プロケシュ=オースティンとの出逢い


 打ち上げられた花火が、シューッ、と、音を立てた。

 夜空に、大輪の花が開く。

 人々の歓声が上がった。


 ウィーンから、皇帝が訪れていた。そして、パルマからは、大公女、マリー・ルイーゼが、蒸気船でアドリア海を渡るという目新しいルートを経て、ここ、グラーツを訪れた。


 グラーツ城を取り囲んだ人々の興奮は、高まるばかりだった。


 「ナポレオン、万歳!」

 誰かが叫んだ。

 その叫びは、あちこちに、伝播した。

 そして、とうとう、群衆の一人が、こう、叫んだ。

「若きナポレオン! 万歳!」





 「プリンス。晩餐会が始まります」

ディートリヒシュタインが呼びに来た。ベランダに立ち、夜空を見上げている教え子に、中へ入るよう、促した。


「あまりにも無駄遣いだと思いませんか」

 空を見上げ、フランソワは小さくため息をついた。

「こんな金があるのだったら、慈善事業に寄付すればいいのに。または、もっと有効に使ってくれる公共機関に」

 ディートリヒシュタインは、肩を竦めた。


 彼らには、聞こえなかったようだ。

 群衆の熱狂が、誰に向かったのか……。





 食事も済み、人々は、思い思いに、場を変え、歓談にいそしんでいた。

 腰をカマーバンドで引き締め、膝裏まで届く長い上着を着用したフランソワも、愛想よく、周囲の人々と談話していた。肩からは、皇族を示すサッシュが、斜めに胸を横切っている。


 時折、母親マリー・ルイーゼを、目で探している。見つけることができると、ほっとしたように短い吐息をつく。


 不意に、彼のそばに集まってきた人々の群れが、割れた。

 白い髭の地区司令官が、近寄ってきた。

 彼は、目に涙をいっぱい、ためていた。


「プリンス。……なんて立派になられて。ナポレオン陛下の遺されたご子息が!」

 言い終わるなり、滝のように涙を流した。


 フランソワは、目を丸くした。


 老人は、マッテチェリと名乗った。

 オーストリア軍に入り、グラーツの司令官となる前は、ナポレオン軍にいたと話した。

 当時はまだ、傭兵制度が残っていた。職業軍人は、自分が忠誠を誓う軍を選べたのだ。


「私は、あなたのお父様と、ご一緒に、戦ったのですぞ。かの、偉大なる戦い、マレンゴにおいて」

 誇らしげに、マッテチェリは胸をそらした。


 フランソワの顔が、紅潮した。彼は、老人の腕を掴んだ。

「……詳しく……、……詳しく聞かせて下さい」

興奮で、声が上ずっている。


 マッテチェリは、大きく頷いた。

「当時、私は、ベルティエ元帥の副官として、プロイセン軍と戦っていました。命令を下すナポレオン陛下とは、それこそ、毎日のように、顔を合わせていました」


 マッテチェリの思い出は、鮮明だった。

 彼は、ナポレオンが命令を下す様子を克明に描写し、その、ものに動じぬ豪胆さを褒めそやした。


「なにしろ、大砲の響きの強さだけで、相手の位置と戦闘の状況を把握できるのです。お仲間の元帥たちと冗談を言い合っていたかと思うと、不意に命令を発せられ、それがまた、的確ときた。常に平静で、自己抑制にたけ、その半面、注意深く慎重でいらっしゃる。だから、瞬時に、正しい判断が下せるのです」



 マッテチェリの話は、尽きることがなかった。フランソワは、熱心に、殆ど、息もしないで聞き入った。



 白ひげの老兵は、最後にこう言った。

 「殿下。あなたは、偉大な名を有しておられます。あなたは、全方位から敵に脅かされるこの国の、まさに守護神となられましょう。そして、我らが愛する君主に、名誉あるご奉仕をされるでしょう」


 フランソワは答えた。

「神が、この私に、父の20分の1でも、才能を与えてくれたのなら、嬉しいのですが。その能力を、私は、全て、このオーストリアに捧げます。貴方と共に、この国に尽くせるのは、私にとって、大きな喜びです」




 ナポレオンと共に戦った人物に、フランソワは、生まれて初めて出会った。




 2日後、マッテチェリは再び、皇室の晩餐会に呼ばれた。

 グラーツ地区司令官マッテチェリは、副官を伴って現れた。

 34歳の将校、アントン・プロケシュ=オースティンだ。



 プロケシュは、始め、反ナポレオン派だった。若き日のプロケシュは、ナポレオンの独裁に反対した。彼は、オーストリア軍に入り、フランスと戦った。


 しかし、やがてナポレンが敗北し、フランスにルイ18世の王政が復古すると、あまりのその旧弊ぶりに、逆に、ナポレオンを擁護するようになった。

 ナポレオンの廃位は致命的な誤りであり、信頼の、不当なる欠如だ、という論陣を、彼は張った。著書もあった。



 プロケシュは、上官マッテチェリに連れられ、パルマ大公女マリー・ルイーゼに挨拶に来た。だが、皇帝の娘である彼女に、うまく挨拶できたろうか。

 プロケシュには、自信がなかった。


 その時、空気が微かに揺れ動いて、彼女の息子が、近づいてきた。

 ライヒシュタット公……ナポレオンの息子だ。


 金髪碧眼の、美しい王子だった。背が高く、均整の取れた体つきをしている。唇がふっくらとしているのは、母親譲りだろうか。だが、尖った顎は、明らかに、ナポレオンに似ていた。


「母上。どうぞ、お席の方へ」

低く優しい声で、彼は母を誘った。


 息子に手を取られ、マリー・ルイーゼパルマ女公が立ち上がる。

 ナポレオンの息子ライヒシュタット公は、プロケシュをちらりと見た。だが、声を掛けることはなかった。



 やがて、晩餐会が始まった。プロケシュのテーブルには、皇妃ライヒシュタット公の祖母ヨーハン大公皇帝の弟、そして、ライヒシュタット公が臨席していた。



 その日の大きな話題は、先日行われたシューベルトの音楽会だった。2年前に亡くなったシューベルトは、今や、ウィーン音楽会の大きな人気をさらっていた。

 皇帝のテーブルでは、彼の話でもちきりだった。芸術に関心が深く、パルマにオペラ劇場を落成させたばかりという大公女マリー・ルイーゼも、興味深げに聞いている。


 だが、プロケシュのテーブルでは違った。


 プロケシュの向かい側には、皇妃とヨーハン大公が座していた。隣は、ライヒシュタット公だ。皇妃とヨーハン大公は、しきりに、ギリシアでのプロケシュの見聞を聞きたがった。


 もともとプロケシュは、海軍に入り、東地中海に回される予定だった。そのため、ギリシアに、長く滞在していた。

 高貴な二人皇妃とヨーハン大公にせがまれ、プロケシュは、東方での経験談を話した。


 話しながら、不意にプロケシュは、自分の隣にいた青年から、抗いがたい引力を感じた。暴力的なまでの熱量が、自分に注がれているのが伝わってくる。

 潤んだ青い瞳が、非常に強い光を湛えて自分を見据えているのがわかる。


 ……?


 隣りにいるのは、まるで、自分の心を奪い去っていく少女に出会った、10代の少年のようだった。少なくとも、プロケシュには、そう、感じられた。

 運命の恋に、初めて出会った、ティーンエイジャー。


 ……?


 だが、隣を見て確認するのは、不躾だし、マナーに反する。彼の隣にいるのは、皇帝の孫なのだ。

 気のせいだと、プロケシュは思った。この頃、疲れが溜まっているようだ。

 プロケシュは頭を振り、経験談に集中した。




 「ライヒシュタット公!」

来客の一人が、彼を呼びに来た。軍人のようだ。

 プロケシュに絡みついていた熱が、ふっと消えた。ライヒシュタット公は、軍人に親しげに微笑み返し、立ち上がった。


 食事は済んでいた。二人は談笑しながら、テーブルを離れていった。




 「ギリシア王には、どなたが即位されるんでしょうね。コーブルク公が辞退されてから、どなたの名も上がっていないけど」

二人を見送り、皇妃が尋ねた。


 ギリシアは、つい先ごろ、イギリス、フランス、ロシアの助けを借りて、トルコから独立を果たしたばかりだった。



「本来なら、ギリシア人の中から、王を出すべきだと思いますよ」


ヨーハン大公が応えた。


「しかし、実際のところ、独立までは協調できていた国内諸勢力も、誰が王になるかということになれば、話はまた、別でしょう。いろんな派閥が対立をし始める。独立を援助したイギリスやロシア、フランスの思惑もあるでしょう。国内から王を選べば、再び、内乱などということに、なりかねない」


ため息をついた。


「だから、力のある外国王家から、王を引っ張ってくる。外来王は、必要悪なんでしょうな」



 その考えは、全く突然、プロケシュの頭の中に降ってきた。

「ギリシア王なら、ライヒシュタット公はいかがでしょう!」

 ヨーハン大公と皇妃に向かい、彼は言った。


 声が、上ずった。


 この考えは、居合わせた人々から、穏やかな笑みを引き出しただけだった。

 プロケシュは知らなかったが、皇帝が、異教の国であるギリシアへ、孫をやるわけがないというのは、周知の事実だった。


「私は、賛成だわ」

唯一、年若い祖母皇妃だけが、賛意を表明した。





 やがて、晩餐会はお開きとなり、帰宅の時間が近づいた。

 プロケシュは、19歳の貴公子に、お別れの挨拶をしに行った。


 ライヒシュタット公の前に立ち、彼は、腰を折った。辞去の挨拶を口にしようとする。その時、不意に、ライヒシュタット公の両手が伸びてきた。彼の手は、プロケシュの手を、鷲掴みにした。


 しっとりと潤った、ひどく熱い手だ。


 驚いて、プロケシュは目を上げた。相手の頬は、紅潮していた。

「僕は、ずっと前から、あなたのことを知っていました」

耳元で囁き、ぱっと手を放した。


 プロケシュは、あっけにとられ、彼を見つめた。

 青い瞳が、強烈な輝きを放っている。


「また、お会いしましょう」

 そう言い残し、ライヒシュタット公は、立ち去っていった。


 ……一体、今のは、何の社交辞令だ?

 暫く呆然と、プロケッシュはその場に立ちすくんでいた。

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