若きナポレオン3世の意見
「肖像画が仕上がった」
シャルル・ルイ……ナポレオンの弟の「息子」……が、丸めた厚い紙を持ち込んできた。
「これを印刷して、ローマ王の肖像画を、パリの町中にばらまくんだ」
「順調にいってるみたいね」
母親のオルタンスが頷く。
オルタンスは、ナポレオンの養女だ。ナポレオンの弟ルイと結婚し、離婚した。
「パリの劇場では、ナポレオンの芝居が、大当たりを取っているわ。昔の軍人たちが、俳優達と共演したりして、観客を大喜びさせている。ナポレオンの人気は、
「そしてその子は、非の打ち所のないプリンスに育ち上がっている。ハンサムで教養がある、素晴らしい貴公子だ」
シャルル・ルイは、ちらりとアシュラを見た。
アシュラは、そっぽをむいた。
シャルル・ルイは、肩を竦めた。
「じゃ、行ってくるよ、母さん。印刷屋に頼んで、この絵を、多色刷りに……」
「おい、その絵を見せろ!」
シャルル・ルイの手から、アシュラは、絵をひったくった。
「何をするんだ! 破けるだろ!」
憤怒の声を無視し、紙を拡げる。
「……」
すまし顔のプリンスが、胸の下の方で腕を組んでいる絵が現れた。ナポレオンが好んだポーズだ。やや右側を向き、左顔を見せている。
イタリアで見た絵と、ほぼ同じ構図だった。きっと、元絵が同じなのだ。
「どう? ローマ王にそっくりでしょ?」
にやにやしながら、オルタンスが尋ねた。
「これは、フランス人の画家が描いたものだけど……。ローマ王の身の回りにいる画家が描いた肖像画を、参考にしたのよ。ウィーンのその画家が描く肖像画は、実際の彼によく似ていると、評判よ」
……やっぱり。
ダッフィンガーで間違いない。本当に、あの画家は、何者なのだろう。シャラメの書店……フランス系の書店……に出入りする、あの画家は。
「……いいや。これは、ハンサムすぎる」
断固としてアシュラは言い放った。
「は?」
母と子が、疑問の声を合わせる。
不遜な態度で、アシュラは、教えてやった。
「プリンスは、夜、髪を巻いて寝るのが、大嫌いなんだ。だから、彼の髪は、もっとこう、ごわごわとうねっている。揉み上げも、濃いし。それに何より、彼の微笑みは、内気で羞じらいを含んでいる。こんな風に、うっとりと、おとぎの国の王子みたいに突っ立ってたりしない!」
「王子ですもの!」
悪びれず、オルタンスが言い放った。
「フランスの画家に、修正させたのよ。フランス人好みにね! 髪をきれいにカールして、余計な産毛はカットさせ、なおかつ、優美な微笑を浮かべさせる。あのね。大衆が望んでいるのは、麗しいアイドルなの! イケメンじゃなきゃ、ダメなのよ!」
「だって、それじゃ、プリンスじゃない……というか、なんだよ! 元からプリンスは、イケメンだ!」
「オーストリアの従者が、彼の身なりを、もっときちんと整えてやれば、この絵の通りになるはずだ。無粋なドイツ人の不手際を、我々が補ってやったのだ」
傍らから、シャルル・ルイが口を出した。
アシュラは、悔しかった。本物のフランソワがどれだけ美しいか、それをどうやって伝えたらいいのか、必死で言葉を探した。
「俺は、本物のほうが、何万倍も素晴らしいと思う! ナイーヴでデリケートで、そして、センシティブだ!」
「それ、何語?」
オルタンスが欠伸をした。絵を指差す。
「シャルル、これ、素敵よ。でも、軍服には、ちゃんと色をつけてね。白はダメ。オーストリアの軍服の色だもん。色を塗って、フランス将校の軍服にするの。下に、ナポレオンを象徴する鷲の絵を描き足したら、なおいいわ」
「さすが、お母様!」
深い尊敬の色を、シャルル・ルイは、浮かべた。
「じゃ、印刷所の前に、画家の家に寄るよ。お前も来るか、アシュラ」
「遠慮する」
「少しは協力しろ」
「ふん、誰が!」
「外で待ってる」
「俺は行かない!」
「待ってるから!」
言いおいて、シャルル・ルイは、出ていった。
「春になったら、ローマ王の名をコールしながら、パリの町を行進するつもり」
パタンとドアが閉まると、オルタンスが言った。
「その時は、アシュラ、あなたも一緒に叫ぶの。『ナポレオン2世、万歳!』ってね!」
「絶対にいやだ」
「あなたはきっと、叫ぶわ」
予言するように、オルタンスは付け加える。
「だって、フランス帝王即位は、ナポレオンの遺志よ。そして、父の遺志である限り、ローマ王は、絶対、従うわ。彼は、フランスの王子なのよ」
「……」
アシュラは無言で、外へ出ていった。
前方に、シャルル・ルイの姿が見えた。
拒絶したのに、アシュラを待っていたものと見える。絵の包みを、やや乱雑に下げていた。
「なあ。お前、ウィーンの秘密警察なんだろ? ローマ王の身の回りを探っている」
アシュラが追いついてくると、シャルル・ルイは尋ねた。
イタリアの
「スパイだくせに、バカに、
「……別に」
「ローマ王は、そんなに素晴らしいか?
「彼を、フランスに渡しはしない」
「教えてくれ」
シャルル・ルイの口調が改まった。
「実際彼は、父親のことを、どう思ってる?」
「どうって?」
「偉大な父親を、誇りに思っているのか。それとも、父への尊敬は、捻じ曲げられてしまったのか。……オーストリアで受けた、歪んだ教育によって」
真剣な口調だった。
シャルル・ルイは、まさに、問題の根幹に触れているのだと、アシュラは感じた。
ナポレオンの息子が、父を敬愛しているかどうか。父の帝国を、全面的に支持しているのかどうか。
そこに、これからのボナパルニストたちの未来がかかっている。
「……」
だが、アシュラには、答えることはできなかった。
……フランソワは、父親の、熱烈な支持者だ。
そんなことを口走れば、ボナパルニストらは、ますます極端な行動に走りかねない。今日にでも、ウィーンへ、彼をさらいに行くだろう。
「答えられないよな。お前は、スパイだもんな」
シャルル・ルイは、ほうと、ため息をついた。
「俺らは、成長した彼について、何も知らないんだ。それなのに、なあ。なぜ女どもは……
ナポレオンの弟とオルンタンスの
吐き捨てるように、アシュラは言い放った。
「純粋なボナパルニストじゃないからだろ。イタリアで、カルボナリに参加しているからな」
この答えは、シャルル・ルイの予期していたものらしかった。
「仕方ないだろ。偉大なるナポレオンの時代は遠のいた。もはや、ボナパルニストだけでは、活動に限界がある。叔父上たちだって……」
言いよどんだ。
「ジェローム叔父、リュシアン叔父にジョセフ伯父……そして、
「まあ、そうだろうな」
彼らの活動は、フランソワに伝わっていないことは、賭けてもいい、とアシュラは思った。
手紙は、途中で取り上げられ、情報は遮断されているのだ。
メッテルニヒ、そして、秘密警察の手によって。
なおも、シャルル・ルイが言い募る。
「だから、ここフランスにおいても、
「ふうん」
アシュラは危惧を覚えた。
そうなったら、純粋なナポレオン派とはいえない。ボナパルニストの現状を知ったら、フランソワは、失望するのではないか……。
だが、シャルル・ルイは、楽観的だった。彼には彼なりの、目論見があるようだ。
「ことを起こす前に、予め、ローマ王自身の誓約を取ろうと考えてるんだ。つまり、有力者達に感謝し、
アシュラは呆れた。
「プリンスが、そんな怪しげな書類に、サインなんてするものか!」
「大丈夫だ。いざとなったら、
「馬鹿か」
思わずアシュラは吐き捨てた。
「メッテルニヒが、お前ごときを、相手にするものか! 第一、プリンスをウィーンに監禁している張本人は、
「そうだよ! どうせ、来れないんだよ、ローマ王は!」
やけくそのように、シャルル・ルイは叫んだ。
「いくら
叫びながら、下げた絵の包みを蹴った。
アシュラは激怒した。
「おい! プリンスの絵に、何をする!」
「いいじゃん。ただの絵だ」
平然と
「たとえ絵でも、プリンスを損なうものは許さない!」
「ああ、うるさい。お前も、母上と同じだ。ローマ王、ローマ王って。ルイ兄さんがダメでも、まだ、俺がいるんだ。
……それは、お前が、
危うくアシュラは口走りそうになった。
だが、これは、秘密にしておくよう、オルタンスから、固く言い含められている。
なにより、アシュラが口にすべきことではなかった。
ふい、と、アシュラはそっぽを向いた。
画家の家の、すぐ前だった。
投げやりな足取りで、シャルル・ルイは、中に入っていく。
アシュラは、家には入らず、引き返した。愚痴を吐き出し、ルイ・シャルルは満足したらしい。アシュラを振り向きもしなかった。
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