やはり現実問題としてプリンスの即位は無理があったのでしょうか……
作者からの返信
もし、フランス王に即位するなら、それはあくまでも、オーストリア皇帝の孫として、だったでしょう。もちろん、ナポレオン2世であることに変わりはないのですが、「ナポレオン」は、名前だけです。
オーストリアは、あらゆる面で、フランスに介入し、やがて彼は、フランス人から疎まれるようになるでしょう。ライヒシュタット公がそれを望むとは、とてもじゃないけど、思えません……。
オーストリアの影を振り落とし、フランスに入る。
その方法を、彼は考えていたと思うのです。
私も、考えてみました。
彼の残した言葉を頼りに、拙いながらも、これから描いていきます。それが、彼が父を超えたという、唯一の証明だと思いますので。
これ本当ですか?
作者からの返信
ここも、前回の続きでして、やっぱり私の用意した「逃げ道」です。(フランソワが通ることは決してないのですが)
ただ、ディートリヒシュタイン・兄が、この時期、スイスを訪れていたのは事実で、オルタンスはじめ、他の人物もスイスに来ることができる時期ではありました。ならば、正統ライヒシュタット派の人々が、一堂に会することも可能なのではないかと。
特にオルタンスとナポレオーネは、最後までライヒシュタット公をナポレオンの後継者として迎えることを望んでいたようです。オルタンスにはまだ、三男(後のナポレオン3世)がいたというのに。