優しい子 2
一握りの土が、穴の底に投げ入れられた。
棺に当たり、乾いた音がした。
墓掘りの老人が、尋ねるような目線を、喪主に向けた。黒目黒髪の、まだ若い青年だ。故人の息子だということだが、ちっとも似ていないなと、墓掘りは思った。
青年は、何の反応も示さなかった。呆けたたように、手にしたロザリオを弄っている。
返事を諦め、墓掘りは、スコップいっぱいの土を掬った。
何の感情もなく、それを、墓穴へ落とし込んだ。
黒服の人々が、墓地の門へ向かっていく。大した人数はいない。ほんの一握りの人々だ。
「とうとう、連絡はつかなかったのかい?」
故人の叔父が尋ねた。
遺産を当てに、はるばるアルプスの山を下ってきた。だが、彼に遺されたものは、何もなかった。先祖伝来の財産を、
それで、この叔父は、苛立っていた。
「ドミニクを捨てていった女には、連絡は取れなかったのか!」
無言で、年配の女が頷いた。故人……ドミニクが子どもの頃から仕えている家政婦だ。
叔父は怒り狂った。
「だから、あんな女は止めろと言ったんだ。男と、家を出ていったきり、亭主の葬式にも帰って来やがらねえ。子どもをドミニクに押し付けっぱなしで。フランス兵との間に生まれた子を!」
「あんた、」
男の妻が、袖を引いた。顎をぐいとしゃくり、黒髪の青年を指し示す。彼はうつむき、悄然として、一行の最後からついてくる。
「かまうものか! そんな子どもを育ててやるなんて、全くドミニクも人がいい! あの子を育てるのに、いったいいくらかかったんだ? だからドミニクは、すっからかんになっちまったんだ!」
「ヘレナのベッドの上で、首を吊ってたんだよ」
近所の女が口を出す。
「普段は使ってない主寝室の。死体を下ろすのがまた、大変でねえ。アシュラは腑抜けのようになっちまって、役に立たないし」
「使えねえ息子だ」
故人の叔父は、毒づいた。
「おかわいそうな、旦那様」
ふいに家政婦が、喉を詰まらせた。
「奥様のベッドの上で……ご自分の手で……神よ……命を絶たれるなんて。ああ、旦那様は奥様に、どんなにか、帰ってきて欲しかったことでしょう!」
近所の女が舌打ちをした。
「あんな女でも、帰ってきてほしかったのかねえ」
「当たり前ですよ。旦那様は、奥様のことを、それはそれは、愛しておられました。だから、遺された子どもを……」
ちらりとアシュラを見た。
かすれた声で、老女は言い切った。
「フランス兵の子を、憎み、恐れ、その姿を見ることさえ辛くなって、ウィーンの寄宿学校へ入れたんです」
列のしんがりを付いて歩いていたアシュラの足が、ぴたりと止まった。
「学費に、金をかけたんだな!」
ダミ声で、叔父が喚く。
この叔父は、間違っていた。
「そして、
「おかわいそうに……旦那様!」
一層、高い声で、老女は泣き出した。
*
故人の息子が、教会に入ってきた時、ブリュックナー神父は、裏の果樹園へ、すももの手入れに行くところだった。
悄然と前に立ったアシュラを、神父は、裏庭に導いた。
ハサミを手に、注意深く剪定作業を始めた。アシュラは手伝おうとしない。
「ドミニクは、気の毒なことをしたな」
自殺は、カトリックでは、罪だった。天国へ至ることはできず、教会の墓地に葬ることも許されない。
その為、ドミニクは、病死だということになっている。
ブリュックナー神父は、知らん顔をして、その嘘を飲み込んでいた。
「神父様、教えて下さい」
背後から、切羽詰った声が聞こえた。
ゆっくりと神父は振り返った。
青白い顔に出会った。血の気を失った唇が震えた。
「父は、僕を憎んでいましたか?」
緊張しきって、殆ど無表情になった顔から、神父は顔を背けた。
すももの樹に向き直る。
「それは違うな」
乾いた声で言って、ぱちんと、小枝を切り落とした。
「彼は、君の負担になりたくないと……いつもそう、言っていたよ」
「負担?」
「ドミニクは、徐々に体が動かなくなっていた。寝たきりになる日も、そう遠いことではなかったろう。君は、彼を支える為に、コンヴィクトを辞めた。彼は、君に感謝していたよ」
「感謝……」
ぼんやりとアシュラは繰り返した。
ぱちん、と、2つ目の枝が切り落とされた。
「だが、それが、彼の心に重くのしかかっていた。彼は、自分のせいで、君の将来を歪めてしまったと、嘆いていた」
「そんな……」
「君は、音楽を続けるべきだった。最後の最後まで自分の道にしがみついて、ドミニクに、わがままを言うべきだったんだ」
「そんなことができるわけがない!」
「なぜ?」
「だって、」
……彼は、本当の両親に捨てられた僕を、ここまで育ててくれた……。
はっとアシュラは息を飲んだ。
自分が
父への愛という、美しい水面の下に沈んでいた、ふやけきった水死体のような感情は……、
……罪悪感。
「愛というのは、難しいね」
神父が振り返った。
「愛というのは、本当に難しい」
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