フランツ・ヨーゼフ誕生
フランソワは、
バーデンに到着した
ナイペルクとの秘密の結婚、そして、
彼女は、怯えていた。
フランソワは、なるべく、シェーンブルンに滞在するようにしていた。
もちろん、軍務で市内に戻らなければならない日も多かった。
だが、教練が終わると、すぐにまた、母の元へ馳せ参じる。
彼は決して、パルマの異父妹弟の話題を出さなかった。
その姿は、さながら、母に寄り添う、金髪碧眼の、
*
8月18日。
F・カール大公とゾフィーとの間に、待望の、男の子が生まれた。フランツ・ヨーゼフと名付けられたこの子は、後に、68年もの在位を誇る皇帝となる。
「見たこともないほど、愛らしい子どもね!」
伯母となったマリー・ルイーゼが褒めそやす。
出産は、シェーンブルン宮殿でなされた。宮廷が、こぞって、夏の離宮に移っていた。
マリー・ルイーゼは、ゆりかごを覗き込んでいる。赤子が、くしゃりと顔を歪ませた。
「あ。泣く。ほらほら、お母さん!」
「大丈夫ですわ、お義姉さま」
ゾフィーは、息子を抱き上げた。まだ不慣れな手付きではあったが、迷いはなかった。
傍らで、養育係のバロネス・ストゥムフィーダーが、どっしりと構え、母子を見守っている。
「あら。貴女は、自分でだっこするのね!」
驚いたように、ルイーズが尋ねた。
「ええ」
にっこりと、ゾフィーは笑った。
彼女は、決意していた。
この子は……この子に限らず、これから自分が産む子は……、必ず、この手で育てる、と。
成長するまで自分の膝下に置いて、決して、手離しはしない、と。
それは、母と引き離されて、孤独に育った男の子の悲哀を、身近に見てきたからであって……。
「貴女、怖くはなくて?」
マリー・ルイーゼが、不思議そうに尋ねる。
「怖い? 何がです?」
「そんなに小さくて、形の定まらないものを……その上、ぐにゃぐにゃ動くし……だっこして、落としたりしないかしら?」
「怖いです」
大真面目で、ゾフィーは答えた。
「でも、私がだっこすると、赤ちゃんが喜んでくれるような気がして……」
緩めた口が、笑っているように見える。口元から、透明な涎が、すすうーっ、と流れた。
「あ、汚い!」
マリー・ルイーゼがつぶやいたのと、ためらわずにゾフィーがガーゼで拭ったのは、ほぼ、同時だった。
バロネス・ストゥムフィーダーが、咳払いをした。
「今日の赤ちゃんの様子は、どう?」
微妙な空気を薙ぎ払うような、明るい声がした。
「あ、母上もいらしてたんですね!」
母の姿を見つけ、フランソワは、顔を輝かせた。
彼は、黄色いひまわりを手にしていた。
「これ。庭で見つけてきた。君にだよ、ゾフィー」
「ありがとう、フランツル」
ゾフィーは喜んだ。赤子中心の生活は、ほんの少しの、
赤子が、くしゅんといった。
「ダメよ、フランツ。赤ちゃんのいる部屋に、花なんて」
マリー・ルイーゼが咎める。
「かわいそうなフランツ・ヨーゼフが、くしゃみをしているわ」
「あ、……ごめんなさい」
フランソワが、母と赤子と、両方に謝った。
バロネス・ストゥムフィーダーが、ひまわりを受け取った。彼女は、ちらりと口元を緩め、フランソワに頷いてみせた。
ゾフィーも微笑んだ。
「大丈夫ですよ、お義姉さま。平気よ、フランツル。鮮やかな色は、赤ちゃんは嬉しいの。ほら。お花の方を見て、笑ってる」
「そう?」
そろそろと、フランソワが近寄ってきた。
ゾフィーの腕の中を、そっと覗き込む。
「すごくかわいい。どこもかしこもきれいだ」
低い声で囁く。
赤ん坊は、涎だらけの拳を突き出した。
「僕を見てるよ!」
興奮して、フランソワが叫んだ。
「ほら、お母様!」
「まだ、人の顔なんて、見えてないわよ」
マリー・ルイーゼが指摘した。
「でも、お母様。ほら! 笑った! 僕を見てる!」
つややかな二つの眼球には、フランソワが微笑む姿が映っている。
突き出された小さな拳を、フランソワは、そっと撫でた。
マリー・ルイーゼは、顔を顰めた。
この時期の赤子の笑いに、感情はない。もっといえば、それは、笑みなどではない。ぎこちなくしか動かない、筋肉の不随意運動に過ぎないことを、何人も子どもを産んだ彼女は、知っていた。
そして、自分の子どもの時と同じく、不気味に思った。
だが、彼女の息子は、違った。
彼は、完全に、赤子の虜になっていた。
「なんてかわいいんだろう。ねえ、お母様。僕も赤ちゃんの頃は、こんな風でしたか?」
「赤子なんて、どれもだいたい、似たようなものですよ」
言ってしまってから、マリー・ルイーゼは、慌てて付け加えた。
「でも、この子は特別! 特別、愛らしいわ!」
なにせこの子は、いずれ、オーストリア皇帝を継ぐ身なのだ。
彼女の父の治める、この国を。
「とろけちゃいそうだね」
うっとりと、その息子が言う。
「ホイップ・クリームをトッピングした、ストロベリー・アイスみたいだ!」
ゾフィーとマリー・ルイーゼは顔を見合わせた。
吹き出した。
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