実際のところ、どこまでフランソワが意図的「俳優」で、どこまで天真爛漫であったのか、とくに17歳くらいから掴みかねています
自らの才覚を自覚し、また限界も無視することなく、しかしメッテルニヒという最大の障害によって厭世的性格に至らずにはいられなかった彼は、何かを実際に望んだのでしょうか
度たび浮かんでは結論の出ないままであった、彼はナポレオンの願望器としてあろうとしたのか(或いは無意識にそうなったのか)、それとも何か彼自身の願望があったのかという疑問に付随して、ほんとうにかなえたい望みが絶対にかなわない確信に、腐りこそせずとも、その方面への望みはなくなっていたのではないのか、という疑問があります
彼は熱烈に、自ら一国の主となって才覚を発揮したいと、各所で表明しているわけですが、同時にその不可能性もひしひしと感じており、そのようなことを叫ぶのが子供らしい、といった意識も人一倍持っていたのではないかと思うのです
段々フランソワの望みが、ひいては行動の理由がわからなくなっているような気がしてきました
彼の中のナポレオン崇拝は翳らないものの、それを原動力とした欲求は変わっていったんだろうな、と思ってます
その割にはメッテルニヒからすると役者然とした立ち回り……うーん
作者からの返信
フランソワの行動原理。実は、それこそが、最大の謎といえるのです。
天真爛漫で、ナポレオン崇拝に満ちた彼の姿は、いわゆる「レグロン」、ロスタンの戯曲の姿です。ロスタンは、ナポレオンの息子を、仰る通り、願望の挫折という悲劇で描きました。それが、実生活において、夢が叶えられない、世紀末から20世紀初頭の人々の気持ちを、強く代弁するものであったのです。
しかし、これはあくまでも、ロスタンの描いた虚像です。
実際、彼は、明るく前向きであったかと思うと、突然、夢想的な虚無状態に陥ったりして、これは特に、1830年から31年にかけて、顕著でした。ナポレオンにも、その傾向があったといいます。
ライヒシュタット公自身は、死の直前に、自身の受けた教育のせい、などと口走っております。
少し、しゃべり過ぎたかも。もう少し先の話で、この件は、きちんと料理してから、お出しします。
私も時々、ライヒシュタット公って……、と思うことがあります。マルモン元帥に関しても、彼を利用したいんだか、純粋に父の話を聞きたいだけなんだかわかったものじゃないし……。プロケシュに話すのと、モル(新しい軍の付き人)に話すのと、微妙に内容が違うし。
まるで狼少年に騙され続けた村人のように、身構えてしまうというか。変な例えですが、それほど、彼の本心は、掴めない。
この辺りも、彼の悲劇の一つだったと思います。自分を隠すのです。亡くなって180年も経つ、今もなお。
私は、実は、彼の本当の望みは、今の若い人たちの夢や希望と、大して変わらなかったのでは、と思います。ただ、彼は、あまりに孤独だったから。孤独が怖くないと、自分で豪語するほど、孤独だったのです。そして本当は、ひどく内気で、恥ずかしがり屋でした。
メッテルニヒの役者説は、この際、無視してもいいと思います。歪んだメッテルニヒ自身の心を反映している気がするのです。ライヒシュタット公は、何も演じてはいませんし、華があるとしても、意図してのことではありません。彼はただ、(敵を前に)身構えただけです。
(すみません、随分長く書いてしまいました。お読み捨て下さい)
面白かった!に尽きます^ ^
作者からの返信
きっとお気に召して頂けると思っていました!
マルモンはオーストリアを出た後、諸国を彷徨い、イタリアで客死しています。それほど彼の裏切りは大きかったということでしょうが。私が思うに、若いころからそばにいた彼は、ナポレオンのことを知りすぎていたのでは。パリ開城にしても、どのみち、ナポレオンに勝ち目はなかったと思います。
二度目の退位の時ですが、ダヴ―や先日出てきたベリアルなども、ナポレオンに引導を渡した一人です。この頃、「仕方なしにナポレオンの麾下にいた」諸将について、考えています。
お褒め頂き、嬉しいです。いつも本当にありがとうございます。