2通の手紙



 メッテルニヒの秘書官長、ゲンツが動いてくれたおかげで、フランソワの身の回りは、一応の安全が保たれていた。


 実際のところ、情勢は緊迫していた。

 年の初めには、フランスのアポニー大使から、「ライヒシュタット公は、フランスの様々な政党の、興味と恐れの対象である」とする報告が、宰相のメッテルニヒ宛に、届いたばかりだった。


 また、メッテルニヒは、パルマのマリー・ルイーゼに、ボナパルニストの動きが活発になっていると、警告を発している。


 家庭教師陣の警戒も、強まっていた。彼らは、外国から来る者と、プリンスが接触しないよう、細心の注意を払っていた。


 だが、フランソワには、何も知らされなかった。彼は、昨年夏の大尉への昇進を祖父の皇帝に感謝し、一刻も早く、実際の戦闘に参加したいと、待ち望んでいた。





 「何をしているんですか、殿下」

ふらりと立ち寄り、アシュラは尋ねた。


 書いていた何かを、フランソワは、さっと隠した。


「ははん」

すぐさま、アシュラは悟った。

「また、母上に、お手紙を書いていましたね?」

「悪いか!」

赤くなって、フランソワは叫んだ。

「悪くはありません。母親思いは、いいことです。でも、女の子の受けは、必ずしもいいとは限りませんよ?」


「またお前は……」

フランソワは、処置なしという風に、首を振った。

「心配なんだよ。……ナイペルク将軍のことが」

「ナイペルク? ああ、パルマの執政官の!」


 片目のこの元軍人を、アシュラも見たことがある。フランソワの母親マリー・ルイーゼのウィーンへの里帰りには、常に同行してきていた。


「そういえば、ディートリヒシュタイン伯爵も、心配していましたね。去年の夏に来た時、顔色がひどく悪かったって」



 ディートリヒシュタインとナイペルクは、古くからの友人同士だった。頑固な伯爵を、フランソワの家庭教師に推薦したのは、ナイペルクである。母親マリー・ルイーゼの信頼厚いナイペルクの提言で、ディートリヒシュタインは、短期の家庭教師から、長期契約に切り替わったのだ。



 フランソワは頷いた。

「僕もそう思った。将軍、元気がないなって。案の定、パルマへ戻る途中、体調を崩されたんだ。母上だけ先に出立なさって、遅れて将軍もようやく、パルマに帰り着かれたそうだ」

「それはそれは」

「なのに、母上は、なかなか将軍の様子を知らせて下さらない。だから、手紙を書いて、将軍の容態を知らせて下さるよう、催促しているのだ」

「前の手紙は、いつ届きました?」

「5日前」

アシュラは呆れた。

「5日間、手紙が届かないからって、催促の手紙を書いているんですか、あなたは!」

「だって、木曜日から火曜日までの将軍の具合を、僕は、知ることができないんだぞ。心配じゃないか!」


「……。ナイペルク将軍って、確か、グスタフ・ナイペルクのお父さんですよね? モーリツ・エステルハージと一緒になって、あなたを、悪所巡りに連れ回している……」

「悪所になんか、行っていない!」

「お行きなさいよ。むしろ、行くべきです」

「いやだ」


「……グスタフに聞けばいいでしょう?」

「何を?」

「お父さんの具合。彼には二人もお兄さんがいて、パルマとウィーンを行ったり来たりしているんだから」

「僕は、お母様から、教えて頂きたいんだ!」


「やっぱり、ただお母さんから手紙が欲しいだけじゃないか……」

横を向き、口を歪めてアシュラはぼやいた。


「何か言ったか?」

フランソワが尋ねる。

「いいえ。何も」

「本当に、心配なんだ。将軍は僕に、とてもよくしてくれたから。生まれて初めて、狩りに連れて行ってくれたのも、ナイペルク将軍だった」



 マリー・ルイーゼとウィーンに帰ってきたナイペルクは、7歳のフランソワを、狩りに連れ出した。

 大きな銃声に少しも動じないフランソワに、同行した家庭教師達は、驚いていた。同時に、さすがナポレオンの息子だと、感嘆した。



「でも、仕留めたのは、うさぎやうずらみたいな、小さいのばかりだったけどね」

フランソワは肩をすくめた。

「少し前にも、将軍は、フランス語を学ぶ重要性を教えてくれたし」


 ……ナポレオンが使った言葉、彼の軍を勝利に導いた号令は、何語で発せられましたか?


「それで、僕は、わかったんだ。僕にはフランス語を学ぶ理由があるって」



 疑い深い眼差しで、アシュラがフランソワを見ている。

「でも、今、将軍は具合が悪いのだから、手紙なんか書けないでしょ。実際に書くのは、あなたのお母さんだ」

「子どもっぽいことなんか、書いてないよ!」

フランソワは叫んだ。

「甘えたことも書いてない。ほら。読んでみろよ」

 書きかけの手紙を押し付ける。


 スパイは受け取り、無言で目を通した。

「……あれ?」

「何?」

「ここ……」


 手紙の一節を、アシュラは読み上げた。

「貴女は、いつも将軍のそばにいて、彼の世話をすることができる。貴女がうらやましいです、大好きなママ」


「親愛なる母上、だ! 勝手に変えるな!」

「同じことでしょ」

「ぜんぜん違う! で、そこが何か? だって、僕やディートリヒシュタイン先生は、ウィーンで、ただただ、パルマからの早馬の到着を待つしかないんだぞ?」

「いやね。同じ表現を、どこかで読んだ気がして……」


「気のせいだ」

きっぱりと、フランソワは言い切った。

「な。大人の男として、ちゃんと振る舞っているだろ?」

 アシュラの手から、手紙を奪い返した。

「そういうわけで、状況は差し迫っている。急いで続きを書かなくちゃならない。さっさと出て行けよ」


 肩をすくめ、アシュラは、フランソワの部屋を出た。





 家庭教師の控室の前を通りかかった時だった。

 アシュラは、はっと立ち止まり、中へ入っていった。

 フランソワの手紙に対する既視感の、理由を思い出したのだ。

 3人の教師は、いずれも不在だった。構わず、キャビネットに近づいていく。



 ……ほら。プリンスは随分、きれいな字を書くようになっただろ? 見てみたまえ。この、Sの字の、優美な曲がり具合!

 得意げに言って、ディートリヒシュタインが手渡した……。



 基本、フランソワが書く手紙は、全て、家庭教師が目を通している。ディートリヒシュタインなどは、文法や文字の間違いをうるさく指摘するが、本当の目的は、不審な人物と接触させない為の監視である。

 ナポレオンの息子には、通信の自由がないのだ。

 教師の訂正の入った手紙を清書し、家庭教師の再チェックの元、ようやく、郵便に乗せることができる。


 もちろん、フランソワも、ちゃんとわかっている。

 そもそも、子どもの頃からの習慣である。



 アシュラは、キャビネットに几帳面に収められた紙ばさみを漁っていった。


 不要になった下書きは、オベナウスが、丁寧にファイルしている。

 コリンの後任のこの家庭教師を、フランソワは、メッテルニヒのスパイだと疑い、嫌っていた。


 アシュラが調べたところでは、そのような事実はない。ただの小心の、官僚的な男というだけだ。



 アシュラ自身は、フランソワの身の回りを探ることは、とっくにやめていた。しかし、ディートリヒシュタインに見せびらかされて、あの時は思いがけず、彼の私信に目を通すことができた。もっとも、家庭教師の目に触れている時点で、それは、純粋な私信とは言えないのだが。



 探している一枚は、すぐにわかった。

 2年前、フランソワが15歳の秋に書いた手紙だ。ナイペルクに宛てている。


……僕は、口で言うよりずっと、貴方が羨ましいです。だって貴方は、僕のお母様の、すぐそばにいるから。来月の12日のお母様のお誕生日にだって、貴方は、直接、僕のお母様に会って、おめでとう、って言えるでしょ? 僕が、一生懸命、お母様に、バースデーカードを書いている時にね! ……


 これが書かれたのは、フランソワが、勉学にやる気を出し始めた頃だった。夜中まで机に向かう彼を、ディートリヒシュタインは、体を壊すと、本気で心配していたものだ。



 ……僕は、口で言うよりずっと、貴方が羨ましいです。だって貴方は、僕のお母様の、すぐそばにいるから。


 ……貴女は、いつも将軍のそばにいて、彼の世話をすることができる。貴女がうらやましいです、親愛なる母上。


 全く同じ表現だ。

 15歳の時は、ナイペルクを羨み、今回は、母を羨んでいる。


 ナイペルク将軍に親近感を持っていると、さきほど、プリンスは、言い張っていた。だが、看病する人さえ羨ましいと感じるなんて、おかしい。そして、手紙が来ないと言って、母をなじっている。



 マリー・ルイーゼが5歳の息子を置いて、パルマへ旅立ってから、ウィーンの彼の元へ帰ってきたのは、今の時点(1828年末)で、たったの5回だ。だが、ナイペルクは、ずっと、彼女のそばにいる。



 フランソワが、ナイペルクの病床に侍る母を羨んでみせたのは、偽の気持ちフェイクだろうと、アシュラは悟った。


 ……つまりプリンスが羨ましいのは、

 ……ナイペルク将軍の方だな。彼は、自分のお母さん大好きなママに、看病してもらっているから。


 でも、そのようなことは、17歳の大尉として、書くべきではない。

 それに、ナイペルク将軍の病状はひどく悪い。そんな風に書いたら、家庭教師から叱責の上、訂正を喰らうだろう。

 だから、こんな奇妙な表現しかできなかったのだ。


 ……かわいそうにな、プリンス。体だけは大きくなったけど、彼の中では、寂しい子どもが泣いているんだ。

 アシュラは思った。そして、首を傾げた。

 ……母親なんて、そんないいもんじゃないのにな。








フランソワの書いた2つの手紙は、実在する手紙を日本語にしました。


・母親宛てに、ナイペルク将軍の病状を案じる手紙の日付は、1828年12月2日付です。時系列では、この前の、フランスの詩人、バーソロミーの逸話より1ヶ月ほど前になりますが、次の話との関連から、ここに配置しました。


また、


・15歳の時の、ナイペルク宛ての手紙の日付は、1826年11月16日です。なお、マリー・ルイーゼの誕生日は、12月12日です。



2つの手紙は、違う本に載っていました。この2つを比べた資料って、あるんでしょうか? 私に、ドイツ語、フランス語がわかれば、頑張って探すのに……。残念です。




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