キツネ撃ちの好きな下品な大公
「このくそ寒いのに、狩りですって? 正気ですか」
ぶつぶつ言いながら、アシュラが、銃に弾丸を詰めている。
遠くから、法螺貝を吹く音や大勢の人間の囃し声、犬の吠え声が聞こえる。
その音に耳をそばだてていたフランソワが、肩をすくめた。
「
F・カール大公は、マリー・ルイーゼの弟である。フランソワより9歳年上だ。比較的年が近い二人は、幼い頃からの遊び仲間でもあった。
「F・カール……ああ、あの下品な大公ね」
「こら、アシュラ! 口がすぎるぞ」
叱りつけておいて、フランソワは口を緩めた。
「まあ、確かに、彼は上品とは言い難いが」
二人は、古い塀の陰に身を潜めていた。
塀は高台の端にあり、眼下には、ぶどう園が広がっている。もっとも今は、どの樹も葉を落とし、枯れ果てている。
イタリアへ行くことを止められ、フランソワは、鬱屈した日々を送っていた。だが、ウィーンの森の澄んだ空気は、彼の気鬱に、よい働きをしているようだ。
宮殿ではむっつりしてばかりだったのに、今日は口数も多い。
「子どもの頃、
「そうでしょうとも。あなた方お二人は、そっくりです」
「そっくり? どこが? それは、侮辱か? 今までそんなことを言われたことは一度もなかったぞ」
「下品なところが、そっくりです」
ひどく嬉しそうに、フランソワは笑った。
二人まとめて悪口を言ったのにと思い、アシュラは憮然とした。
狩猟は、皇族にとって、欠くことのできないたしなみだ。帝王教育の一環でもある。
ハプスブルクの皇族は、昔から、狩りが好きだった。
フランソワの祖父の皇帝も、その息子たちも、狩りが好きだし、また、得意としていた。
フェルディナント大公(フランソワの上の叔父。皇帝の長男で、F・カール大公の兄)でさえ、狩りだけは、得意だった。自立した生活がまるでできず、次期皇帝への即位が危ぶまれているにも関わらず。
「叔父上方は、さすが皇族だけあって、いつも、立派な成果を上げられる。ゾフィーも、来れば良かったのに」
美しく聡明なゾフィー大公妃の夫が、野卑なF・カール大公というのは、全くもって、アシュラには納得がいかない。
「夫が狩りで活躍する姿を見て、ゾフィー大公妃が惚れ直すとか? そんなこと、あり得ます?」
「あり得ないな。でもまあ、公平に言って、彼は、狩りがうまい。それは確かだ」
フランソワは肩を竦めた。
「普段の叔父を見ていれば、疑問に思うのも無理はない。そういえば、アシュラ。お前が狩りについてくるのは、初めてだな」
「そりゃそうです。私は、スパイでしたからね」
フランソワの身の回りにはいたが、今までアシュラは、宮廷狩猟には、同行したことがなかった。
できるわけがない。彼は、秘密警察官だったのだから。
今日は、新しい付き人、モルになりすましてついてきた。フランソワが言うには、髪の色や、姿かたちが、どことなく、モルと似ているのだという。
宮廷狩猟は、アシュラは、初参加である。
ちなみに本物のモルは、不意に訪れた休暇を、ペッツライスドルフ(ウィーン近郊の町)にある、姉、テレサの家で過ごしている。
「しかし、キツネ撃ちが好きとは。F・カール大公は、やっぱり器が小さい」
アシュラは、ぼやいた。
キツネ撃ちは、冬の風物詩である。
これは、馬でキツネを追って仕留める、キツネ狩りとは違う。
キツネ撃ちでは、予め、係員が、何日もかけてキツネを餌でおびき寄せる。餌には、付近の農民から買い集めてきた馬の死骸などを使う。初めは遠くに置き、だんだん、射撃台の近くに置いて、キツネ達をおびき寄せる。
そして、キツネが集まった頃、狩猟が行われるのだ。
今、100人近い勢子が、ウィーンの森のあちこちから、キツネを、射撃台に向けて駆り立てている。
「フランツ。調子はどうだ」
気配を押し殺して身を潜めていた二人の背後から、いきなり声がかかった。
振り向くと、今まで噂……というか悪口……を言っていた、F・カール大公が立っていた。
「おお、ぎっちり着込んできたな」
彼は、膝上までしかない革製の半ズボンを着用していた。膝下までの長靴下を穿き、膝が出ている。
「ディートリヒシュタイン先生が、暖かくして行けと、うるさいもので」
フランソワは、いやな顔をした。
狩りでは、膝を出した服装が、正式なのだ。
途中で着替えようと、正式な狩猟服を持参した筈なのだが、従者たちは知らないと言う。
アシュラがわざと、城へ忘れてきたのだ。
フランソワは怒り狂ったが、諦めるしかなかった。
F・カール大公は、かかか、と笑った。
「いや、こだわる必要はない。宮廷のしきたりなんか、いつものように、無視すりゃいいんだ。ところで俺のこのズボンだがな。見ろ。こんなに擦り切れてきた」
得意げに、大公は、ズボンを指し示した。
狩猟用のズボンの革は、アカシカかシャモア(ウシ科の大型獣)と決まっていた。それも、新品ではなく、使い古された状態が、よしとされた。
F・カールのそれは、飴色に輝いていた。相当に使い込まれていることがわかる。
「特に、尻のところが……」
大公は、くるりと後ろを向き、上着をめくった。フランネルのシャツが垂れ落ちてくる。白と藤色の縞模様のそのシャツまで、彼は、めくり上げようとした。
「叔父さん。いいですから」
「いや、是非見てくれ。光り輝く俺の、」
「見たくありません」
「何? 俺の尻を見たくないと?」
「あなたのズボンの、臀部を見る必要は、全くありません」
ぴしゃりと、フランソワが拒絶した。
傍らで、銃に弾丸を込めていたアシュラは、身を捩って、笑いをこらえた。
「……」
フランソワはアシュラを睨んだ。
「よこせ」
銃をひったくった。
自分でせっせと弾丸を込め直した。ついでに、火薬も足している。
「そんなに火薬を入れたら、危ないですよ。それは、強い火薬です」
傍らからアシュラが口を出した。
「それに、弾丸も、そこまできつく詰める必要はありません」
「うるさい」
勢子の音と、犬の囃し立てる声が近づいてきた。
「来たな!」
わくわくとF・カール大公が叫ぶ。
「お前には、二番目にいい狩猟台を融通してやったんだ。感謝しろよ、フランツ」
「へえ。一番はどなたに?」
「もちろん、俺だ」
「……
「兄上は、射撃がお上手だ。多少、狩猟台の条件が悪くても、へっちゃらさ」
不意に、眼下の藪が動いた。スマートな獣が姿を現す。
精悍な目をした、毛並みの美しいキツネだ。
「来た! 撃て、フランツ!」
F・カール大公が叫んだ。
叫ぶと同時に、大公は、傍らになぜか掘ってあった穴に飛び込んだ。
銃声が轟いた。
「わーーーーーっ! 何するんですか、殿下! 私を殺す気ですか!」
アシュラが悲鳴を上げた。
フランソワの撃った銃弾は、キツネではなく、傍らに伏せたアシュラの、頭上をすれすれに飛んでいったのだ。
「あ、アシュラ。ごめん……」
「なんだ、こいつは。新入りか?」
穴の中から、F・カール大公が、ひょいと顔を出した。
にやにや笑っている。
「俺の甥の射撃は、最低なんだ。以後、覚えておけ。命が惜しかったら、フランツが銃を構えたら、すかさず、物陰に隠れることだな」
「……」
あまりのことに、アシュラは、茫然自失だった。
飛び跳ねるようにして、フランソワが立ち上がった。
「僕は、馬に乗った追走猟の方が、得意なんだ。行くぞ、アシュラ。逃げたキツネを追いかけるんだ。……いや。キツネなんて、メじゃない、もっと大物……アカシカかシャモアを仕留めてやる」
ぎりぎりと奥歯を噛み締め、フランソワが叫んだ。
・~・~・~・~・~・~・~・~・
※
ライヒシュタット公の射撃の腕前は、伝わっていません。
けれど、ナポレオンは、最低だったそうです。狩猟に出て農夫に当てたり、同行者に命中させたり……。
囲い込み猟などでは、ナポレオンが銃を構えると、随員たちは、前もって掘ってあった穴に飛び込んで、難を避けました。そして、猟が終わると、狩猟長官が、怪我人の有無を尋ねて回ったそうです。
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