オルタンスの息子たち 2
オルタンスは、山間の、寂れた村に、宿を取ってあると言った。
「スイスには、帰らないのですか?」
「ナポレオンの部下どもが、年寄りの腰抜けばかりとわかったからね。まだまだ、スイスには帰れないのよ」
「はあ」
「フランスは今、物騒だわ。もちろん、女一人で、宿まで歩かせようなんて、思わないわよね」
「いや、だって、僕と貴女は、まるで無関係……」
「私は、ライヒシュタット公の姉よ!」
確かに、オルタンスは、ナポレオンの妻、ジョセフィーヌの連れ子である。
彼女には、ウジェーヌという兄がいた。この兄は、バイエルン王の娘と結婚した。だが、6年前に他界している。
「いや、しかし……」
アシュラはしぶった。彼は、ポーランドへ行きたかった。フランソワの異母兄、アレクサンドル・ヴァレススキと会ってみたかった。
だが、オルタンスは譲らない。
「言うならば私は、あなたの主人の、姉! アシュラ・シャイタン。エスコートを命じるわ!」
いつの間にやら、名前まで把握している。
たぶん、イタリアの親戚から聞いたのだろう。
「……わかりました」
しぶしぶ、アシュラは、同意した。
「それでいいのよ」
途端に、オルタンスは、上機嫌になった。
じっとアシュラを見つめる。ふと、遠い目になった。
「貴方を見ていると、もうひとりの息子のことを思い出すわ」
「全然違いますよ!」
アシュラは笑った。
「だってルイは、金髪で大柄だったし。イタリアで凄んでましたよ。僕だってもちろん、負けるとは思ってませんがね。体が大きければ、いいってもんじゃないんだ」
最後の方は、負け惜しみのようになってしまった。
……俺達に、ローマ王は必要ない。
胸ぐらを掴まれて、低い声で言われたことを、アシュラは、忘れなかった。
「ルイじゃないわよ」
オルタンスが吹き出した。
「一番下の子に似ているの」
「あ、宿で待ってる三男さん?」
「だから、違うわ。
「まだ、子どもがいたんですか!」
しかし、3つ下では、離婚後の子どもになってしまう。
平然と、オルタンスは頷いた。
「その子も、父親に取られちゃったけどね。彼、タレーランの息子なの」
「タレーラン!」
アシュラでさえ知っている、フランスの政治家だ。
「タレーランは、ナポレオンの失脚にも与したし、その後は、ブルボン家についたわ。多分、今頃、ルイ・フィリップの即位に尽力しているはずよ。息子と、孫と、三代でね」
苦々しげに、オルタンスは吐き捨てた。
まだ足りぬとばかり、さらに付け足す。
「しかも、その孫は、私と血がつながってるんだわ! それなのに、ルイ・フィリップに味方して!」
アシュラは、目眩がしそうだった。
「それにしても、子どもが、4人。それで、父親が、3人とは!」
「3人?」
オルタンスが遮った。明らかに、不満そうだ。
「だって、3人でしょ? ナポレオンの子が、
アシュラは指折り数えてみせた。
「まあ、そういうことにしておくわ」
まだ何か言いたげだったが、オルタンスは、口を鎖した。
肩を竦め、さらっと続けた。
「子どもは、ね。産めるだけ、産むのよ。それも、違う男の子どもを、取り混ぜて産んだ方がいい。個性ってものがあるから。母親にとって、子どもは、兵隊よ。好きなように出陣させ、戦わせるの。女の子だっていいのよ? 私も、母のために、長男を生んだわ」
「はあ」
「まあ、私は、子育てに失敗して、今は手元に、一人しか残ってないけどね!」
「……母親がいなくてよかったと、心から思いますよ」
ぼそりとアシュラはつぶやいた。
山道を上りきると、にわかに開けて、民家が見えてきた。
静かな山間の村だ。
ここに、ナポレオンの養女が潜伏しているなどと、まさか、誰も思いはしないだろう。
「母さん!」
そのうちの一軒から、青年が飛び出してきた。
「よかった! 無事だった! 心配してたんだよ!」
……この男が。
シャルル・ルイ=ナポレオン。
イタリアで会ったルイ・ナポレオンの弟で、
……フランソワの3つ上の、従兄弟。
「どう? ライヒシュタット公に似てるかしら?」
オルタンスが尋ねた。
挑発的な声だった。
「全然似ていません」
アシュラは即答した。
「目も口も鼻も、全然、違う。体つきも、まるで別人だ」
……何より、彼には、品位というものがない。
「イタリアにいる、兄のルイとは?」
「少しは似てますかね。顔の輪郭が。でも、額の形は、ぜんぜん違う。ルイのおでこは、うちの殿下とそっくりでした。でも、ルイと同じく、従兄弟でありながら、あの方と殿下は、まるで似ていない」
そう言えば、画家のダッフィンガーは、フランソワの耳の形を見ていたと、アシュラは思い出した。
彼は、近づいてくる男の耳たぶに注意を向けた。
「確かにでかい耳たぶをしているな。ナポレオンの肖像画と同じく。でも、形が違いますね」
「耳たぶ?」
「ええ。ナポレオンとプリンスは、耳たぶが、平らでした。……そういえば、ルイと、エリザ・ナポレオーネも」
イタリアで会った、フランソワの二人の従兄弟のことを、アシュラは思い出した。
「平らに下がった耳たぶは、ボナパルト一族の特徴なのかな? でも、あの方は、ぷっくりと、ひどく膨らんでいます」
「……」
オルタンスが、息を飲んだ。だが、アシュラは気がつかない。
「そういえば、あなたの、夭折されたご長男の名は、ナポレオン・シャルルでしたよね。イタリアの次男は、ナポレオン・ルイ。二人とも、『ナポレオン』が、ファーストネームだ。あ。そういえば、うちの殿下もそうだった」
アシュラは首を傾げた。
「でも、あの方は、違うんですね。貴女の三男は、シャルル・ルイ=ナポレオンだ。『ナポレオン』が、先頭にきていない」
「……」
「なぜ、彼だけ、ボナパルト家の家長の名を、最初に、持ってこなかったんですか?」
返事はなかった。
振り返って、アシュラは、驚いた。
オルタンスは、真っ青な顔をしていた。
「……」
無言で、アシュラを見つめている。
……ボナパルト家の耳ではない。
……名前の先頭に、家長たる伯父の名を付さなかった。
……「あの子だけには、ナポレオン帝国を、継がせられない!」
「まさか」
卒然と、アシュラは悟った。
「まさか、彼は……」
「しっ! あの子は知らない。誰も知らない」
鋭く、オルタンスが発した。
「どうしたの、母さん。その人は、誰?」
ナポレオンにも、フランソワにも、まるで似ていない青年が尋ねた。
わずかに甘えた声だ。末っ子らしい、のどかな風貌をしている。
「親切な人よ。ここまで、エスコートしてくれたの」
母親の顔になって、オルタンスが答えた。
等分に、アシュラと息子を見比べた。
「そうね。人手は、幾つあってもいい。あなたも、ここに投宿なさい」
「は?」
「ここで、私達の作戦を、手伝うの」
「いえ、僕は、ポーランドへ行って……、」
「ポーランド?」
オルタンスは笑いだした。
「ナポレオンは、ローマ王に、フランスの王座を託したの。ポーランドなんかじゃないわ」
「しかし……」
ふとオルタンスが笑い止んだ。
真剣な目で、アシュラを見つめる。
「
__________
ルイやシャルルだらけで、すみません。書いてる私も、混乱……。
馬車の中で待っていた三男、シャルル・ルイ=ナポレオン。後のナポレオン3世です。
彼に関して、興味深い話題を見つけたのが、今回のエピソードのきっかけです。
https://togetter.com/li/1261298
(ツイッターのまとめサイトです)
ナポレオン3世には、ボナパルト家の遺伝子が入っていない、というのです。
これには、2つの可能性が考えられます。
・そもそも、父親のルイ(ナポレオンの弟)が、ボナパルト家の遺伝子を持っていなかった(つまり、ナポレオン兄弟の母、レティシアが浮気した可能性ですね)
・ルイは、ボナパルト家の遺伝子を持っていた。だが、ナポレオン3世には伝わらなかった(そうすると、浮気したのは、ルイの妻で、ナポレオン3世の母、オルタンス……)
私は、後者を採用しました。だって、ナポレオンの母レティシアは、とても実直で、息子の即位にも反対でしたし(戴冠式も欠席してました)、倹約家で、そのライフスタイルは、皇太后になってからも、ちっとも変わらなかったそうですし。
浮気したのは、絶体、オルタンスだと思います!
オルタンスの子どもたちについて、まとめておきますね。
彼女の正式な夫は、ナポレオンの弟、ルイ・ボナパルトです。不仲な二人は、1810年(ナポレオンが、マリー・ルイーゼと結婚した年です)に、離婚しました。
以下が、オルタンスの生んだ子どもたちです。
○ナポレオン・シャルル
(父親は、このお話では、ナポレオン・ボナパルト。ナポレオンの最初の後継者に指名されたが、5歳で夭折)
※彼が、ナポレオンの子だという説は、あちこちで根強く囁かれています。しかし、こちらには、証拠がありません。
○ナポレオン・ルイ
(父親は、ナポレオンの弟のルイ・ボナパルト。イタリアで、カルボナリに参加している。従姉妹と結婚し、このお話では、ナポレオン帝国の後継者として、強烈な自負を持つ)
○シャルル・ルイ=ナポレオン
(父親は、このお話では、? 母オルタンスが、ナポレオンの弟ルイとの婚姻中に出生。両親の離婚に伴い、母に引き取られた。後の、ナポレオン3世。……それにしても、兄二人の名前をひっつけた名前、って……)
○シャルル・オーギュスト・モルニー
(父親は、タレーランの庶子、シャルル・ド・フラオ伯爵。父に引き取られて育つ。後、ナポレオン3世の下で、役職に就く)
ご参考までに、私のホームページに系譜を載せました。
「7 次世代のナポレオンたち」
https://serimomo139.web.fc2.com/franz.html#next
(ページトップは
https://serimomo139.web.fc2.com/franz.html
)
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