7月革命―①蜂起


 その通りは、静まり返っていた。

 アシュラは首を傾げた。


 以前に来た時は、こんな風ではなかった。ひっきりなしに人が行き来し、活気があった。

 それが今は、商店は閉め切られ、人や馬の姿はない。暑い7月の太陽が、容赦なく照りつけるばかりだ。


 遠くで、どおーんという、音がした。地面が揺れるほどの、地響きが伝わってくる。続いて、大勢の人の、声。


 祝砲だろうか。しかし、何の? 

 アシュラには、さっぱりわからなかった。


 彼はこれから、ポーランドへ行くつもりだった。その前にフランスへ寄って、エミールとユゴーに会おうと思ったのだ。


 ここの街区は、不自然なほど、静かだった。遠くの騒ぎに驚いて、顔を覗かせる野次馬の姿さえない。


 道が、変だった。両側から壁がせり出し、妙に狭くなっている。

 よく見ると、壁ではなかった。


 そこは、居酒屋だろうか。がっしりとした、2階建ての建物である。建物の壁の前に、馬車が2台、横倒しになっていた。馬車の上には、たくさんの樽が乗せられ、さらに、平べったい石が、隙間を埋めている。そして、それら全てを、漆喰が塗り固めていた。

 道路に飛び出した壁は、居酒屋の、二階の高さにまで達していた。


 前を通りかかるのは、いやだった。何か、変なオーラが漂っているような気がしてならない。しかし、エミールとユゴーの元へ行くには、アシュラは、この道しか知らない。


 壁の真ん中辺まで、着た時だ。


 ちゃっ、と、微かな音がした。はっとして見ると、壁の樽と樽の間から、銃身が覗いていた。

 真っ直ぐに、アシュラを狙っている。


「動くな」

フランス語が言った。


 反射的に、アシュラは両手を上げた。


「兵士じゃないな」

壁の内側から声がする。

「市民か」


「そうだ」

 もちろん、アシュラは、パリ市民などではない。外国の旅行者だ。しかし、正直に告げることが、有利になるとは、とても思えなかった。幸い彼は、フランス語が話せた。


「名は?」

「アシュラ・シャイタン」

「職業は?」

「印刷工だ」

 口から出まかせだった。

 だが、銃身は引っ込んだ。


 背の高い、金髪の男が出てきた。フランソワとは全然違う、真っ直ぐな髪を、後ろで引き結んでいる。


「昨日の朝は、よくやった。さては、逃げ遅れたのだな」

「そうだ」

「『ナショナル』か。『グローブ』か」

「『グローブ』だ」


 何がなんだかわからない。相手の話に合わせるしかなかった。

 アシュラのこめかみから、じっとりと汗が滲んだ。


 男は、銃の台尻を地につけた。しかし、油断はならなかった。走って逃げても、すぐに銃を構え、射撃されてしまうだろう。

「我々は、リーダーをたてた。ラフィット邸が、抵抗本部となった。もう、大丈夫だ。これはもはや、暴動ではない。革命だ」


「か、かくめい……!?」


 男は頷いた。

「早くバリケードの中へ入れ。我々は、再び、市庁舎を奪還に行く。だがその前に、もっともっと、バリケードを固めねば」


 馬車や樽でできた居酒屋の前の壁は、バリケードだったのだ。

 「いや、俺は……」


 なぜ、外国人の自分が、フランスのモメゴトに参加しなければならないのか。

 そんなつもりは、アシュラには、さらさらなかった。

「俺には、他に用があって……」


 男の顔色が変わった。銃の台尻が、僅かに持ち上がる。

「用だと? 偉大なる革命を上回るほどの急用が、お前には、あるというのか?」

「いや、その……」


「怪しいやつ」

 男はつぶやいた。

 銃が、横向きになる。

「黒い目、黒い髪。お前、フランス人じゃないな」

「そんなことはない。半分は、確実にフランス人だ」

「半分? 半分ってなんだ」

「俺の……」


 それを言うのは、屈辱だった。

 だが、背に腹は変えられない。

「俺の親父は、フランス兵だった」


「何! フランス兵!? 軍人だったのか!」

はっきりと、銃口が、アシュラを狙った。

「さてはお前、市民に変装した、兵士だな」


 男の目は、細く、冷たかった。もはや、何を言っても聞き届けられることはないと、アシュラは感じた。


 ……これまでか。

 ……人生の終わりって、案外、唐突にやってくるもんだな。


 「ナポレオン軍だよ」

 軽やかな声がした。

「彼の父は、フランスの威光と尊厳の為に戦った。自由と民権の、旗手だったんだ」


 エミールだった。

 前に会ったときより、少し、背が伸びたようだ。体つきも引き締まり、大人びて見える。

「久しぶりだな、アシュラ・シャイタン。君は、良い時に来た。今まさに、歴史に残る、偉大なる革命が、始まろうとしているのだ」


「お前の知り合いか、エミール」

金髪の男が尋ねた。エミールは頷いた。

「そうだ。彼は間違いなく、庶民だよ、ガムラン」


 銃口が、下に向いた。

 全く情けないことに、アシュラは、へなへなとその場に座り込んでしまった。





 ブルボン王朝の復権で、フランスには、まるで革命前のような、時代錯誤な政策が敷かれた。

 ナポレオン時代を耐え抜いた旧貴族達は、ブルボン王朝の保護の元、ここを先途と栄華を誇った。一方、自由と平等を求めて戦った民衆は、再び、重税と貧困にあえいでいた。


 それなのに、シャルル10世は、楽観していた。ロシアとオーストリアの大使に、もう革命は起こらない、などと語っている。


 やがて発布された7月勅命は、選挙法改正を謳っていた。これにより、市民の有権者は、大幅に削減されることになっていた。施行されれば、事実上、有権者は、大土地所有者に限られてしまう。


 すでに5月に、議会が、解散させられたばかりだった。この議会は、自由主義の市民ブルジョワジーが多数を占めており、ブルボン政府には、全くもって、目障りな存在だったのだ。


 加えて、勅命では、出版物の言論の自由が、著しく制限されていた。



 1830年、7月27日、早朝。

 「ナショナル」「グローブ」など、発行されたばかりの4つの新聞が、警察に没収された。印刷所は激しく抵抗した。

 金髪の男、ガムランが、(印刷工のふりをした)アシュラを、よくやったと労ったのは、このことだったのだ。


 すぐに、パリの街に、暴動が巻き起こった。軍により、一旦は鎮圧されたが、市民たちは、あちこちに、バリケードを築き始めた。

 次なる戦いに備えるためである。


 翌28日、激しい戦闘が起きた。市民は一歩も譲らず、勇敢に戦った。あちこちに築かれたバリケードが、軍を寸断し、食糧や武器の補給を困難にした。


 テュイルリー宮殿が、市民の手に落ちた。


 銀行家のラフィットが、市民の代表として、首相と会見を申し込んだ。勅命撤回、内閣交代を要求したのだが、受け容れられなかった。

 反政府派の指導者たちは、ラフィット邸に集結、ここが、司令本部となった。


 翌29日になっても、市民の意気は、衰えなかった。あちこちに築かれたバリケードの内側では、国の警察や軍隊との戦いに備え、着々と、準備が勧められていた。


 アシュラがパリを訪れたのは、まさにこの時だった。





 バリケードの内側は、異様な匂いで満ちていた。

 この暑いのに、焚き火が焚かれ、大釜が、ぐらぐら煮え立っている。


「鉄砲の弾を作っているのさ」

鍋の番をしていた老人が、にかりと笑った。

「鉄を煮溶かして、鋳造する。儂は、鍛冶屋だからな。こういう仕事なら、まかせとけ!」


 建物の中では、女たちが、シーツを引き裂いていた。

「包帯にするんだよ」

聞きもしないのに、中の一人が答えた。

「シーツが、いくらあっても足りないくらいさ。あんたの下着は、清潔かい?」

 居合わせた女たちが、げらげらと笑う。

 下着を剥ぎ取られる前に、アシュラは慌てて、その場を離れた。





 エミールとは、あまり話している時間はなかった。

 ただ、フランソワが、彼のことを覚えていると言うと、やんわりと笑った。

「彼の帰還を待ちわびていると、伝えてくれたか」

「ああ」


 アシュラに先駆けて、エオリアがエミールの話をした。それで、アシュラは、フランソワの不興を買った。


 だが、今は、そこまで話している余裕はなかった。

 エミールは、この要塞のリーダーの一人として、あちこちに指令を出さなければならなかった。


「ユゴーとは、連絡が取れなくなっている。だが彼は、『グローブ』紙に革命の英雄を讃える詩を書いている。自由主義者であることに、間違いはない。きっと、どこかの戦闘に参加していると思う」

立ち去り際、エミールはそう言った。





 「ちょっと、あんた!」

誰かが、アシュラの腰を、どん、と叩いた。


 子どもだった。

 前歯が抜けて、隙間が空いている。

「ヒマだったら、手伝っておくれよ」


「決して、ヒマではないが……」

 「革命」とやらが本格的になる前に、一刻も早く、この要塞から、おさらばしたかった。


「いいや。俺は、さっきからずっと見ていた。あんたは、ヒマだね」

薄汚れた小僧は、手を振った。

「こっちへ来いよ。俺の仕事を、手伝ってくれ」


 小僧は、アシュラの手を握った。ぐいぐい引いて、歩いていく。

 建物の、反対側の出口から外へ出た。

 そこは、入り口とは別の通りに面していた。

 やはりバリケードが築かれているが、まだ、造りかけだ。


 ひっくり返された馬車と積み上げられ椅子の隙間から、アシュラは、バリケードの外へ這い出した。

 数人の子どもたちが、屈み込んで、なにか、やっている。


「おおい、みんな。手伝いを連れてきたぜ!」

小僧が叫んだ。


 そこにいた全員が、一斉に、アシュラを見た。

 みんな、薄汚い顔をしている。服はボロボロで殆ど体から落ちかけているし、長いこと洗っていないらしく、髪は垢で固まってしまっていた。


「そこに座って!」

甲高い声が命じた。

 あまりに汚かったのでわからなかったが、驚いたことに、女の子だった。10歳前後だろうか。

「その敷石を、剥がすのよ!」

「敷石?」

「それで、バリケードを造るの!」

 石工が使う、ノミを渡された。


 「俺は、ガラスを集めてくる」

アシュラを連れてきた小僧が、黄色い声で叫んだ。

「石膏にガラスを混ぜときゃ、兵隊どもも、上まで上って来れないからな!」

「おれも行く!」

もう一回り小さい子どもが叫んだ。二人は、あっという間に、通りの向こうまで走り去っていった。







 民衆の決起は、ナポレオンのかつての部下たちを、奮い立たせた。

 あちこちから、かつての大佐や将軍たちが、続々と集まってきた。彼らは、グルゴー将軍宅へ集結した。


 グルゴーは、ナポレオンについて、セントヘレナまで行った、忠臣中の忠臣である。

 彼は、ナポレオンが亡くなった時には、パルマのマリー・ルイーゼに、手紙を書いた。


 ……貴方のご主人のことを、思って下さい。


 だが、言葉を尽くした手紙も、かつての皇妃マリー・ルイーゼの心の琴線には、なんら、触れることはなかった。

 ……。



 グルゴー宅へ集まった将軍たちからは、帝国の跡継ぎについての、議題が提起された。

 当然、ローマ王の名前が上がった。

 だが。


 そこにいる、誰一人として、成長したローマ王の顔を、見たことがなかった。

 ウィーンに派遣した仲間たちからも、何の音沙汰がもない。

 彼らは、ローマ王に接触はおろか、その姿を見かけることさえできなかった。

 それほど、ウィーンにおける彼の警護は、厳重だった。


 かつてのナポレオンの部下達は、今のローマ王について、殆ど何も知らなかった。

 彼は、どんな容貌をしているのか。

 どのような教育を受けたのか。

 どういう思想信条の持ち主か。

 何も、わからなかった。


 彼らが唯一、知っているのは、あのバーセレミーの詩集、「Le Fils de l’Homme」の中の、青ざめた青年の姿だけだった。


 ……。

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