憂愁


 オーストリアのライヒシュタット公を王に。



 トルコから独立したギリシアの王位が空位となっていた。しかし、異教の国の王への即位は、フランソワの祖父の皇帝が許さないだろう。



 また、オランダから独立したベルギーの新王候補に、ライヒシュタット公の名が上がっていた。



 ナポレオンの故郷、コルシカの王位も、正式に、ライヒシュタット公に、打診された。

 かつてナポレオンの母や妹達ボナパルト一家は、コルシカから追われている。これは、ボナパルト家が、親フランス派になった為である。

 そのコルシカの王に、とは……。

「さぞかし、軽蔑に値する国家となるだろう」

ディートリヒシュタインフランソワの家庭教師が、尊大に口にした。



 そして今、ポーランドも、ロシア皇帝に代わって、彼に王冠を差し出している。


 ……。







 なんと奇妙で、魅惑的な時代に、我々は生きていることでしょう!


 ライヒシュタット公は、母のマリー・ルイーゼに書き送っている。

 この先何世紀も続く筈だったものごとは、ここ半年の間に、大きく様変わりしてしまっています。人々は、真実の人間の参加を求めています。そして私は、そのような人でありたいと願っています……







 家庭教師のオベナウスが部屋に入ると、ライヒシュタット公は、鏡をじっと見つめていた。

「何をなさっているのです?」

「鏡を見つめているのです」

オベナウスが尋ねると、夢見るようなくぐもった声が返ってきた。


 彼は、手鏡に映る、自分の姿を眺めていた。

 うっとりと、どこか現実離れのした声で、彼は続けた。

「鏡の中に、自分の姿が見えます。この『僕』は、かつて、王冠を被っていました」


 確かに、オベナナウスの生徒フランソワは、1815年、父のナポレオンが退位してから、ルイ18世が帰還するまでの約2週間、フランスの皇帝だったことがある。


 もっとも、名目上のことに過ぎない。本人はここ、ウィーンにいた。今と同様、半ば監禁状態で。



「しかし、今やその輝きは失われている……」

くるりと、彼は、振り返った。

「先生。ポーランドの為なら、僕は、ロシアとオーストリアの間で、絶妙のバランスを保ってみせます。僕には、それができるのに!」


 ポーランドの呼ぶ声は、プリンスの心を、強く動かしていた。

 「ポーランド軍の戦略は、理に叶っている。彼らは、とても勇敢だ」

彼は、手放しで称賛した。


 ……それに彼の国ポーランドは、最初から、親ナポレオンだし。

 密かに、オベナウス家庭教師は考えた。

 もし、ポーランドが、もう一歩を踏み出したのなら……プリンスは、ためらわずに、ポーランドへ旅立つであろう。


 それは、彼と親しいプロケシュ=オースティンの意見でもあった。



 オベナウスが何か言おうとした時、何の弾みでか、プリンスの手から、鏡が滑り落ちた。

 鏡は、床に落ちて、粉々に砕けた。

 オベナウスは息を呑んだ。不吉な予感が、胸を苛む。


 「……」

プリンスは何も言わなかった。

 黙って、光を反射して輝く、たくさんの破片を見つめていた。







 1831年、ベルギー王には、ザクセン=コーブルク=ゴータ家のプリンスが即位した。


 翌年、ギリシア国王には、バイエルン王子が即位する。


 コルシカは、フランスに留まりつつ、部分的な自治を獲得していくに留まった。







 ポーランドの蜂起は、翌1831年10月、ロシアによって、完全に制圧された。ポーランドが独立を果たすには、それから、90年近くも待たなければならなかった。


 ウィーンで夢破れ、パリに向かっていた音楽家のショパンは、途中、シュトットガルトで、母国の首都、ワルシャワ陥落の報に触れた。

 その衝撃が、彼に、「革命」の曲を書かせた。







 ポーランドの蜂起は、ウィーンでも、大きな波紋を生んだ。


 エステルハージ家当主の姪であるグラザルコヴィッチ嬢は、キャンペーンを張った。

「ライヒシュタット公を、ポーランド王に!」

 彼の即位は、オーストリアの大きな利益に繋がると、彼女は、力説した。




 その一方で。


 「ライヒシュタットを、ポーランド王に、ですって?」

 ヒステリックな恐怖の声が、上がった。


 ここは、メッテルニヒ家のサロンである。

 モーリ・ツィヒという名の女性が叫んだ。

「あの、私生児を! コルシカの人食い鬼の息子が、ポーランド王になるっていうの!?」


 心ある何人かは、互いに顔を見合わせた。

 だが、彼らは、狂乱するこの女性に、何も言うことはできなかった。

 この家の主、メッテルニヒが、こう言ったからだ。


「いずれにせよ彼は、ヨーロッパの全ての王座から閉め出されている」


 ……誰が、締め出したのか。

 その答えは、明らかだった。




 「メッテルニヒ家の舞踏会に行ってはいけないよ」

 何度か繰り返してきた注意を、再び皇帝は、孫に与えた。


 メッテルニヒは、有能な宰相だ。オーストリアだけではなく、ヨーロッパの御者でもある。欧州の平和は、彼の双肩に担われてきた。

 彼を罷免することはできない。


 「メッテルニヒ家の舞踏会に行ってはいけない」

 オーストリアの佳き皇帝は、孫に、こう忠告することしかできなかった。

 ……。







 1831年2月。

 オーストリア皇太子、フェルディナントの元へ、サルディニア王女、マリア・アンナが嫁いできた。


 王女についてきたサルディニアの随員たちは、初めて見る新郎の様子に、驚きと絶望を、隠し得なかった。


 自立できないフェルディナント。誰からも愛されているけど、普通に生きられない皇太子……。


 新郎フェルディナントは、自分の慶事を、理解し得たかどうか。


 結婚式は、葬式のように静かで、陰気だった。

 花嫁の白いドレスは、まるで、看護師の白衣のように見えた。

 新郎の父のオーストリア皇帝でさえ、

「哀れな!」

とつぶやいたという。



 だが、妃を得ることで、今まで危ぶまれていたフェルディナントの次期皇帝即位は、確実となった。





 ついでながら。

 皇帝に促され、メッテルニヒが、3度目の結婚をしたのは、その1ヶ月前のことだった。

 相手は、ハンガリー上流貴族の娘、メラニー・ツィヒ・フェラリス。

 このたびは、新郎58歳、新婦27歳だった。


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