外交の道具に


 7月革命この方、オーストリアは、フランスの新政権ルイ・フィリップを、容認してきた。

 ブルボン王朝から引き続き、アルジェリアを侵略するのも見逃したし、ラテン・アメリカや極東に興味を持っているのも、気づかぬふりをしてきた。

 もちろん、今回、モデナで蜂起したカルボナリが、密かに、フランス政府と連絡を取り合っているのも知っていた。


 

 メッテルニヒは、見て見ぬふりを通した。

 だが、今度ばかりは、見過ごす訳にはいかない。


 よもや皇帝の娘が、徒歩で、オーストリア軍の援助を求めてくるとは!


 父の評判を貶めてばかりだが、マリー・ルイーゼは、皇帝の娘なのだ。

 このような、皇帝の権威の失墜に繋がるような事態を、許すわけにはいかなかった。



 オーストリアには、イタリアの騒乱を放置する意思はなく、フランスの干渉は、容認されない。


 メッテルニヒは、ルイ・フィリップに通達を送った。


 「もし、言うことを聞けぬとあらば、鷲の子を檻から解き放つぞと言え。ナポレオン2世を、イタリアへ差し向ける、と」

さらに宰相メッテルニヒは、口頭で使者に伝えた。





 ……ナポレオンの息子が、イタリアを背負って、攻めてくる。

 ルイ・フィリップは、震え上がった。

 そうなったら、もはや、ルイ・フィリップに勝ち目はない。彼には、人望がなさすぎた。


 フランス政府は、イタリアのカルボナリへの軍事援助は、差し控えると明言した。また、国内の革命家を拘束することさえ、ルイ・フィリップはやってのけた。

 フランス新王ルイ・フィリップは、国内に沸き起こったイタリア蜂起への賛同と協調の声を抑え、全面的に、オーストリアを支持したのだ。





 全ては、メッテルニヒの思惑通りだった。

 もちろん、彼には、ナポレオンの息子を解放する意思など、毛頭、ない。

 ただ、フランスが小賢しい真似をするのを抑え、堂々と、イタリアへ出兵したかっただけだ。





 1831年3月12日。

 マリー・ルイーゼが、イタリアの独立を要請する民衆らと対峙した、ちょうど1ヶ月後。

 オーストリア軍は、パルマに進軍し、これを制圧した。


 同時に、モデナにも進軍し、オーストリアの直接支配下にある領邦を、奪還した。

 また、ボローニャを制圧し、これに伴い、イタリアの革命政府は瓦解、カルボナリは四散した。 

 この時に逮捕されたカルボナリの一人、マッツィーニは、釈放後、マルセイユに亡命し、青年イタリア党を結成した。

 だが、イタリアの統一は、まだまだ、遠かった……。







 「時とは、短いものなんだ。準備に費やす時間なんて、ありはしない。いつになったら、僕は、行動を起こせるんだ?」


 フランソワには、イタリア進軍を許されなかった。彼の憂愁を救うものは、ただ、行動であるはずだった。

 しかし、プラハへの……プラハ以外でも……赴任の辞令は、なかなか下りなかった。


 フランソワは、中尉の肩書だけを持ち、しかし、率いるべき自分の軍を持たない、ただの訓練生だった。


 依然として鷲の子イーグレットは、ウィーンの止まり木で、羽を縮め、頭上を重く覆う檻を見上げ……。







 3月9日。パリのヴァンドーム広場に、労働者たちが集った。

 1万人とも、1万2千人ともいわれる彼らは、一斉に、声を上げた。


「ナポレオン2世、万歳!」


 これは、オルタンスと、彼の三男、シャルル・ルイの陰謀だと言われている。

 ラファイエットなどの人民派は、フランスの若者を、次の革命へ押しやることを恐れた。



 フランソワは、この騒動のことを、全く知らされなかった。今や彼は、国内外の新聞を読むことさえ、制限されていた。







 スイスに帰ったオルタンスは、震える手で、読んでいた手紙を畳んだ。

 息子のシャルル・ルイ(オルタンスの3男。後のナポレオン3世)からだった。彼は、ヴァンドームの計画が軌道に乗るとすぐ、イタリアへ行っていた。


 元来、シャルル・ルイ3男は、カルボナリには批判的だった。シャルル・ルイは、オーストリアと敵対せずに、メッテルニヒと親交を結ぶ方がよい、という考えだった。その上で、偉大なる伯父ナポレオンの、唯一の正統な後継者……ローマ王を、フランス国王に据えたいと目論んでいた。


 だが、カルボナリが決起し、ボナパルニストと手を結んだとなると、話は別だった。

 彼らが、新しいイタリア、統一国家イタリアの王として迎えようとしているのは、兄のナポレオン・ルイなのだ!


 シャルル・ルイはイタリアへ渡り、兄の支援に乗り出した。



 そのシャルル・ルイからの手紙……。

 ……それには、ナポレオン・ルイの死が告げられていた。


 オルタンスの息子、伯父ジョセフの娘を妻に迎え、次世代ボナパルト家の未来を担っていた筈の、ナポレオンの甥の、死。


 オーストリア軍が進軍し、カルボナリは、散り散りになって、追われていた。

 ナポレオン・ルイは、教皇領フォルリに潜伏中に、亡くなったという。フォルリも、革命政府による蜂起が起きた町だ。


 麻しんによる死だったという。

 ……そういえば、あの子だけは、幼い頃に、麻しんをやっていなかった……。

 オルタンスは顔を覆った。

 いずれにしろ、潜伏先では、充分な治療は、見込めなかったろう。

 ナポレオン・ルイが亡くなったのは、ヴァンドーム広場の騒動から、8日後のことだった。


 すでに、ナポレオンの兄弟たちは、実質的な活動から手を引きつつあった。彼らの活動は、そして帝国の未来は、甥たちの手に委ねられつつあった。


 ……これで、ボナパルト家の実質的な担い手は、シャルル・ルイ3男の手に移る。

 オルタンスの手が細かく震えた。


 彼女は、ルイ・フィリップの新王朝が、それほど続くとは思っていなかった。

 後には必ず、ナポレオンの帝国が、復活するはずだ。


 でも、もし、ライヒシュタット公が、フランスに帰ってこなかったら? ナポレオン帝国唯一の正統な後継者が?


 ……そんなことが許されるだろうか。

 ぎゅっと、彼女は、手を握りしめた。

 ……シャルル・ルイ3男が、フランスの王座に就くなどということが? 


 ……ボナパルト家の血を、一滴も受け継いでいない、あの子が。


 オルタンスは、唇を噛み締めた。白い歯が強く唇に食い込み、血がにじみ出るほどに。


 墓の蓋が閉まるまで、この秘密は守り通さなければならない。

 是が非でも、ライヒシュタット公に、王座を継いでもらわねばならない。




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