ユゴーとエミール


 「何してるのさ、ユゴー」

フランス、パリ。

 部屋に入ってきたエミールは、机に向かっている作家に声を掛けた。


 詩作でないことは、明らかだ。

 すらすらとペンが進んでいたから。

 目も上げずに、ユゴーが答えた。


「ジョゼフ王に手紙を書いているんだ」

「ジョゼフ……王?」

「ナポレオンの兄だよ」



 ボナパルト家の長兄、ジョゼフは、一時期、スペインの王だったことがある。ナポレオンの没落後は、アメリカへ移住し、そこに、ボナパルニストの集まりを作っていた。



 ユゴーは、手紙を読み上げた。


 節理は、ゆっくりと移行します。しかし、ものごとは、より迅速に進めねばなりません。私は、フランスと自由を支持し、それゆえ、あなたの甥の将来を信じます。彼は、必ずや、卓越した献身を、このフランスの国に捧げてくれるでしょう。

 ……


 エミールの眼が輝いた。

 「ローマ王、担ぎ出しの要請だね?」

大きく、ユゴーが頷く。

「俺の先輩のシャトーブリアンも、ライヒシュタット公のフランス帰還は、肯定している。彼の声は、でかいからな」



 シャトーブリアンは、ユゴーより、34歳も年長だ。押しも押されぬ大詩人である。ユゴーはシャトーブリアンに影響されて文学の道に入り、シャトーブリアンもまた、この年若い後輩を、評価している。



 エミールが首を傾げた。

「シャトーブリアン? ブルボン派だろ? 彼は、アンリ5世(※)の即位を支持していた筈だ」



 そもそもナポレオン帝政下から、シャトーブリアンは、頑固な王党派だった。



 ユゴーは、首を横に降った。

「それは、シャトーブリアンが、ライヒシュタット公のドイツ風のしつけを疑っているからに過ぎない。彼の本音は、フランスの未来は、アンリ5世とライヒシュタット公、等分にありうると思っているんだ」

「等分?」


 エミールがいやな顔をした。

 すかさず、ユゴーが意見を述べる。


「俺はもちろん、フランスには、ナポレオン2世がふさわしいと思っている。ただ、フランスに来れないというのが、問題なんだ」

「そうだよ! フランスにいないから、ローマ王の素晴らしさを、わかってもらえないんだ!」

「だが、あのオーストリアの密偵……猜疑心の強いアシュラが、あれだけ心酔しているんだ。ローマ王は、ドイツ流の教育で、その才能を刈り込まれてなんかいない。ましてや、一部のバカ者どもが言っているような、発達障害など、中傷以外の何物でもない」


ユゴーは机を叩いた。エミールが大きく頷く。


「彼は、立派な、帝国の跡継ぎだ。彼だけが、フランスの正当な後継者なんだ。……まったく、アシュラは……あの密偵は、何をやってるんだ? とっとと彼を、フランスに連れてくればいいのに。俺らと一緒に、ナポレオン2世万歳って叫びながら、一緒にパリの街を練り歩いたくせに!」


「フランソワ、万歳! だったぞ、彼が叫んでいたのは」

詩人が訂正する。

「同じことだよ!」


「アシュラは……」

ぽつんと、ユゴーがつぶやいた。

「彼は、ガブリエルが死んだのが、よほどショックだったんじゃないかな。王座に乗せられた子どもの死体に、耐えられなかったんだ」



 ……「王座というものは、木枠にを貼り付けた、玩具に過ぎないんじゃなかったのか」

 ナポレオンの言葉を引いてから、アシュラは問うた。

 ……「君らは、本当に、この椅子に、を座らせたいのか? 子どもガブリエルの血で汚れた、この椅子に?」



 エミールは首を横に振った。

「大義に犠牲はつきものだ。ローマ王の為になれるのなら、ガブリエルだって、本望だったはずだ」

「だが、王位に就いたのは、ルイ・フィリップだった。ガブリエルの死は、犬死にだったわけだな」

「ユゴー!」

「だが、我らの敗北は、状況による敗北に過ぎない! ライヒシュタット公があの場にいたら、勝利は、確実に彼のものだった」

「間違いなく!」


 机の上の手紙を、ユゴーは、握りしめた。

「ナポレオン亡き今、ボナパルト家の家長は、長兄のジョゼフだ。それで、俺は、ジョゼフに手紙を書いた。俺は、絶対的に、ライヒシュタット公の即位を保証する。この国フランスの若い世代も同じだ。フランスの若者は皆、彼を支持していると!」


「その通りだ! そうか。ジョゼフ王か。なるほど。彼なら、ウィーンから、ローマ王を連れ戻せる。なんてったって、ボナパルト家の家長なんだから。血の繋がった、彼の伯父さんなんだからね! ユゴー。あんたは偉い! さすが詩人だ!」


 手放しで褒めちぎった。ユゴーは、照れることなく胸を張った。


「俺は、紙の上だけの芸術家とは違うんだ。実践する詩人なんだよ」








〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜


※アンリ5世

イギリスに亡命中のブルボン家の王子で、シャルル10世の孫です。父はベリー公アンリ・ダルトワ、彼が生まれる直前に、ナポレオン派の馬丁に暗殺されました(ナポレオンは無関係です)。

母のマリー・カロリーヌは健在ですが、あまりにアレな性格なので、姉とともに、伯母であるアングレーム公妃、マリー・テレーズ(アントワネットの娘)に、養育されました。


詩人で、王党派のシャトーブリアンは、亡命中のアンリ5世を訪ねますが、古めかしいイエズス会の牧師から教育を受けているのに、衝撃を受けます。(王の子どもには、従来は、王や王妃の親友が、初等教育を施してきたそうです。それよりは、マシといえば、マシだったんですが……)

シャトーブリアンの提言もあり、教育熱心なマリー・テレーズは、甥にふさわしい、近代的な教育を目指すようになります。


ブルボン家のアンリ5世と、ナポレオンの息子ライヒシュタット公は、ルイ・フィリップよりよほど、フランス王としてふさわしいと、フランス国内では見做されていました。

これが、アンリ5世の母、奇矯な性格のマリー・カロリーヌの野心に火を点けます。そして、あいかわらず、ライヒシュタット公は、ウィーンから出してもらえない……。



※※

ユゴーとエミールにつきましては、7章「7月革命①~③」ご参照下さい。


ユゴーは、実在の作家、ヴィクトル・ユゴーを念頭に置いています。7月革命への参加はフィクションですが、ナポレオンの兄、ジョゼフ・ボナパルトに、ライヒシュタット公担ぎ出しの手紙を書いたのは、本当です。また、反ナポレオン派だったシャトーブリアンの、ライヒシュタット公の見方も、この通りでした。


エミールは、マリー・ルイーゼの従僕と、お針子の間にできた子です。幼いフランソワの、たった一人の、遊び友達でした。

マリー・ルイーゼがパルマへ旅立つ時、彼も、両親と一緒についていったのですが、その後については、わかりません……。




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