先行するわけではない」
「私からも直接、
……それはどうかな。
ディートリヒシュタイン侯爵は肩を竦めた。彼は、プロケシュの意見に賛成だった。
……
新しく娶ったメッテルニヒの3人めの妻もまた、夫を煩わせる皇帝の孫を、ひどく憎んでいるという。
宰相が、彼を、解放することは、おそらくないだろうと、侯爵は考えた。
*
モントロンとボンベルを残し、ディートリヒシュタインは、部屋を出た。
この館の女主、
「ところで、上の息子さんは、お気の毒でしたな」
並んで歩きながら、ディートリヒシュタイン侯爵は言った。
オルタンスの次男、ナポレオン・ルイは、この年の3月、イタリアの
オルタンスは、冷静だった。
「それが、あの子の運命だったんです。ナポレオンの甥としての」
「重い宿命ですな」
甥でそれなら、実の息子は、どうなるのだろうと、ディートリヒシュタイン侯爵は思った。
ましてや、唯一の正当な跡継ぎという重責を負わされたとあっては……。
「ところで、あなたには、もうひとり、息子さんがいたはずですが……」(※1)
ディートリヒシュタイン侯爵が尋ねた。
「3男(シャルル・ルイ)は今、イタリアにいます。
「そうですか。彼も、ナポレオンの甥だ。さぞかし立派な青年に育ったのでしょうな」
オルタンスが、甥であるライヒシュタット公擁立に躍起になる理由が、ディートリヒシュタイン侯爵には、いまひとつ、わからなかった。
ライヒシュタット公の立場は、難しい。彼は、オーストリア皇帝の孫だ。彼をフランス王に擁立すれば、否応無く、オーストリアの影がちらつく。
フランスは、さっき侯爵が述べた、3つの選択肢のように、複雑な情勢を、見極めねばならない。ライヒシュタット公を王に迎えるのであれば、オーストリアの支配を、完全に振り払うのは難しいだろう。
それよりも、何の縛りもない、オルタンス自身の息子……ナポレオンの甥……を、ボナパルト家の家長に据え、ルイ・フィリップ失脚の機会を窺うほうが、現実的に思われた。
「いえ、あの子は……」
オルタンスは言葉を濁した。
侯爵がいつまで待っても、オルタンスの次の言葉は、出てこなかった。
・~・~・~・~・~・~・~・~・~
※1 もうひとりの息子
オルタンスの3男、シャルル・ルイ、後のナポレオン3世です。
このお話では、彼の血統につきましては、7章「オルタンスの息子たち 2」の後書きで記したスタンスでいきたいと思います。即ち、父親不詳(ナポレオンの弟、ルイ・ボナパルトではない)、ボナパルト家の遺伝子は、一切、受け継いでいない、というものです。
お読み下さって、本当に、ありがとうございました。
暑い中、このような入り組んだお話を上げて、ひどく恐縮しています。web小説には、全くふさわしくないというか……。
次回から、真夏のウィーン、そして、コレラ禍で鎖された、シェーンブルンの宮廷生活へと、話は向かいます。
どうか、お楽しみ頂けますように……。
・~・~・~・~・~・~・~・~・~
【以下は、蛇足です。史実との境を言い訳してます。ご興味をお待ちの方だけ】
※
スイスを通りかかったディートリヒシュタイン侯爵に、ナポレオンの遺言執行人、モントロンが接触したのは、事実です。「アレネンバーグ城の密談 2」に載せたメモは、実際に、侯爵が書いたものを、訳してみました。理屈っぽいのの、大半は、彼の責任です。
※
同じく、モントロンが、在スイスのオーストリア大使、ボンベルに接触したのも、事実です。
セント・ヘレナで、ナポレオンに妻を寝取られたモントロンですが(差し出したのかも……)、遺言執行人として、極めてナポレオンに忠実で、蛇のように執拗でした。
一例を挙げますと、ナポレオンは、庶子レオン伯に、教育費を出してくれるよう、マリー・ルイーゼと、忠実な養子・ウジェーヌ(オルタンスの兄)に書き残しました。
レオン伯は、ナポレオンの妹カロリーヌの、侍女が、産んだ子です。侍女を、兄の寝所へ差し向けたのは、カロリーヌです。例の、子種なし疑惑解明のためです。
しかし、レオンがナポレオンの子かどうかは、産んだ侍女にもわかりませんでした。彼女は同時に、ミュラ(ナポレオンの部下で、義弟。カロリーヌの夫)とも関係していたからです。
当然、マリー・ルイーゼもウジェーヌも、養育費を出しません。
遺言執行人モントロンは、ナポレオンのかつての妻と養子を相手取り、裁判まで起こしています。
このお話に書いた、5年間の独裁を認める等の条件は、実際に、モントロンが、ディートリヒシュタイン侯爵、ボンベル大使を通して、ウィーン政府に提示したものです。ただし、
この年、ディートリヒシュタイン侯爵と、ボンベル・スイス大使は、上記の条件を記した、二人ともほぼ同じ内容の報告を、メッテルニヒに提出しています。
なお、ボンベル大使は、後に、パルマの、3人目の執政官になります。ナイペルク→マレシャル(現在の執政官。マリー・ルイーゼと大変、折り合いが悪い)の次です。
やがてボンベルは、マリー・ルイーゼの、3人めの夫(ナポレオン→ナイペルク、の次)になります。こちらもまた、貴賤婚です。
もうどうでもいいというか、こうなることがわかっていて、皇帝は、娘と仲の悪いマレシャルをウィーンに戻し、娘の気に入りそうなボンベルを差し向けた節が……。
※
ここでは、プロケシュとナポレオーネ、そして、オルタンスの関与のみが、フィクションとなっています。
オルタンスの居城が、スイスにあったことを、根拠としています。
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