この世で最も優しく、繊細な贈り物


 「おい、そっち! もっと下げて! ぶつけるな!」

「注文が多いんだよ、ダッフィンガー。早く包みを剥ぎ取らないと……」

「だから、丁寧にやれって!」


アシュラと、画家のダッフィンガーが、こそこそと動いている。


「全く殿下も……。今頃になって……」

「お前もだ、ダッフィンガー。殿下の任官の時期は、知っていたんだろう? だったら、前もって準備ができたはずだ」

「してたよ! すごい傑作だったんだ。殿下のご注文どおり、ひと目で、ナポレオンの息子だってわかる、意欲作……。だが、そっちは、フランスの元帥にあげちゃったんだ」

「フランスの元帥? マルモン元帥か?」

「ああ、そうそう、マルモン。ナポレオンの話をしてくれたお礼だって言って、最後のレッスンの時に」



 メッテルニヒの許可を得て、マルモン元帥は、フランソワに、ナポレオン戦争の話を講義していた。マルモンは、元、ナポレオンの部下だ。

 もっともメッテルニヒは、ナポレオンの悪いところ……その野心や幻想など……についても、きちんと触れるように釘を差したのだけれども。

 そのマルモンの講義が、フランソワの入隊の、少し前に、終わっていた。



 アシュラが口を尖らせた。

「なんだよ。殿下は、マルモン元帥にも、ご自分の肖像画を上げたのか?」

「ああ。ナポレオンの話をしてくれたお礼だって言って。よっぽど嬉しかったんだな。父親と一緒に戦った人の話を聞けて」

「だって、マルモンは、ナポレオンを裏切ったんだろう?」



 パリ陥落に際し、真っ先に連合国軍に降伏したのは、マルモンだ。これにより、ナポレオンは、退位を余儀なくされた。



「マルモンは、情況の犠牲になっただけだって、殿下は言ってたぜ? まあ、そういうことなんだろ?」

「ふうん。てか、なんで殿下は、男にばかり、自分の肖像画を上げるんだ?」


 肖像画を贈ることは、異性への恋心の証だとされている。


「知るかよ」

 憮然として、ダッフィンガーが答えた時だった。

 下から、こつこつこつ、と、壁を叩く音が聞こえた。

 守衛の合図だ。


 「帰ってきた!」


 アシュラとダッフィンガーは顔を見合わせた。

 二人は静かに、けれどかなり慌てて、その部屋を出ていった。





 ディートリヒシュタインは、寂しかった。

 ついに、彼の手に最後に残された下の娘、ユーリアも結婚し、遠く家を離れてしまった。


 いや、結婚は、めでたいことだ。新たに息子となった婿は、(新婦の父親にそっくりの)融通がきかない男だと評判が悪い。だがそれは、真面目で堅実な男だということだ。この結婚を、ディートリヒシュタインは、祝福していた。


 彼が、本当に寂しかったのは……、

 ……16年間にもわたって、ずっとその成長を見守ってきたプリンスと、隔たってしまったことだ。プリンスがウィーンに来てからずっと(それは、彼がまだ、4歳の時だった)、ディートリヒシュタインは彼とともにあった。



 子どもの頃の彼は、それはそれは頑固で、生意気で、……かわいらしかった。


 思春期を迎えると、ぼんやりと覇気のない様子でいることが多くなった。でも、今ならわかる。プリンスは必死で、自分の内面を隠していたのだ。

 相手を困らせないよう、用心深く周囲の人と接し、「ナポレオン」という存在を探っていた……。


 15歳の終わり頃、プリンスは、激変した。急に勉学に熱心になり、あらゆる学科に積極的に取り組むようになった。夜遅くまで机に向かう彼に、ディートリヒシュタインは、早く休むよう、注意せねばならなかった。


 これは、ナポレオンの遺書を読んだせいだと教えてくれたのは、同僚のフォレスチだった。彼はプリンスに、オーストリアの英雄、シュワルツェンベルク元帥のエッセイを書かせた。その為の資料に、ナポレオンの遺書が掲載されていた、というのだ。


 やがて皇帝から、ナポレオンについて触れても良いという許可が出た。

 現代史を受け持つオベナウスが、フランス革命からの流れの中で、ナポレオンについて、講義をしていった。3人の家庭教師は、ナポレオンを、情況の犠牲者として扱うことで、一致していた。


 だが、プリンスの意見は、違ったようだ。

 彼は父を崇め、尊敬した。


 ディートリヒシュタインは、彼の父への傾倒を、咎めなかった。あまつさえ、それを、語学学習に利用しさえした。ナポレオンを擁護している珍しい本を見つけ出し、ドイツ語で書かれたその本を、フランス語とイタリア語に翻訳させたのだ。イタリア語翻訳には、フォレスチも協力した。


 その本の著者が、プロケシュ=オースティンだった。

 思った通り、プロケシュは、プリンスの良き友になってくれた。


 それなのに彼は、遠くボローニャへ赴任させられてしまった。

 そして、ディートリヒシュタイン自身も、家庭教師の職を辞した。


 熟慮の末のことだった。


 宮廷の中には、ディートリヒシュタインが、その立場を利用して、プリンスを思うがままに操縦している、と、陰口を叩く者もいた。ディートリヒシュタインはそれを、兄から知らされた。


 フランスの7月革命や、エリザ・ナポレオーネナポレオンの姪の接近などで、この頃、兄の助言を仰ぐことが増えていた。


 兄の侯爵は、メッテルニヒに対抗する勢力として知られていた。ディートリヒシュタイン自身にも、兄と同じく、宰相には与しない姿勢があった。


 同僚のオベナウスは、メッテルニヒが宰相となってから家庭教師に選ばれた。メッテルニヒのスパイではないが、小心で、宰相には従順な男だ。


 翻ってディートリヒシュタインとフォレスチは、最初からの家庭教師だ。当時、メッテルニヒは、まだ、外相だった。ディートリヒシュタインとフォレスチは、メッテルニヒとは全く関係のない方面からの推薦だった。


 フォレスチと違う点は、ディートリヒシュタインは、間違っていると思ったら、臆せず口にする性格の持ち主だということだ。

 ディートリヒシュタインへの中傷は、彼の態度と、兄の侯爵への危機感を募らせた、宰相側の差配だろう。


 もちろん、そんなものは、でもなかった。


 ただ、メッテルニヒは、皇帝の寵臣である。

 もし、プリンスにまで、累が及ぶことがあったら……。


 既に、メッテルニヒ邸で、プリンスが、「私生児」と罵られたことを、ディートリヒシュタインは聞き及んでいた(※1)。


 ただでさえプリンスは、宰相の喉に刺さった棘、大きく開いた傷口と囁かれている。宰相を悩ます彼を、メッテルニヒの新しい妻メラニーは、ひどく嫌っているという。


 いろいろ考え合わせ、ディートリヒシュタインは、家庭教師の職を辞する決意をしたのだった。



 もちろん、家庭教師を辞めた後も、いつだって、プリンスに会うことはできる。

 だが、たとえば、ディートリヒシュタインは、軍のことに関しては、一切、口出しができない。


 彼は、プリンスの体調が心配だった。

 見るたび、彼が痩せていくようで、気がかりこの上もない。


 ……軍の担当者、ハルトマン将軍やモル男爵は、気がつかないのだろうか。毎日見ていると、わかりづらいものなのか。それならなぜ、宮殿の連中は、何も言わないのだろう。明らかに、プリンスは痩せ、声が枯れているというのに。


 だが、医師のマルファッティは、心配はないと言い切った。

 プリンス自身、頑として、体調の悪さを認めようとしない。いつだって、元気いっぱいという素振りを押し通す。彼は、(今までどおり)ディートリヒシュタインのあらゆるアドバイスを無視し、ついに得た解放を、独立した生活を、謳歌していた。


 ……軍務に就くなら、名誉職にすべきだ。

 ディートリヒシュタインは思った。

 ……プリンスは嫌がるだろう。しかし、少なくとも、過酷な訓練からは離れることができる。



 思い煩いながら、彼は、家に帰ってきた。

 心から愛する者から離れ、彼は消耗し、疲れ切っていた。

 そのまま、まっすぐ、寝室へ向かう。


 そして、ディートリヒシュタインは、見つけた。

 自分のベッドの脇に、およそこの世で考えられる限り、最も優しく、繊細な贈り物が立て掛けられているのを。


 プリンスの肖像画だった。


 絵の中で、彼は、顔の全てを晒して、こちらを見ていた。広い額、セットされておらず、好き勝手にうねる髪。普段のままの、気取らない、プリンスの顔だ。

 澄んだ恥ずかしそうな眼差しで、ディートリヒシュタインを見つめている。そのふっくらとした唇には、子どもの頃と同じ、内気そうな含み笑いが浮かんでいた。


 プリンスは、フロック姿で、椅子に腰掛けていた。左手は、膝の上のスカーフと手袋の上に載せられている。

 ほっそりとした右手は、傍らの机の上に載せられていた。鉛筆を握っている。鉛筆の下には、紙が延べられ、紙には、優美な字で、こう書かれていた。


「永遠の感謝をこめて」(※2)


 プリンス自身の筆跡だった。ディートリヒシュタインには、すぐにわかった。彼が、自分の手で、絵の中の紙に、書き込んだのだ。


 机には、他に本が2冊、乗っていた。そのうちの1冊の背表紙には、タイトルが刻まれていた。『ナポレオンの物語』と。


 ……プリンスの、ナポレオンの息子としての、「永遠の感謝」。


 ナポレオンの息子。

 そんなものがなくても、ディートリヒシュタインの、プリンスを誇りに思う気持ちに、変わりはない。


 ナポレオンの息子。

 だが、絵の中の本に刻まれたタイトルもまた、プリンスからの感謝の表れだった。


 ……最後の最後に、ナポレオンの息子であることを、否定しなかった。

 ……フランス王即位を、心の底で、待ち望んでくれていた。


 プリンスの気持ちが、痛いほど、伝わってくる。

 ディートリヒシュタインは圧倒され、立ちすくんだ。

 やがて、静かに、啜り泣き始めた。









・~・~・~・~・~・~・~・~・


※1 私生児

ナポレオンと先妻ジョゼフィーヌとの離婚は、教皇の許可を得たものではありませんでした。(1「お妃探し 2」参照下さい)

 ……ローマ教皇の許可のない離婚は、認められない。また、重婚は許されないから、ナポレオンとマリー・ルイーゼの結婚は無効である。

よって、その息子は、マリー・ルイーゼの私生児だ。


という意見が、ナポレオンが没落した時、オーストリア側から出されました。

当時は、皇帝の孫からフランスの影を消し、オーストリアだけのものにしようという、オーストリア側の理屈でした。


しかし、時が経つにつれて、また、マリー・ルイーゼとナイペルクとの不適切な結婚が公になったことから、「私生児」は、次第に、ライヒシュタット公への、単なる中傷となっていきました。




※2「永遠の感謝をこめて」


今回のお話は、ディートリヒシュタイン伯爵の手記を元に構成されています。

ダッフィンガー制作のこの絵は、現在、 リヒテンシュタイン侯爵夫人の所蔵になっています。ディートリヒシュタイン家の男系は絶えてしまったので、伯爵の娘、ユーリアからの流れのようです。


なお、1831年9月28日付で、プリンスはディートリヒシュタインに、

僕の心からの感謝の気持ちは、先生が僕の教育に対して払ってくれた苦労と同じくらい、不滅です

という手紙を書き送っています。



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