ふたつの貴賤婚


 昨年の夏、ウィーンに里帰りした際、マリー・ルイーゼは、父の皇帝に、ナイペルクと極秘に結婚していることを打ち明けた。


 息子フランソワが、大尉に昇進した折の、里帰りである。マリー・ルイーゼは彼に、ナポレオンがエジプトで佩刀していた剣を授けた。だが、その一方で、新しい夫がいること、そして、彼との間に二人の子どもまでいることを、父帝に打ち明けたのだ。


 そうではないかと、父の皇帝は、ずっと疑っていた。たまにしか、娘は里帰りしないが、必ず、ナイペルクと一緒だった。二人の親密さを見ていると、むしろ、体の関係がない方がおかしいくらいだった。


 貴賤婚。

 確かに、ナイペルクとの結婚は、褒められたことではない。

 だが、彼女をナイペルクと結びつけたのは、他ならぬ皇帝自身なのかもしれないのだ。



 1814年、パリが陥落し、幼いフランツと共に、マリー・ルイーゼはウィーンに帰ってきた。

 皇帝自身が、ランブイエまで出向き、フランスから取り返してきたのだ。


 マリー・ルイーゼは疲れ果て、喀血もあったと、父の皇帝に打ち明けた。

 休養が必要だった。エクスの温泉へ、静養に行きたいと、言った。

 だが、エルバ島のナポレオンが、その一味が、娘を奪いに来るかもしれぬ。

 それで皇帝は、彼女に、護衛官をつけた。

 それが、ナイペルク将軍だ。


 ……わが娘マリー・ルイーゼを監視し、細かな言動に至るまで報告せよ。ナポレオンと接触させてはならない。その為なら、いかなる手段を講じてもかまわない。


 あの時皇帝は、片目の軍人に、そう、親書を授けた。


 ……いかなる手段を講じても。


 皇帝はそれを、たとえ娘の身に危険が迫るような手段であっても、というほどの意味で用いた。

 だが、ナイペルクと彼の上司、シュヴァルツェンベルク及びメッテルニヒは、違う判断を下した。


 確かにナイペルクは、知将でもあった。その上、外交官としても、優れていた。彼は、文芸に詳しく、音楽の趣味を持つという。数ヶ国語に通じ、教養があった。そして、女性にもてるレディー・キラーと、評判だった。


 しかし、皇帝が彼を選んだのは、そのような理由からではない。彼が、勇猛な軍人だったからだ。

 ナポレオン及び、彼の配下に娘を奪われないよう、しっかり守ってほしかったのだ。


 ハンガリー騎兵隊将校出身のナイペルクは、オランダのドゥエル(現在はベルギー)で、オランダ軍に情報を届ける際、フランス兵士に、サーベルで薙ぎ払われた。当初、すっかり死んだものと思われたが、生きていた。だが、右目を失ってしまった。

 その後も、マレンゴを始めとする数々の戦いで、常に勇名を轟かせてきた。


 その勇敢さを、皇帝は買ったのだ。


 だが後に、シュヴァルツェンベルク元帥に指摘され、皇帝は、悟った。

 ……いかなる手段を講じても。

 確かに、娘とナイペルクを結びつけたのは、自分自身かもしれない……。




 ナイペルクとの間の、さらに詳しい事情を、皇帝は、マリー・ルイーゼに尋ねた。

 結婚は、1821年9月のことだと、彼女は答えた(筆者注 8月7日という説もあり)。


 子どもの年齢は、言わなかった。結婚が1821年9月(8月)なら、子どもは当然、それ以降の生まれであろうと、皇帝は推測した。また、マリー・ルイーゼも、上の子はまだ、5歳か6歳くらいだというような話し方をした(実際は、1828年現在、上の子は11歳、下の子は9歳)。



 皇帝は、結婚の期日に満足した。

 ナポレオンが死んだのは、1821年、彼女が再婚した年の、5月5日だ。

 9月(8月)の再婚なら、娘は、重婚の罪を犯したわけではない。


 そこのところが、皇帝にとっては、最も大事なところだった。


 とりあえず皇帝は、マリー・ルイーゼとナイペルクとの結婚を許した。

 実のところ、最初のナポレオンとの結婚より、よほど祝福の気持ちが強かった。むしろ、安堵した。


 だがこれは、公にされるべき婚姻ではなかった。

 ウィーンに残る息子、フランツとの間に、深刻な葛藤が生じる恐れもある。

 そもそも、貴賤婚は、おおっぴらに許されるべきではない。

 マリー・ルイーゼは、その点を、よく、わかっているようだった。何は於いても、彼女は、ハプスブルク王家の、皇女なのだ。





 マリー・ルイーゼ一行が帰路につくと、皇帝は、弟のヨーハン大公を呼び出した。



 5年前、ヨーハンは、兄である皇帝に、結婚を願い出た。

 相手は、アンナ・プロッフル。シュタイアーマルクの郵便局長の娘である。

 皇帝にはすでに、フランツ・カールという息子がいる。未だ子はないが、彼は、バイエルンから妻を迎えている。しっかりした嫁だから、妊娠は、時間の問題だと思う。


 それにもし、息子F・カールに子ができなくても、皇帝には、カール大公という、有能な弟がいる。カールにはすでに、4人の息子がいる。

 カールより下の弟、ヨーハンが王位を継ぐことは、恐らくあるまい。

 王位を継がないのなら、そこまで厳しく当たる必要はないと、皇帝は判断した。否、できうる限り、弟には、幸せになって欲しいと願った。


 アルプスの郵便局長の娘との結婚に、皇帝は、反対しなかった。

 ヨーハンは、驚いたようだった。

 すぐにでも、結婚許可証にサインをと、迫ってきた。

 あまりに必死な姿に、皇帝は涙ぐましくなると同時に、なんだか、笑えて仕方がなかった。

 とりあえず彼は、返事を保留した。



 弟が帰ると、皇帝は、必死になって、貴賤婚の先例を探した。

 すぐに、フェルディナント大公と、フィリッピーネ・ヴェルザーの先例を見つけた。記録では、二人の子どもは、皇族として認めない、とあった。

 同じことを、皇帝は、弟に伝えた。さらに、正式な結婚式は見合わせるよう、申し渡した。

 それでも、ヨーハンは、幸福そうだった。




 あれから、5年も経っている。

 呼び出されたヨーハンは、不安と期待にうち震えていた。

 その彼に、皇帝は、アンナ・プロッフルとの正式な結婚を許可する旨、申し伝えた。


 弟は、静かに瞼を閉じた。それから、喜びに満ち溢れ、兄の皇帝を抱きしめて、感謝の意を表した。

 彼は、足元から鳥が飛び立つように、シュタイアーマルクへ帰っていった。

 大方、喜びを共有する為に、妻の元へと、飛んでいったのであろう。



 年が明けると、ヨーハンとアンナは、マリアゼル(シュタイアーマルクの北部)の教会で、正式な結婚式を挙げた。


 ヨーハンはまだ、知らなかった。

 姪の再婚もまた、貴賤婚であったことを。

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