いずれ……


 師の逝去の知らせを受けても、フランツは、淡々としていた。


 幼い日、フランスからついてきた従者たちがいなくなっても、彼は、泣かなかった。

 母親が、彼を置いて、遠くパルマ領有に旅立った時も、平然としていた。



 「プリンスは、冷たい!」

ディートリヒシュタイン先生は、年老いた女官を相手に、ぶつぶつこぼした。

「コリン先生は、あんなにも、フランツ君によくしてくれたじゃないか。一緒に、『ロビンソン・クルーソーの小屋』を、造ってくれたじゃないか」



 それは、コリン先生とフランツが、二人で、シェーンブルン宮殿の庭園の、一角に造った小屋だった。

 フランツがまだ、ウィーン宮廷に馴染めなかった頃のことだ。


 コリン先生は、母と引き離された幼い生徒を、なんとか喜ばせようと努力を重ねた。劇作家で俳優でもあった彼は、物語の世界に遊ばせようと思った。

 『ロビンソン・クルーソー』は、当時、フランツが、夢中になっていた物語だ。まるで芝居の大道具を造るように、教師と生徒は、空想の小屋を、現実にした。



 ディートリヒシュタインにしてみれば、そこまでしてくれた先生の死の報に接して、泣きもしなければ嘆きもしないフランツの態度は、「冷たい」としか、思えなかった。


「このままでは、私が死んだ時も、あの子は、涙ひとつこぼしてくれないに違いない」

「そんなことはないですよ」

ラザンスキ伯爵夫人が口を出した。


 結婚前のマリー・ルイーゼについていた女官だ。皇女マリー・ルイーゼがナポレオンに嫁いだ時も、途中まで同行した。本当は、パリでも一緒にいるはずだったが、「手違い」で、ウィーンに送り返されてしまったということがあった。


 自信たっぷりに、彼女は述べた。

「大好きなコリン先生が亡くなられて、ライヒシュタット公は、ひどく悲嘆にくれておられます。私には、それがよく、わかります」


「だが、私の前では、平然としていましたぞ」

「それは、日頃からディートリヒシュタイン先生が、」

……厳しすぎるからですよ。それでは、子どもは、安心して素の自分をさらけ出すことができません……。

 だが、ラザンスキ伯爵夫人は言葉を濁した。


「私が? なんですと?」

「いえ、その、ライヒシュタット公は、強がっておいでなのですよ。男の子ですからね。人前で泣いたり、感情を露わにするのは、恥ずかしいとお考えなのです」

「そんなものかな。私には、日頃からあの子が、感情を押し殺しているのが、気がかりでならないのだ。それこそ、子どもらしくない。覇気のなさや、感情の起伏の少なさは、彼にとって、非常に不幸なことだと思う」


「複雑な環境の方です。もっと優しい目で見て差し上げないと」

「そのつもりだが」

「それで?」

「は?」


「いえ、なんでもありません。大丈夫ですよ、ディートリヒシュタイン先生。貴方はまだまだ、とてもじゃないけど、死にそうにありません」

「そりゃ、そうだ。下の娘の花嫁姿を見るまでは、私は、絶対、死なないつもりだ」



 2年前に、ディートリヒシュタインは、上の娘、イーダを18歳で亡くした。

 彼は、全部で5人の子どもを授かった。だが、生き残っているのは、長男と、一番下の娘の二人だけだった。


 それは、よくあることだった。

 子どもが成人まで育たないということは。

 だから、女は、自分の体を顧みず、無理をしてでも、一人でも多くの子を産もうとする。



 ラザンスキ伯爵夫人は、ディートリヒシュタイン家の事情は、知らなかった。無邪気に、彼女は尋ねた。

「あら、先生。お子さんがいらしたの?」


ディートリヒシュタインはむっとした。

「私には妻がいる。子どもがいても不思議はないでしょう」

「意外だわ」

「意外?」

「あ。ええと。つまりそのう……」

「はっきりおっしゃって下さい」


「先生が言わせるんですからね」

気の強さを感じさせる口調で、ラザンスキ伯爵夫人バロネスは言った。

「つまり、先生は、ご自分のお子さんにも、そんなに厳しい態度で接していらっしゃるのですか? ってことです」


「何をおっしゃる」

憤慨し、ディートリヒシュタインは叫んだ。

「長男や娘のジュリーに対するのと、フランツ君に対するのとでは、全然違います! フランツ君は、特別な子どもです。私には、彼を、立派に育て上げる義務がある。世界中のどこに出しても恥ずかしくない貴公子に、豊かな知識を持ち、高貴な振る舞いのできる、素晴らしいプリンスにね!」


「ですが、子どもは、ひとりひとり、性質が違います。皇位継承者でもない限り、そこまで厳しい教育を押し付けるのは、いかがなものでしょうか」

「彼自身の負うた使命の為です。皇位継承者でない? 貴女はそうおっしゃいますが、彼は、いずれ……」


唐突に、ディートリヒシュタインは口を鎖した。


「いずれ?」

ラザンスキ伯爵夫人が先を促す。


「いえ。なんでもありません」


プリンスの家庭教師は、ラザンスキ伯爵夫人の矛先を躱した。強引に話題を元に戻す。

「貴女が、私に子どもがいないと思われたのも、無理はないですよ。宮廷職場では、私は、個人的な話はしませんから」


 ラザンスキ伯爵夫人は、ため息をついた。

「コリン先生がお亡くなりになったことは、とても悲しいことです。ですが今、宮中は、F・カール大公の御婚儀で、祝賀一色です。ライヒシュタット公も、叔父上への礼儀から、おおっぴらに嘆くことが、おできにならないのでしょう。泣けば、お気が晴れることもございましょうに。お気の毒なことです」


「そうかもしれない」

そう言いつつも、ディートリヒシュタインは、首を傾げた。

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