プロケシュの励まし
バーデンでフランソワと別れて旅立ったプロケシュ=オースティンは、7月革命勃発の報を、スイスのチューリヒで聞いた。
帰国し、旅装を解くとすぐ、プロケシュは、シェーンブルン宮殿に向かった。
プリンスは、自室にいた。
「プロケシュ少佐!」
彼の姿を見るなり、プリンスは叫んで、飛びついてきた。
「答えて下さい! 重大な質問です」
その頬は赤く紅潮し、目は潤んでいた。
「僕は、父の王座にふさわしい人間ですか? それだけの力が、この僕には、ありますか!?」
……また、自信をなくしているな。
プロケシュは思った。
前にも、プリンスは、同じようなことを言っていた。
……僕には、何か、良いところがありますか? この僕に、大きな未来を受け止める力は、あるのでしょうか?
あの時、彼は、フランスとオーストリアの間で揺れていた。
今、ブルボン王朝が倒れるに及んで、その指針が、大きくフランス側に
「ずいぶん、手荒な歓迎ですね」
両肩に掛けられた熱い手を、プロケシュは、静かに外した。
「それに、いきなりのご下問だ。面食らいます」
「ごめんなさい。不躾でした」
花が萎れるように、プリンスは、俯いてしまった。
プリンスは、プロケシュを誘い、自分も腰を下ろした。
膝の上で、両手を、ぎゅっと握りしめ、身を乗り出した。
「プロケシュ少佐。フランスで、革命が起きたことは、ご存知ですね?」
「ええ。ブルボン家の支流の、ルイ・フィリップが即位しました。彼は、ブルジョワ政権を目指すようです」
「はい」
「王には、あなたの名前も上がっていたのですよ、プリンス」
「否定的に、ですね?」
プロケシュの言葉に被せるように、プリンスが念押しした。
「否定的?」
プロケシュは、眉を吊り上げた。
彼が、スイスで聞いた話では、そうではなかった。
ルイ・フィリップが王座についてから、ナポレオン2世の人気は、うなぎのぼりだと聞く。
だが、フランソワは憔悴し、項垂れていた。
「世界は、僕が……つまり、その……」
ちらりと、部屋の隅を見た。
家庭教師の姿はなかった。
息を吸い込み、思い切った様子で、彼は、質問を重ねた。
「僕が、ここ、ウィーンで受けてきた教育は、僕の能力を、意図的に刈り込むものだったのでしょうか?」
「意図的に刈り込む?」
「つまり、世界には通用しない、単なる教養……実用性を欠き、王となるにはふさわしくない、いびつなものだったのでは?」
「いいえ。あなたの受けた教育は、一流のものです。ウィーンだけではない、ヨーロッパ、いや、世界でも、最高峰のものだと、誇っていい」
頼もしく、プロケシュは、受けあった。
プリンスの不安の色は、去らなかった。
「でも、世界の人々は、僕は、知性に問題があると思っています。僕の発達には、障害があるのだと」
「新聞を読んだのですね」
プロケシュは気がついた。
面白半分のように、ナポレオン2世の知性に疑義を呈した記事が、フランスでも、スイスでも、溢れていた。
そのような外国の新聞を、家庭教師たちが、彼の身近に置くとは思えない。
恐らく、ウィーンの街中で、目にしたのだろう。
プロケシュは、居住まいを正した。
「今まで、貴方の身の回りの、ただの一人でも、そんなことを言った人がいましたか? ご存知ないかもしれませんが、あなたは、ウィーンの町では、大変な人気なんですよ? あなたの乗った馬が通りかかると、人々は、窓辺に集まって、歓声を上げるじゃありませんか」
「でも……」
自分が滞在していたスイスや、ドイツで会った人達のことを、プロケシュは、話した。彼らは、ナポレオンの息子こそが、ヨーロッパを平和に導くことのできる、唯一の王たりうると、信じていた。
「自信をお持ちなさい、プリンス。下らない世迷言に煩わされるのは、時間の無駄です。馬鹿どもは、どうしたって、馬鹿なんです」
わずかに、プリンスの顔に、笑みが浮かんだ。
「貴方は、彼に似ている」
「彼?」
「ええ。彼もきっと、同じことを言ったと思います」
プリンスの周りには、温かい、居心地のいい人の輪があるのだと、プロケシュは思った。
なぜなら、彼は、こんなにも魅力的だから。
魅力のある者の周りに、人の輪ができるのは、当然のことだ。
ましてや彼は、ナポレオンの息子だ。
オーストリア皇帝の孫なのだ。
それなのに、どうして、自信を失わねばならぬのだ?
励ますように、プロケシュは、声を強めた。
「誰だって、同じことを言いますとも。だってプリンス、貴方は、ウィーンの宮廷で、一番、優秀な王子なんです。学問に秀で、その上、軍事にも通じていらっしゃる。その貴方を否定するということは、ウィーンの知性、そのものを否定するということです。許されることではありません」
「ですが、僕は、世間というものを知りません。ウィーン宮廷から、一歩も出たことがないのです。僕は……」
再び、部屋の隅を見た。
いつの間にやら戻っていた
大きく息を吸い込み、プリンスは続けた。
「僕は、ご機嫌取りや陰謀や、そうしたあらゆる欺瞞を斥けることができるでしょうか? 僕は、必要な時に、それにふさわしい行動が起こせるでしょうか? 僕は不安だ。僕は、『その時』が来ても、気が付かないのではないか、と!」
……その時。
……やはりプリンスは、フランスに帰るおつもりだ……。
「フランスの新政権には、」
なまじな励ましは、通用しまい、と、プロケシュは思った。
ここは、客観的な判断を披露するしかない。
「ブルジョワジーが味方についています。恐らく、ちょっとやそっとでは、倒れることはないでしょう」
「ブルボン復古王朝は、15年、続きました」
「それよりは、確実に続きます。ですが、例えば、あと15年経ったら、貴方は何歳ですか、プリンス?」
「34歳です」
「今の私と、ほぼ、同じ年齢です」
「あ……」
プロケシュは、にっこりと笑った。
「その頃には、貴方は、確実に、成熟していますよ」
泣き顔のような笑みを、プリンスは、浮かべた。
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