応援コメント

エステルハージ家のドラ息子」への応援コメント

  • なんか飛び立たないフランってをもどかしく
    感じました😊

    作者からの返信

    飛べない鷲の子、が、ライヒシュタット公の悲劇であり、当時から、彼に関する作品のテーマでもありました。才能があり、父への憧憬があったのだとしたら、本当に気の毒なことだと思います。

    「飛べない」ということは、作品に限界を与える壁でもあったのだと、今にしてわかった気がします。歴史小説として、主人公が動きを奪われた作品は、やはりどうしても引きこもってしまい、息苦しさを読み手の方に与えます。ライヒシュタット公の悲劇であると同時に、うまく料理できなかった私自身の至らなさに繋がってしまったのかもしれません。

    130万語も書いといていまさら、って感じですが。

    にもかかわらず、応援、コメント、本当に申し訳ありません。ありがとうございます!

  • フランソワにとって、孤独の対義語は恋でも愛でもなくて、ただ友人であったのだろうと思います。近い立場の人。それだけ……

    作者からの返信

    本当に、心の底から、友達が欲しかったのだと思います。それはもう、気の毒なくらい。
    何かしたくても、一人では何もできない。それが、身にしみていたのではないでしょうか。白馬の王子様を待つ、お姫様に似ている気さえします。彼は、父への敬愛さえ、否定されて育ちました。

    ちょっとだけ、エステルハージ家のドラ息子の為に弁護しますと、ライヒシュタット公の親友になりたい、という気持ちは、彼の方でも、相当に強かったようです。彼は、プロケシュ少佐を羨む手紙を、後に、少佐に書き送っています。いずれにしろ、政治的なことは難しすぎて、モーリツの手には負えなかったようですが。

    そして、ライヒシュタット公の方は、政治的な意見を戦わせ、自分を高める為には、プロケシュが一番の友人でしたが、より俗な方面で気を許していたのは、モーリツ・エステルハージの方であったようです。

    孤独な彼にも、友情の輝きがあったことをお伝えしたく、特にプロケシュの方は、いろいろ疑問に思うこともあるのですが、ライヒシュタット公が信じていたというただ1点をもって、親友認定しました。

    編集済