ポーランド蜂起 1


 ……なぜ俺は。


 眼の前に立ち塞がった青い軍服のロシア兵の脇をくぐり抜け、アシュラは思った、


 ……なぜ、このクソ寒い中、


 脇から現れたサーベルが、危うく脇をかすめる。足元は、ぬかるんだ黒い雪だ。


 ……命がけで、逃げ回っているのか。


 前から突きつけた剣を、持っていたステッキで受け止める。フランソワの土産にと、パリで求めた、折り畳み式ステッキだ。職人に頼み、握りを、ミツバチの形に作り変えてもらった。


 銃剣を受け止め、ステッキは、真半分に折れた。


 ……くそっ! ここに畳む仕掛けがあったせいだ!


 仕掛けのせいで、脆弱になっていたのだろう。

 アシュラは舌打ちをした。


 遠くで、爆撃音が聞こえる。


 ワルシャワ。

 ロシア軍による、ポーランド蜂起鎮圧が、始まっていた。





 ナポレオンのもうひとりの息子、アレクサンドル・ワレフスキに会わせてやる。

 シャルル・ルイ(オルタンスの3男。後のナポレオン3世)に言われ、伝手があるからと、ある軍人の館に連れて行かれた。


 ボナパルト家であるシャルル・ルイがフランスにいるのは、不正入国をしているのだ。彼が懇意にしているこの軍人は、もちろん、ボナパルト派だ。


 門を潜った途端、二人は、駆け出してくる馬に、なぎ倒されそうになった。

「将軍!」

叫ぶシャルル・ルイに、馬上の人は振り返った。

「蜂起だ!」

馬に乗ったまま振り返り、その軍人は、大声で叫び返した。

「ポーランドで、大規模な蜂起が起きた!」

「なんですって!?」

シャルル・ルイとアシュラは、顔を見合わせた。

「ワルシャワで、士官学校の生徒たちが、コンスタンチン公ロシア総督の宮殿を襲った。その後、武器庫を占拠したらしい!」



 ウィーン会議で、ポーランドは、オーストリア・プロイセン・ロシアの各国で分割された。


 ロシアは、占領地域(旧領土でもあった)に、ポーランド立憲王国を作った。

 ポーランド立憲王国は、ロシア皇帝を王に、その弟、コンスタンチン公が、総督になっていた。


 一応、立憲国家ではあったが、ロシア側のポーランドへの圧政は、年々厳しくなっていった。憲法は有名無実となり、検閲が横行するようになった。


 1830年11月。ついに、ポーランド市民は蜂起した。民衆の意気は軒高で、ロシア軍をたじろがせた。

 総督コンスタンチン公率いるロシア軍は、ついに、ワルシャワの北方へ撤退を余儀なくされた。



 「我らフランス人民は、ポーランド民衆の味方だ!」

馬上の将軍は、高らかに宣言した。

「あ、将軍、どちらへ……」

慌てシャルル・ルイが引き留めようとする。

「これから、ラファイエット侯爵(人権宣言起草、アメリカ独立戦争に参加)の館で、ポーランドの支持集会が決起されるのだ! シャルル・ルイ! 君も、後から来い!」

 蹄の音を響かせ、もうもうたる砂埃の向こうに走り去っていってしまった。


「行けるかよ。俺は今、フランスにいちゃ、いけないんだ」

ぶつぶつと、シャルル・ルイが文句を言っている。

「だいたい、ルイ・フィリップフランスの新王が、ポーランド民衆の味方をするとは思えない……」


「おい、アレクサンドルナポレオンの息子は!?」

アシュラが、シャルル・ルイの袖を引く。

「ああ、そうか。家の者に、聞いてくる」

シャルル・ルイは、館の中へ入っていった。


 「……」

 アシュラの胸を、不安がよぎる。


 アレクサンドル・アレフスキナポレオンのもう一人の息子の養父は、ポーランド貴族だった。


 この養父は、ナポレオンによる、ポーランド独立を、願った。その為に、自分の妻をナポレオンに差し出した。いわゆる、愛国的寝取られ男コキュだ。


 そして、アレクサンドル自身も、14歳の時、ロシア軍従軍を拒否し、ロンドンへ亡命している。その後、ロシア側がポーランドへの帰国を認めなかった為、フランスへ渡った。


 そのアレクサンドルが、祖国の危機に、安穏として、フランスに留まっているとは思えなかった。



 「残念。一足違いだった」

館へ詳細を聞きに入っていったシャルル・ルイが戻ってきた。

「アレクサンドルは、ポーランドへ向かったそうだ」


「俺は、ポーランドへ行く」

ためらいなく、アシュラは言った。


「どうせ、止めても行くんだろ?」

呆れたように、シャルル・ルイは言った。

「せいぜい、命を大事にするんだな。お前には、どうしても、ウィーンに帰りついてもらわなくてはならないからな」

「……ずいぶん、お優しいじゃないか」


 用心深く、アシュラは、相手の様子を窺った。

 シャルル・ルイは、真剣な顔をしていた。


「お前に、伝言を頼みたい」

「伝言?」

「前に言ったろう? ナポレオンの将軍たちの協力を得るには、ローマ王の誓約が必要だ。彼に、誓約書へ署名をするよう、話をしてほしい」


 そういえば、シャルル・ルイは前に、そんな話をしていたが……。


「……本気だったのか」

「当たり前だ。俺からメッテルニヒ宛に書状を送る。ローマ王はただ、それに署名するだけでいい」

「だから言ったろう? プリンスをウィーンに監禁しているのは、メッテルニヒなんだよ!」


「状況は変わりつつある」

シャルル・ルイはアシュラを見据えた。

「フランスは、変わる。ルイ・フィリップ今の新王ではダメだ。ナポレオンの血を引いた者が、どうしても、必要なんだ。それに、争いなくして血縁関係で版図を広げるのは、ハプスブルク家の常套手段ではないのか?」


 ……余人は戦をすべし。幸いなるかなオーストリア、汝はまぐわうべし。


 「……」

アシュラが言葉に詰まると、シャルル・ルイは、にやりと笑った。

「ローマ王には、ハプルブルクの血が流れている。そのことに目をつぶってしまうほど、メッテルニヒは、馬鹿ではあるまいよ」




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