墜ちた小鳥
久しぶりで会ったシューベルトは、確かに、
「
「心配するほど、悪くはないよ」
「10月に入ったら、兄さんたちと一緒に、歩いてアイゼンシュタットに、行くつもりだ。ハイドンの墓に、詣でるんだよ」
アイゼンシュタットまでは、往復で、3日はかかる。
それほどの徒歩旅行を企てているくらいなら、心配はいらないのかもしれない。
「それより、ライヒシュタット公は、どうされている?」
「プリンスは、このところ、お加減のよくないことが続いて」
ブルボン家による毒殺未遂の可能性。
長引く咳と発熱。
しかし、母親のパルマ女公の顔を見た途端、元気が戻ってきたこと……。
そんなことを、アシュラは、つらつらと話して聞かせた。
シューベルトの顔が曇った。
「知らなかった。彼の具合が、そんなに悪かったなんて。新聞にも、載らなかった」
……恐らくは、メッテルニヒが、言論統制をしているんでしょう……
そう言おうとして、アシュラは口を噤んだ。
マイヤーホーファーが言っていたように、
「
シューベルトが尋ねた。
「いいえ……」
アシュラは俯いた。
宮廷での監視や、秘密警察の日常業務に携わっていると、メフィストファレスや魔王などは、ひどく場違いのものに思えてくる。
現実からかけ離れた、ありえないこと、想像することさえ、憚られるような、遠い遠い……。
「僕がなぜ、シュヴィントのことを好きなのか、君は知っているかい?」
唐突に、シューベルトが尋ねた。
「シュヴィント……彼は、ミュンヘンの学校へ行くんですってね」
シュパウンから聞いた話を、アシュラは思い出した。
シューベルトは頷いた。
「うん。僕は、もっともっと、彼の世界が、広がればいいと思うよ。騎士や剣、そして、麗しい姫君が微笑む、夢と魔法の世界がね!」
「そうですね……」
しかし、マイヤーホーファーが言っていたように、今現在、そうしたファンタジックな絵は、流行らなかった。
長かった戦争が終わり、ウィーンは、平和を楽しんでいた。家族や友人を大切にし、日々の生活を慈しむ。
新興市民階級が中心となった、この時代は、ビーダーマイヤー(※1)時代と呼ばれた。今、流行っているのは、美しい自然美を描いた風景画や、肖像画を含む風俗画だ。
現実に突き当り、いずれシュヴィントも、画風を変えるのかもしれないと、アシュラは思った。
そんな彼の心を読んだのだろうか。うっすらと、シューベルトは笑った。
「ファンタジーの世界は、一般には、子どもの遊ぶ国だと思われがちだ。だが、僕は、おとなにこそ、必要だと思うんだ。単調な仕事を繰り返し、過重に働き、自分をすり減らしつつあるおとなこそ、お伽の国で遊ぶことが、必要なんだよ」
「……」
アシュラには、よくわからなかった。彼もまた、一日一日を働き通すのに、せいいっぱいだった。
「だが、今はまだ、魔王のことは、忘れるがいい。ライヒシュタット公は、努力しておられる。まずは現実での成功を、君は、せいいっぱい、手助けしてやるといい」
そう言われても、アシュラには自信がなかった。何をしたら良いのかさえ、わからない。
「僕に、何ができるのか……」
「考えることだ。いつも彼のことを気にして、心を砕き、最善を模索する。……人はみな、結局は、そうしているに過ぎない。貴族もブルジョワも、プロレタリアートも、ウィーンの城壁の外の、貧苦に喘ぐ人々も。たとえ皇帝だって、大切な人の為には、それしかできないんだから。だが……」
シューベルトは後ろを振り返った。
机の引き出しから、一枚の紙片を取り出し、アシュラに手渡す。
「その時が来たら、彼に、この歌を歌ってやるといい」
「これは?」
「前に、君に言ったろ? あの曲には、歌詞があるって」
……いつか、歌詞を教えてあげよう。この曲には、歌詞があるんだ……。
「子守唄ですね!」
アシュラは叫んだ。
シューベルトが、妹のペピやヨーゼファにハミングで歌ってやっていた曲だ。
そして、自分の宿命に絶望したアシュラにも(※2)。
もどかしい思いで、アシュラは、紙を伸ばした。黒々と書かれた文字に、目を落とす。
「これは……」
一読して、愕然とした。
あの時の作曲家の、暗く沈んだ目が、思い出される。
「プリンスに歌ってやってくれたまえ」
シューベルトは繰り返した。
「苦しみを、少しでも和らげる為に。希望を、……」
そう言って、沈黙した。
*
この年(1828年)秋口から体調を崩していたシューベルトは、10月31日、兄フェルディナントと、なじみの居酒屋、「赤十字亭」で、食事をした。
この時、魚を食べようとしたしたシューベルトは、不意に吐き気を催し、食事を中断した。それから、殆ど何も食べられない状態が続く。
体調は最悪だった。
それでも、その3日後、兄フェルディナントの作曲した「レクイエム」を聴きに、ヘルナルス教会を訪れている。この日は、兄と、教会の合唱指導者と共に、3時間ほど、散歩をした。
また、ヘンデルのスコアを研究し、もっとフーガの作曲技法を知りたいと熱望していた彼は、この頃、著名な音楽理論家の教えを乞うている。念願叶い、11月の4日に、友人の一人と一緒に、最初のレッスンを受けた。
だが、1週間後の11日。シューベルトは、ベッドから、起き上がれなくなっていた。
兄の妻と、12歳の娘テレーゼ、そして、13歳の異母妹ヨゼーファが、シューベルトの世話をした。
17日に、新婚の友人、シュパウンが見舞いに来た。シュパウンは、シューベルトが、「冬の旅」第二集の校正刷りに、手を入れている姿を見た。
だが、その晩から、ひどい錯乱状態が始まった。
翌晩。
兄のフェルディナントが付き添っていると、突然、弟が、つぶやいた。
「お願い。僕を、あの地下の片隅に置き去りにしないで。どうか、僕の部屋で眠らせて欲しい。僕は、この地上に居場所がないほど、ちっぽけな人間なんだろうか」
……地下の片隅。
その言葉は、フェルディナントの胸に、不吉に響いた。
意識が混濁しているのだと、フェルディナントは、自分に言い聞かせた。
彼は、優しく、弟に答えた。
「落ち着いて。兄さんはいつだって、お前の頼りになったろう? 大丈夫だ。お前は今までと同じように、自分のベッドに寝ているんだよ」
弟は、かっと目を見開いた。
「いや嘘だ。だって、ここには、ベートーヴェンがいない!」
ベートーヴェンは、去年の3月に亡くなっている。
フェルディナントは、息を呑んだ。
そんなにも、弟は、ベートーヴェンを慕っていたのだ。
翌11月18日、午後3時。
「ここで僕はおしまいだ」
シューベルトはそう言って、顔をそむけるようにして、息を引き取った。
シューベルトの柩は、若い学生たちに担がれて、マルガレーテンのヨーゼフ教会に向かった。あとに、友人たちと音楽のファンが続いた。
葬儀の後、柩は、ヴェーリング共同墓地の、ベートーヴェンの墓近くに埋葬された。
2年後に建てられた墓碑には、グリルパルツァー(※3)による銘が刻まれた。
「音楽はここに豊かな宝と、はるかに美しい希望の数々を埋めた」
※1
「ビーダーマイヤー」氏は、ルードヴィヒ・プファウという作家により、創作された、架空の人物の名です。
「ビーダーマイヤー」氏は、才能に乏しいけれども真面目、素朴で、道徳的な反面、いさか間の抜けている人物でした。
まさに俗物、ブルジョワの典型ですね。
作家は、自分が創作した「ビーダーマイヤー」氏に、現実味を与えるため、実在する、ある村の校長先生の詩を集め、「ビーダーマイヤー作」ということで、詩集を出版しました。(著作権とか……おおらかな時代だったんですね)
実際の校長先生は、貧乏の中で、8人の子どもを育て、村のわんぱく共に文字を教え続けた、良心的で善良、かつ、単純な人物だったそうです。
作家がこの校長先生を選んだのは、作家自身が作り出した「ビーダーマイヤー」氏と、同じカテゴリーに属する人物だったからです。
ちなみに、この詩集は、校長先生の死後、2年経って出版されました。校長先生は、自分の詩集が出版されたことさえ知りません……。
「ビーダーマイヤー時代」とは、オーストリアにおいて、「ビーダーマイヤー氏」が、幅をきかせた時代のことを指します。具体的には、ウィーン会議(1814年開始)頃から、1848年の革命までくらいです。
人々は、小市民的な文化を楽しみ、休日は、家族や友人たちとピクニックをして過ごす。そんな、時代でした。
※2
3章「シューベルトの子守唄 2」参照下さい。
※3
「カンパニュラの花と怪しいスープ」にも名前の出てきたグリルパルツァーは、この時代の劇作家です。ベートーヴェンが亡くなった時には、追悼文を起稿しています(4章「巨人の死」後書き参照)。
なお、ベートーヴェンとシューベルトの遺体は、1888年に、ウィーン中央墓地に移されました。
現在、モーツァルトの墓を挟むように、ベートーヴェンとシューベルトの墓はあります。モーツァルトの墓が、奥に引っ込んでいるので、ベートーヴェンとシューベルトの墓は、少し離れて、隣り合っています。
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