結婚式
ウィーンの教会で、結婚式が行われた。
聖歌隊が、神を讃え「テ・デウム(聖歌のひとつ)」を、荘厳に歌い上げる。ステンドグラスの幼子イエスが、春の日差しを、晴れやかに染め上げていた。
ディートリヒシュタインは、祭壇へ目を向けた。
そこには、彼の誇り、自慢が、凛として佇んでいた。
背が高く、すらりとした体つきは、礼服の腰を絞ったデザインを一層美しく際立たせている。金色に輝く髪が、聡明な額を縁取っている。白い肌、赤くふっくらとした唇、そして……ここからではよくわからないが、ディートリヒシュタインは知っている……澄んだ青い瞳。
「テ・デウム」が、華やかな祝典の音楽に変わった。
幼い少女達が、わっとばかりに飛び出し、バージンロードに、手に持った籠から、花を撒き散らし始めた。
参列者たちの期待が、高まってくるのが感じられる。
左肘を、そっと促されたのを、ディートリヒシュタインは感じた。
ぎこちなく、彼は、緑色の絨毯に、一歩を踏み出した。
右足を一歩踏み出し、左足を揃え。左足を一歩踏見出し、右足を揃え。
ゆっくりゆっくり、進んでいく。
意識して折り曲げた左の肘には、ユーリアの、右手が絡みついている。彼の娘だ。ぎくしゃくとした
ディートリヒシュタイン夫妻は、5人の子どもを授かった。しかし、成年まで達したのは、末のこの娘と、長男のモーリツ・ヨーハンだけだった。
……本当は、嫁になど、出したくなかったのだ。
ディートリヒシュタインは、横を歩く娘の晴れ姿を、ろくに見ていない。そんなことをしたら、泣き出してしまいそうだった。
けれど、今、ユーリアが、最高に美しいことだけは、わかっていた。
……咲き誇る花の。生涯で一度だけ許された。美。
けれどその時は、彼にとって、愛する娘との別れを意味していた。
ディートリヒシュタインは、再び、祭壇に目を移した。
新郎のカール・オッティンガーは、26歳の新婦より、11歳年上。真面目一徹な男だ。堅物で面白みがないとも言われていたが、ディートリヒシュタインは、満足だった。
新郎が、しゃちほこばって新婦を待っていた。緊張のせいか、その顔は、引きつって見える。
花婿付添人が、そっと、退くのが見えた。
……プリンス、ありがとう。
感謝の眼差しを、ディートリヒシュタインは、祭壇を下りていく青年に送った。
……。
「だって、新郎付添人は、新郎側の友人が務めるものでしょう?」
ディートリヒシュタインが、娘の結婚式で、花婿付添人になってほしい、と言うと、プリンスは、渋った。
「僕は、新郎の
それは、ユーリアが、彼に恋をしたら、大変だからである。その逆は、ディートリヒシュタインは、全く考えなかった。
プリンスは、物憂げに、読んでいた本から目を上げた。
「人前には、出たくないな。先生の親族の前なら、なおさらです。僕は今、無職の身だし」
「無職じゃないでしょう? 赴任地が決まるのを待っている、待機期間だ」
「でも……」
「お願いだ、プリンス!」
ディートリヒシュタインは粘った。
「お願いだから、ユーリアの結婚式の、花婿介添人になってくれ」
なおも、プリンスは、ためらう。
「だって、僕は先生の、デキの良くない生徒ですし……」
「そんなことはない!」
「ええっ!? いつもそう、言ってるじゃないですか」
「そんなことはないから」
「なら、褒めてくれます?」
「……何を?」
「……」
思い切って、ディートリヒシュタインは、頭を下げた。
「私を喜ばせると思って。頼む。ほれ、この通り」
「先生……」
初めて見る、師の謙虚な姿に、プリンスは、当惑したようだった。殆ど、狼狽してさえ見える。
更に、ディートリヒシュタインは頼み込んだ。
「な? 祭壇に立ってるだけでいいから。新郎の横に」
「……先生。喜んで下さるんですか? 僕が、ユーリアの結婚式で、花婿の付添人を務めたら」
「もちろん! もちろんだよ、フランツ君!」
思わず、子どもの頃の呼び名で呼んでしまった。
プリンスの顔が綻んだ。ウィーンのすべての人が愛する、春の花のようだった。
「わかりました。お引き受けいたします」
……。
……私は、いつだって、心の中で、君を賞賛していたよ。
ユーリアと共にヴァージンロードを歩きながら、ディートリヒシュタインは、胸の裡でつぶやいた。
……君は私の、生涯の、最高傑作だ。
だが、間もなく、ディートリヒシュタインは、愛する
ディートリヒシュタイン自身が、そう決めたからだ。
娘の結婚式で、プリンスに、花婿付添人役を務めてもらう……。それは、16年間にも及ぶ家庭教師生活の中で、ディートリヒシュタインの、最初で最後の
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