ナポレオンのもうひとりの息子 2


 深い溜め息を、アレクサンドルはついた。

「本当のことを言おう。アシュラ。ポーランドはダメだ。この国は、ロシアには敵わない」

「だが、あんたの義理のお父さんヴァレフスキ伯爵のように、気骨のある貴族がいるだろ? 民衆の意気も盛んだ」


「ポーランドが、ロシアに勝てるわけがない」

吐き捨てるように、アレクサンドルは言った。

「ロシアは大国だ。その上、イギリスとフランスも、ロシアを支持している」

「フランスの民衆や、ラファイエット侯爵は、ポーランドの味方だったぞ」



 パリで、ポーランドを支持する集会が開かたことを、アシュラは思い出した。シャルル・ルイも、参加を誘われていた。



 アレクサンドルは、肩をすくめた。

「民衆が何と言おうと、イギリスの外務大臣パーマストン卿はロシア寄りだし、フランスのルイ・フィリップ新王は……僕をポーランドに送り込んだのは彼だけど……、自分の政権のことしか考えていない。とてもじゃないが、ポーランドに味方する度量など、持ち合わせちゃいないよ。だから僕は、彼を利用させてもらった」



 確かに、7月革命で生まれたフランスの王制ルイ・フィリップ政権は、未だ脆弱だと言われていた。ブルジョワの支持はあったが、ルイ・フィリップは、ブルボン家の支流の家柄だ。本当に民衆から支持を得られるかは、疑問だった。



 辺りを見回し、アレクサンドルは、声を潜めた。

「ポーランドの国家議会セイムや、軍の指導者たちは、この戦いに勝てるとは思っていない。俺はこれから、セイム指導者の指示で、イギリスへ行くことになっている。だが、多分、イギリスの協力は、取り付けられないだろう。この国は、再び、ロシアの下に組み入れられる」

「それじゃ……」


 エオリアとユスティナはどうなるのだ、と、アシュラは思った。

 ロシアを前線で食い止めると言って旅立って行った彼女らは。


「蜂起が、もう少し早かったら、あるいは……。ロシアが、トルコと戦っていた頃なら、僅かだが、まだ、可能性はあった。だが、いずれにしろ、時期尚早だった。ポーランドに勝ち目はない」

「本気で戦ってる人間もいるんだぞ。あんたがそんなことを言ってて、どうする」

「僕が言ってるんじゃない。蜂起軍の指導的立場の人間達が言ってるんだ」

「そんな……」


「アシュラ」

 アレクサンドルが言った。

 強い目で、アシュラを射すくめる。

「我らの父は、言ったはずだ。ローマ王は、フランスの王になるのだ。ポーランドの王ではない」


「あんたも、レオンも、自分の進みたい道を行くくせに! なぜ、うちの殿下だけが、父親の呪いに縛られなくちゃならないんだ?」

「父の呪いじゃない。それが、正統の呪縛というものだ」

「無茶言うな」

「弟に……いや、ローマ王に伝えてくれ。……フランスで、待ってる」


 アシュラは答えなかった。じっと、アレクサンドルの顔を見据えた。

 彼の横顔は、確かに、フランソワに似ていた。だが、よく見ると、まるで違う。アレクサンドルが、異腹の弟フランソワと似ているのではない。


 アレクサンドルは、ナポレオンと似ているのだ。

 その事に気づき、高らかに、アシュラは笑いだした。



「? 何を笑っているんだ?」

アレクサンドルが、怪訝そうな顔をした。

「いや。ただ、思ったんだ。……あんたがいるじゃないか」

「は?」


「ナポレオンの息子は、なにも、うちの殿下だけじゃない。だったら彼は、そこまで悩む必要は、ないんだ」

「何を言ってる! 俺もレオンも、ナポレオンの正統な息子だとは認められない。それが認められているのは、唯一、ローマ王だけだ。ナポレオン法典に則った正統な跡継ぎは、神聖な結婚で生まれた、ローマ王だけなんだ」


「馬鹿らしい」

アシュラは吐き捨てた。



 ナポレオンとマリー・ルイーゼの結婚。

 それに先駆け、ナポレオンは、ジョセフィーヌ前妻との聖別された結婚を、強引に、とした。二人の離婚を担保する筈のローマ教皇は当時、ナポレオン自身の手で、監禁されていたから。

(※1章「お妃探し 2」ご参照下さい)


 その上での、オーストリア皇女フランソワの母との結婚に、いったい、何の意味があるというのだろう。



「あんたのお母さんの方が、うちの殿下のお母さんより、ナポレオンのことを愛していたし」



 マリー・ルイーゼは、ナポレオンの生存中にナイペルクと関係を持ち、子どもを二人、生んでいる。



 にわかに、アレクサンドルは、居心地が悪そうな顔になった。

「母は、養父ヴァレフスキ伯爵と別れたけど……再婚したよ。……ナポレオンの生存中だが、彼が、セント・ヘレナに流された後のことだ」


「あんたのお母さんは、ナポレオンが落ちぶれてからも、会いに行ったんだろ? エルバ島へも行ったそうだな?」

「母は、父を愛していた。それは、確かだ」

 アンナ・ヴァレフスカは、ナポレオンに先立つこと4年前に、亡くなっている。


 首を振って、アシュラは言った。

「宗教だけじゃない。法律だって、簡単に変えられるだろ? 所詮は、ナポレオンが定めた法律じゃないか」

「そうはいくか。ナポレオン法典は、神聖だ」

「だが、あんたの方が、ナポレオンに似ているんだよ。俺は、肖像画しか見たことはないが、でも、本当によく似ている。だったら、あんたで充分じゃないか……」

 笑いが、止まらなかった。


 狂ったように笑い続けるアシュラを、アレクサンドルは、無気味なものを見るような目で見ている。

 アシュラの目尻から、涙がにじみ出た。



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