応援コメント

プロケシュ少佐の使い方」への応援コメント

  • うーん。

    メッテルニヒは失敗していると思います
    中途半端なフランツへの対応

    面白いシーンです
    ありがとうございます😊

    作者からの返信

    プロケシュがメッテルニヒと会っていたことは、どうやら本当だったようです。そしてグスタフ・ナイペルクやモーリツ・エステルハージらの注進で、ライヒシュタット公はそのことを知っていました。にもかかわらず、プロケシュを疑わなかったということは、おっしゃるとおり、メッテルニヒは失敗していたのでしょうね。

    ゲンツがメッテルニヒから離れていこうとしたことが大きかったと思われます。プロケシュは、ゲンツの私塾で学んでいましたから、一緒に、メッテルニヒから離れて行ったのでしょう。

    お褒め頂き、恐縮です。そしてとんでもないです。お礼を申し述べなければならないのは、私の方です。
    いつも本当に、ありがとうございます!!

  • メッテルニヒは相変わらずですね。
    フランソワのオーストリアに対する忠誠がどのようなものか、フランソワの性格がどのようなものかは関係なく、単に可能性を徹底して潰すことで保安と保身を図る、一種の天才といっていいと思います。

    リスク管理の達人とも。


    そういえば、三人称の中で「我ながら」ってどうなんでしょう?
    ちょっと気になりました。よくわからないので。

    作者からの返信

    一種の天才……私がほめられたのかと思って読み返したら、この栄誉は、メッテルニヒのものでした。年齢を重ねるにつれて、彼の保身は、ますます、顕著になっていきます。ウィーン会議時代までは、それなりに、洒脱な紳士だったのに。

    でも、メッテルニヒのリスク管理能力のお陰で、オーストリアと、そして、ヨーロッパの平和があったのは、確かです。その陰で、貧困を強いられたプロレタリアートの存在が見えなかったのが、残念でした。時代は常に変わっていくのを、メッテルニヒは、受け入れなかったのです。

    「我ながら」……どうでしょう。ここのお話は、三人称だけど、メッテルニヒ目線なので、使ってみました。書かれている心情も、メッテルニヒのはありますが、対するプロケシュの心情は、メッテルニヒの推測の形で描かれている筈……です(私は、時々、視点が揺れてしまうので)。
    しかし、こうしたことは、読み手の方が違和感を抱かれたら、やはり、よくないです。気になられた程度なら、ママでOKってことで。どうか、ひとつ。

    すみません、ちょっとあやふやな説明ですね……。言葉というものは、本当に難しいです。
    なにはともあれ、ご指摘、ありがとうございました!!

    編集済