プルードンの黄金のゆりかご
その頃、フランソワとプロケシュは、あらゆる角度から、ヨーロッパ情勢を検討していた。
どこの国なら、彼を迎え入れることができるのか。
同盟軍の許可は、どこの領有を、ナポレオンの息子に許すだろう……。
結果は、絶望だった。
……今は、ナポレオンの部下との連絡を大切にすべきだ。
結局、二人の友は、この結論に落ち着いた。
とりあえず、ナポレオンのかつての部下……イギリス大使のパーティーで知り合った、マルモン元帥……との繋がりを、絶やさないようにするしかない。
プロケシュと会えない日には、ナポレオンの幕僚のリストを作っていると、フランソワは言った。
「もし万が一、パリに行けたなら、会いたい人達のリストです」
希望をこめて、彼は伝えた。
「プリンス。私は、考えたのですが……」
ここのところ、ずっと考え続けてきたことを、プロケシュは尋ねた。
「あなたを、あなただと証明できるようなものが、何かあるでしょうか」
「僕を、僕だと?」
フランソワは、わけがわからない、という顔をした。
その名を口にするのを、プロケシュは、一瞬、ためらった。
なぜかはわからない。
「……ナポレオンの息子だと」
「!」
驚いたように、フランソワは、プロケシュを見つめた。
確かにこれは、屈辱的な質問だった。
だが、プロケシュは、続けた。
「昨年の11月に、ナポレオーネ・カメラータ伯爵夫人がウィーンに来た時、彼女は、あなたの顔を知りませんでした。彼女が手に入れた肖像画はあまりに不確かで、恣意的でした。従姉でさえ、わからなかったのです。まして、血の繋がりのないボナパルニストには、ほぼ、絶望でしょう。出回っている肖像画を元に、あなたを識別することはできません」
「つまり僕は、自分で自分を証明しなければならないわけですね。……
静かに、フランソワは言った。
「お許しください、プリンス。しかしフランスでは、誰も、あなたの顔を知らないのです。あなたが父親を愛し、真心を捧げていることさえ」
「……」
「それが、7月革命で、ルイ・フィリップに王座を奪われた理由です」
「ナポレオンの息子であることを、端的に証明するものがあればいいのですね?」
あいかわらず、プリンスの理解は早かった。
プロケシュは頷いた。
「それなら……プルードンが作ったゆりかごはどうでしょう」
「プルードンの……黄金のゆりかごのことですね!」
プロケシュでさえ、そのゆりかごのことは知っていた。
ナポレオンの息子が生まれた時、パリ市が、献上したものだ。
ベッドの側面には、ローマの狼(ローマを建設したとされる。また、ローマ王の称号にちなむ)を鋳造した黄金の板が貼られていた。また、反対側の側面には、パリ市を象徴すべく、セーヌ川の女神を描いた板がはめこまれていた。そして、ゆりかごのあちこちを、蜂(ナポレオンの紋章)が飛んでいる
赤子が横たわると、その頭上には、勝利の女神がいる。彼女は、月桂樹の花冠と、星の冠を捧げ持っている。女神の反対側、赤子の足元からは、まだ飛び方がわからない、小さな鷲が、この女神を見上げている……。
ゆりかごは、パリ市とローマ王、そして、ナポレオンの密接な結びつきを表していた。
また、黄金をふんだんに使っていることから、そうそう、複製ができるものではない。
ナポレオン2世としての、またとない、身元証明といえよう。
「ゆりかごは、お母様がパルマへ持っていかれました」
プリンスは、瞳をプロケシュに据えた。
「しかし、僕が欲しいと言えば、下さるはずです」
「是非、お手元に取り寄せておいて下さい。いずれ、必要となります」
短く、プロケシュは言った。
今はまだ、何も保証はできない。
夢を描かせ、プリンスを失望させたくなかった。
少しずつ、地固めをせねばならない。
全ては、それからだ。
「近い内に、私は、フランスへ行きます。プリンス。あなたの代わりに」
「少佐が?」
「ええ」
青い瞳が輝いた。熱い眼差しでプロケシュを見つめ、プリンスは囁いた。
「どうかその目で確かめてみて下さい。誰を頼りにしたらいいか。誰なら、僕の為になってくれるか」
「任せて下さい」
力強く、プロケシュは約束した。
この友の為なら、なんでもしよう……。
いつの間にか、彼は、そう思うようになっていた。
*
忍びやかな足音が聞こえた。
「お前か、アシュラ」
フランソワは、机に向かい、書き物をしていた。振り返りもせず、ペンを動かしている。
「画家のダッフィンガーから、アトリエに来て欲しいと連絡がありました」
後ろの人影が伝えた。
手紙を書きながら、フランソワは答える。
「近いうちに行くと、伝えてくれ」
「マルモン元帥に、貴方の肖像画を、贈られるのですか?」
「最後の講義の時にね。彼の話は楽しかった。僕は、父の戦う姿を、目の当たりに見る思いだった。想像していた通り、勇敢で、ためらいのないその采配……。父の戦場での姿を、知ることが出来てよかった。マルモンには、感謝している」
「彼を、許すおつもりなんですね」
「許すも何も、」
フランソワは、腕を伸ばし、ペン先をインクに浸した。
「マルモンはただ、全てに失敗しただけだよ。最初の結婚、貿易業、父に対する忠誠心さえね! 初めての政治的判断……ナポレオンを裏切り、連合国へ投降したこと……も失敗し、不当にも、マルモンは、悪評を被った。僕に関して言えば、その失敗のせいで、ヨーロッパの王冠をフイにしたってわけさ」
ぶつぶつと続ける。
「だから、もし、僕が、フランスへ行くようなことがあったとしても、僕は彼を随員には抜擢しない。彼は、失敗の源だからね」
「それは、ずいぶんなおっしゃりようですね」
「そうか? 先日、補佐官のドゥ・ラ・ルイに伝えた言葉だが……本当は、マルモンに言いたかったことなんだ」
「ヴァンドームの柱に敬意を評してくれ、というあれですか?」
「うん。フランスの将校たちは言わなかったが、今、ヴァンドームの柱の上に、ナポレオン像がないことは、僕だって知っている」
ヴァンドーム広場に、ナポレオンは巨大な柱を建て、そのてっぺんに、
だが、ナポレオンの失脚後、このナポレオン像は、ブルボン家により、取り壊されてしまった。
フランソワはため息をついた。
「いったい、誰のせいで、ヴァンドームの柱は、無人になったのか……。そこのところを、マルモンには、よく考えて欲しかった。だが、マルモンは、少しも恥じることなく、僕の願いを実行してくれるだろう。僕の為を思って、大真面目で柱に向かって頭を下げるだろうさ。彼は、ややこしい男だよ」
手紙の末尾に、フランソワは署名を書き終えた。
「できた。お前、帰りがけに、これを、プロケシュ少佐に届けてくれない……か……」
振り返ったフランソワの手から、手紙が滑り落ちた。
モルの柔らかな手が、それを拾い上げた。
「アシュラじゃなかったのか……」
呆然として、フランソワがつぶやく。
「アシュラ……プリンスは時々、その名をおっしゃる」
実直なモルは首を傾げた。
「どなたですか、その方は」
「間違えただけだ。気にするな」
「はい」
軍人の習慣として、即座にモルは、上官の命令に従った。
少しためらった後、続けた。
「ですが、プリンス。本日のお言葉は、先日、プロケシュ少佐と話し合ったことと、ずいぶん、違いますね」
……今は、ナポレオンの部下との連絡を大切にすべきだ。
フランソワとプロケシュは、そういう結論に落ち着いた。
「……聞いていたのか、お前」
フランソワの目に、剣呑な光が宿った。
「いえ、」
モルの顔に、狼狽が浮かんだ。
「偶然です。部屋の外まで来たら、偶然、声が聞こえて」
「盗み聞きしたわけか」
「盗み聞きなど! 決してそのようなことではありません!」
「お前たちの職務だものな」
氷のように冷たい声だった。
「お前を信じた僕が、愚かだったんだ」
「プリンス……」
「その手紙を、プロケシュ少佐に届けてくれ。安心しろ。この国や政府に逆らうようなことは、書いてないから」
「いいえ!」
手紙を掴んだまま、必死でモルは首を横に降った。
「読むなと一言、命じて下されば!」
「いいや。読んでくれて構わない。家庭教師達も、そうしていた」
「殿下……」
「だが、僕はお前を軽蔑する。僕はお前を……」
言いかけた言葉を、フランソワは飲み込んだ。
友達、という言葉が、モルは、聞こえた気がした。
*~*~*~*~*~*~*~*~*
※パリ市がローマ王に贈った、プルードン作のゆりかごは、wiki に画像があります。
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Cradle_of_the_King_of_Rome
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