アレネンバーグ城の密談 2


 ライヒシュタット公の家庭教師とその兄ディートリヒシュタイン兄弟は、反メッテルニヒ派だ。


 在スイスのオーストリア大使であるモンベル伯爵は、元々は、フランス貴族である。


 モントロン伯爵は、セント・ヘレナまで、ナポレオンに付き従った、側近の一人である。ナポレオンの遺言執行人でもある。


 そして、ライヒシュタット公の親友、プロケシュ=オースティン。彼が、この会見の首謀者であるという。


 また、ナポレオンの姪、エリザ・ナポレオーネ。彼女の仲介で、プロケシュは、オルタンス・ボアルネの知己を得た。


 オルタンスは、ナポレオンの先妻、ジョゼフィーヌの連れ子だ。ナポレオンの養女であり、弟ルイの妻でもあった。


 女性二人とモントロンは、言わずとしれた、ボナパルニストである。

 オーストリア側は、ディートリヒシュタイン侯爵とボンベル大使、そして、プロケシュ少佐……。

 だが、ボンベルは、元々はフランス人だし、プロケシュは、プリンス親友の為なら、なんでもやってのけるだろう。

 そして、ディートリヒシュタイン兄弟は、反メッテルニヒ派だ。






 一同は、音の漏れない部屋へと、場所を移した。

「ナポレオンの没落により、私達、ボナパルト家の人間が、フランスへ立ち入れない現状は、ご存知ですね?」

女主人ホステスの、オルタンスが口火を切った。


「そもそもブルボン家が、私達、ボナパルト家を追放するからよ」

すかさずエリザ・ナポレオーネが口を出す。

「だから、7月革命で追い出された、自分とこの孫アンリ5世も、フランスに帰れなくなっちゃったんだわ。いい気味」


「だが、今、フランスにおいて、7月王朝現政権に人気がないのは、ご存知のことと思う」

 モントロンが口を開いた。



 去年、7月革命で誕生したルイ・フィリップによる政権は、ブルジョワしか救済していない。もっと下の身分……プロレタリアートの貧困は、そのままだ。ここ数年、フランスでは不作が続いている。経済は安定せず、彼らの不満は募るばかりだ。



「正直、オルレアンの王子たちより、ライヒシュタット公の方が、遥かに人気があるのよ。と、……アンリ5世もね」

 エリザ・ナポレオーネが補足する。最後の一言は、悔しげだ。


 モントロンが、大きく頷いた。

「この夏、フランスで、大きな議論が巻き起こった。結果、ブルボン家のアンリ5世(シャルル10世の孫)とライヒシュタット公ナポレオン2世が、フランスの土を踏んでも処罰の対象にはならない、という結論が出たんだ」



 かつて、ブルボン復古王朝の元で、ナポレオンかつての支配者の親族は、国外追放、フランスへ入国することは許されない、という法ができた。

 それなら、今、7月王朝ルイ・フィリップ政権に追われたブルボン家もまた、かつての支配者として、フランスへの入国は禁じられるはずだ。


 だが、一方で、新政権の王、ルイ・フィリップには、人気がなさすぎた。

 ブルジョワにばかり偏った政策や、ポーランド・イタリア蜂起の際の弱腰。また、新しい外務大臣、セバスティアン・ポルタによる軍事力抑制が、大きな批判を浴びていた。


 今、フランスの期待は、2人の若きプリンス……ブルボン家のアンリ5世と、ナポレオン2世に二分されていた。



「つまり、今、ナポレオン2世がフランスへ帰還したとしても、彼を罰するいかなる根拠も消滅したということだ」

「つまり?」


 勝ち誇ったようなモントロンナポレオンの遺言執行人に、ディートリヒシュタイン侯爵は尋ねた。

 答えはわかっていた。

 答えたのは、オルタンスだった。


「これは、ひとつのチャンスなんです。フランスに姿を現しさえすれば、彼の勝利は確実です。私達は、ローマ王を、フランス王に即位させたい。ナポレオンの唯一の、正当な跡取りに、帝位を継がせたいのです」

「彼自身も、それを望んでいます。ライヒシュタット公にとって、父親の遺した言葉は、絶対です」

言葉を継いだのは、プロケシュだった。

「私は、ウィーンで彼に会ったわ。申し分のないプリンスだった。間違いなく彼は、フランスの王子であることを選ぶわ。オーストリアのプリンスではなく!」

エリザ・ナポレオーネも断言する。

「……」


 ディートリヒシュタインが考えあぐねていると、モントロンが身を乗り出した。モントロンは、ナポレオンの遺言執行人である。


「もし、オーストリアが、ナポレオン2世をフランスに返してくれたなら、わがフランスは、最大限の敬意を持って、彼を迎えよう。皇室の、10万人の兵士が、彼を、パリまでお連れする」

「……」

「議会は彼を支持し、彼による5年間の独裁を認めるだろう」

「なんだって? そんなことが可能なのか?」

ディートリヒシュタインは驚いた。


 5年間の独裁。

 ブルボン家の絶対王政を追い出した国が……。

 第一、フランスは今、ルイ・フィリップの、ブルジョワ政権の下にある。


 さらに、モントロンが、体を乗り出してきた。ほとんど、ディートリヒシュタイン侯爵と、膝をくっつけんばかりにまで、近づいた。

「可能だ。我々は、共和主義者リパブリカンと手を結んでいる。ここでの話は、モーガンの意思でもある」



 モーガンというのは、共和主義者リパブリカンの代表者だ。


 ボナパルニストが、共和主義者リパブリカンと結んでいると改めて聞かされても、ディートリヒシュタイン侯爵には、さしたる驚きはなかった。

 ナポレオンが死んで、10年近い。その息子は、長いこと、ウィーンの帳に覆い隠されている。ボナパルニストだけでの政党存続は、もはや不可能になっているのだ。



 「ライヒシュタット公による独裁を認めると言ったが、」

慎重に、ディートリヒシュタイン侯爵は口を開いた。

「その場合、彼の立場は、どのようなものになるのか」

「どのようなものとは?」

オルタンスが尋ねる。

「3つの場合が考えられる」


 ゆっくりと、ディートリヒシュタイン侯爵は、説明した。


「ひとつ。

 ナポレオン2世は、連合国の支持を取り付け、フランス王となる。この場合、亡命しているブルボン家のアンリ5世との争いには、決着がつくはずだ。ナポレオン2世は、連合国の力を背景にしているわけだから。

 だが同時に、同胞フランス人の信頼は失う覚悟を、しておいたほうがいい。


 ひとつ。

 ナポレオン2世は、オーストリアの援助のみを受ける。パルマ、モデナなど、ハプスブルク家が直接支配する、イタリアの一部の公国も、これに加担する。

 この場合、フランスの政府には、リヨン辺りに引っ込んでもらうことになる。


 ひとつ。

 ナポレオン2世は、ドイツからは、完全に離脱する。だがこの場合は、フランスからオーストリアへの、なんらかの見返りがあるべきだ。

 ……」



 オルタンス、ナポレオーネ、モントロン、そしてプロケシュは、顔を見合わせた。

 フランス人3人とプロケシュプリンスの親友は、情熱だけで突っ走ってきたのだ。

 ただただ、ナポレオン2世をフランス王に即位させたい一心で。

 友を解放し、その希望を叶えてあげたい気持ちだけで。


 だが、ことはそれほど簡単ではないらしい。

 プリンスの後ろには、オーストリアがついている。





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