パリの爆弾
8月。
パリで、爆弾が破裂した。
その爆弾は、詩の形をしていた。
爆弾を落としたのは、オーギュスト・マルセイユ・バーセレミーだった。今年はじめ、ウィーンにナポレオンの息子に会いに行き……そして、会うことを許されなかった詩人である。
彼の詩は、フランスの人々にナポレオンの忘れ形見のことを思い出させた。
再びフランスに君臨したブルボン王家は、民衆を搾取するばかりだ。革命は、まるでなかったように忘れられ、人々の暮らしは、苦しくなる一方だった。
そして、人々は、気がついた。
ナポレオンは、現代のプロメテウスだった、と。
彼は、民衆に、革命という「火」を与え、人々は、己の力に目覚めた。だがそれが、「王権神授」という、神の怒りに触れた。荒ぶる外来王、ナポレオンは、セント・ヘレナで
ナポレオンは、民衆の犠牲になったのだ。そのナポレオンの息子が、ウィーンで、立派に成長しているとは!
同時に、バーセレミーは、蒼白の顔をしたプリンスの、深い悲しみと絶望を、フランスの人々に伝えた。
……フランスとオーストリアの、二重の血の刻印。
彼は、
詩集の末尾には、家庭教師のディートリヒシュタインとの会見の模様も、付されていた。
人々は、ナポレオンの息子が、ウィーンで幽閉状態であることを知った。
詩集のタイトルは、「Le Fils de l’Homme」。直訳すれば、「その男の息子」になる。だが、この場合、「男」とは、「神」を指す。
「神の子」。
「Le Fils de l’Homme」は、キリストを指し示していた。人々の犠牲になり、磔刑に処された、神の子、キリスト……。
詩の効果は、激烈だった。
人々は、争って、これを買い求めた。
*
「なんだよ、エミール。お前、俺以外の人間が書いた詩を、買ったのか」
パリの、寂れた一角。机に向かい、唸っていたユゴーが、語気を荒らげた。
「だって、この詩は、ローマ王のことが書かれてるんだよ! 買わないわけにはいかないよ!」
外から帰ってきたエミールは、誇らしげ、詩集の表紙を、ユゴーに向けた。
「む。金のかかった表紙だな。さては、版元め、売れると踏んだな」
「売れるどころじゃないよ。書店は軒並み売り切れで、手に入れるのが、大変だったんだから!」
「で、読んだのか?」
エミールから詩集を受け取り、ユゴーが尋ねた。
「読んだ」
「俺の詩は、読まないくせに?」
「うるさいよ、ユゴー。あんた、プリンスに会ってないだろ。僕は、詩が読みたいんじゃない。彼が今、どうしているか、知りたいんだ」
「プロメテウスの息子は、ウィーンで、磔刑に処されているんだろ?」
「……あんたも読んだんじゃん」
「まあな。ゲラ(試し刷り)で読んだ。だが、詩としては、大したこと、なかったぞ。ありゃ、ドキュメンタリーだな。価値があるのは、巻末のノートだけだ。ローマ王の家庭教師と対面した様子が、書かれていたからな。それにしても、バーセレミーのやつ、いつの間に、ウィーンへ……」
「僕は、すごく気になる」
ユゴーから詩集を奪い返し、エミールがつぶやいた。
「気になる? 何が?」
「この詩に出てくるプリンスの描写は、すごく、不吉だ。青白い顔とか、生と死の混ざりあった、とか。プリンスは、元気でいるんだろうか。まさか病気……とか?」
「あの、オーストリアのスパイ……アシュラからは、何も言ってきていない。まあ、職務柄、内情を漏らすわけにはいかんのだろうけど。だが、大丈夫だ。何かあったら、ヴァーラインが必ず、連絡を寄越すはずだ」
ヴァーラインは、ユゴーとエミールの仲間だ。同じボナパルニストで、ウィーンの宮廷で、フランス料理のコックとして採用されている。
「何かあったらじゃ、遅いんだよ」
エミールはこぼした。
ユゴーは肩を竦めた。
「仕方なかろう。俺らには、旅券が下りなかったんだから」
旅券とは、パスポートのようなものだ。これがないと、国を出たり、よその国に入国することはできない。
ボナパルニストとして活動を続ける彼らは、当局から目をつけられている。特にエミールは、かつて、ローマ王の遊び友達だった。ユゴーも、ナポレオン擁護の作品をたくさん、書いている。
二人揃って、そう簡単には、旅券が出そうにない。
「それで、バーセレミーの判決は、出たのか?」
「Le Fils de l’Homme」は、ナポレオンの息子の現状について書かれていた。この本の大ヒットは、ブルボン王朝としても、見逃せない言論だった。
詩人のバーセレミーは、拘束され、裁判にかけられた。
「やつの、自己弁護は、大したもんだったな」
ユゴーがつぶやく。
「うん。弁護人よりもすごかったね」
「あれでも一応、詩人だからな。修辞の嵐で、完璧に裁判官を韜晦してた。一種の目くらましだな。まさに、言葉の魔術師だ。それは、認めてやってもいい」
「褒めるんだ」
「……いや。で、判決は?」
「禁錮3ヶ月と、罰金3000フラン」
「3000フラン! それは、痛いな」
「町のみんなも怒ってる。政府の布告が、また、ひどんだ」
ナポレオンの息子が、オーストリアに存在する。
バーセレミーの詩によって、フランスの民衆は、そのことに気がついてしまった。
それは、ブルボン朝にとって、大変な脅威だった。
「政府のやつら、こう言うんだ。
『ナポレオンの息子は、歴史にも、フランスにも、存在しない』
だってさ!」
がたり。
音を立てて、ユゴーが立ち上がった。
ペンを放り出し、外へ出ていく。
「ちょっと! ユゴー! どこへ行くのさ!」
「どこって、抗議のデモに決まってる。あのヘタレ詩人がどうなったって、一向に構わん。だが、ナポレオンの息子を侮辱するやつを、許すわけにはいかん」
「僕も行く!」
足音荒く、エミールも後を追った。
1828年夏。
バーセレミーの詩、「Le Fils de l’Homme」は、民衆の怒りとともに、ブルボン王朝の屋台骨を、確実に揺るがせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます