アレネンバーグ城の密談 4


 「君は、オルタンスの城ここに、プロケシュ少佐がいたと、宰相に伝えるのか? ここ……ナポレオンの養女の城アレネンバーグ城に」

 ボンベル大使を振り返り、ディートリヒシュタインは尋ねた。


「私の報告は、もう済みました。これ以上、宰相にお伝えすることはありません」

表情ひとつ変えず、ボンベルが答える。

「うん」

満足そうにディートリヒシュタイン侯爵は頷いた。



 「もちろん、非合法な手段が先行するわけではない」

モントロンナポレオンの遺言執行人が、割って入った。

「私からも直接、オーストリア宰相メッテルニヒに、申し出よう。ナポレオン2世をフランスに返してくれ、とね。これほどの好条件だ。プロケシュ少佐が連れ出すまでもなく、宰相は、ナポレオン2世を、フランスへ帰還させるだろう」


 ……それはどうかな。

 ディートリヒシュタイン侯爵は肩を竦めた。彼は、プロケシュの意見に賛成だった。

 ……宰相メッテルニヒは、個人的に、ライヒタット公を憎んでいる……。


 新しく娶ったメッテルニヒの3人めの妻もまた、夫を煩わせる皇帝の孫を、ひどく憎んでいるという。

 宰相が、彼を、解放することは、おそらくないだろうと、侯爵は考えた。







 モントロンとボンベルを残し、ディートリヒシュタインは、部屋を出た。

 この館の女主、オルタンスナポレオンの養女が、見送りに出た。


 「ところで、上の息子さんは、お気の毒でしたな」

並んで歩きながら、ディートリヒシュタイン侯爵は言った。



 オルタンスの次男、ナポレオン・ルイは、この年の3月、イタリアの教皇領フォルリで、麻疹の為、死去している。カルボナリの蜂起に参加し、オーストリア軍に追われて潜伏中のことだった。



 オルタンスは、冷静だった。

「それが、あの子の運命だったんです。ナポレオンの甥としての」

「重い宿命ですな」

 甥でそれなら、実の息子は、どうなるのだろうと、ディートリヒシュタイン侯爵は思った。

 ましてや、唯一の正当な跡継ぎという重責を負わされたとあっては……。



 「ところで、あなたには、もうひとり、息子さんがいたはずですが……」(※1)

ディートリヒシュタイン侯爵が尋ねた。

「3男(シャルル・ルイ)は今、イタリアにいます。亡くなった兄ナポレオン・ルイの遺志を継ぐのだと言って」

「そうですか。彼も、ナポレオンの甥だ。さぞかし立派な青年に育ったのでしょうな」



 オルタンスが、甥であるライヒシュタット公擁立に躍起になる理由が、ディートリヒシュタイン侯爵には、いまひとつ、わからなかった。

 ライヒシュタット公の立場は、難しい。彼は、オーストリア皇帝の孫だ。彼をフランス王に擁立すれば、否応無く、オーストリアの影がちらつく。


 フランスは、さっき侯爵が述べた、3つの選択肢のように、複雑な情勢を、見極めねばならない。ライヒシュタット公を王に迎えるのであれば、オーストリアの支配を、完全に振り払うのは難しいだろう。

 それよりも、何の縛りもない、オルタンス自身の息子……ナポレオンの甥……を、ボナパルト家の家長に据え、ルイ・フィリップ失脚の機会を窺うほうが、現実的に思われた。


「いえ、あの子は……」

オルタンスは言葉を濁した。


 侯爵がいつまで待っても、オルタンスの次の言葉は、出てこなかった。








・~・~・~・~・~・~・~・~・~


※1 もうひとりの息子

オルタンスの3男、シャルル・ルイ、後のナポレオン3世です。

このお話では、彼の血統につきましては、7章「オルタンスの息子たち 2」の後書きで記したスタンスでいきたいと思います。即ち、父親不詳(ナポレオンの弟、ルイ・ボナパルトではない)、ボナパルト家の遺伝子は、一切、受け継いでいない、というものです。






お読み下さって、本当に、ありがとうございました。

暑い中、このような入り組んだお話を上げて、ひどく恐縮しています。web小説には、全くふさわしくないというか……。

次回から、真夏のウィーン、そして、コレラ禍で鎖された、シェーンブルンの宮廷生活へと、話は向かいます。

どうか、お楽しみ頂けますように……。






・~・~・~・~・~・~・~・~・~


【以下は、蛇足です。史実との境を言い訳してます。ご興味をお待ちの方だけ】



スイスを通りかかったディートリヒシュタイン侯爵に、ナポレオンの遺言執行人、モントロンが接触したのは、事実です。「アレネンバーグ城の密談 2」に載せたメモは、実際に、侯爵が書いたものを、訳してみました。理屈っぽいのの、大半は、彼の責任です。




同じく、モントロンが、在スイスのオーストリア大使、ボンベルに接触したのも、事実です。


セント・ヘレナで、ナポレオンに妻を寝取られたモントロンですが(差し出したのかも……)、遺言執行人として、極めてナポレオンに忠実で、蛇のように執拗でした。


一例を挙げますと、ナポレオンは、庶子レオン伯に、教育費を出してくれるよう、マリー・ルイーゼと、忠実な養子・ウジェーヌ(オルタンスの兄)に書き残しました。


レオン伯は、ナポレオンの妹カロリーヌの、侍女が、産んだ子です。侍女を、兄の寝所へ差し向けたのは、カロリーヌです。例の、子種なし疑惑解明のためです。

しかし、レオンがナポレオンの子かどうかは、産んだ侍女にもわかりませんでした。彼女は同時に、ミュラ(ナポレオンの部下で、義弟。カロリーヌの夫)とも関係していたからです。


当然、マリー・ルイーゼもウジェーヌも、養育費を出しません。

遺言執行人モントロンは、ナポレオンのかつての妻と養子を相手取り、裁判まで起こしています。



このお話に書いた、5年間の独裁を認める等の条件は、実際に、モントロンが、ディートリヒシュタイン侯爵、ボンベル大使を通して、ウィーン政府に提示したものです。ただし、モントロンは、共和派リパブリカンと組んでいました。


この年、ディートリヒシュタイン侯爵と、ボンベル・スイス大使は、上記の条件を記した、二人ともほぼ同じ内容の報告を、メッテルニヒに提出しています。



なお、ボンベル大使は、後に、パルマの、3人目の執政官になります。ナイペルク→マレシャル(現在の執政官。マリー・ルイーゼと大変、折り合いが悪い)の次です。

やがてボンベルは、マリー・ルイーゼの、3人めの夫(ナポレオン→ナイペルク、の次)になります。こちらもまた、貴賤婚です。

もうどうでもいいというか、こうなることがわかっていて、皇帝は、娘と仲の悪いマレシャルをウィーンに戻し、娘の気に入りそうなボンベルを差し向けた節が……。




ここでは、プロケシュとナポレオーネ、そして、オルタンスの関与のみが、フィクションとなっています。

オルタンスの居城が、スイスにあったことを、根拠としています。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る