私のかわいそうな子どもたち
……わが娘マリー・ルイーゼを監視し、細かな言動に至るまで報告せよ。ナポレオンと接触させてはならない。その為なら、いかなる手段を講じてもかまわない……
マリー・ルイーゼがウィーンに来てすぐの、1814年。
ナイペルクは、確かに、皇帝から命令書を拝命した。メッテルニヒと謀った上司のシユワルツェンベルクも、「そういうこと」だと保証した。
ナイペルクがエクスの温泉で待ち受けていたことは、父の皇帝の差し金であった……。だが、マリー・ルイーゼは、知らなかった。
つい最近、ナイペルクから、初めて聞かされ、彼女は仰天した。
……そんなからくりがあったとは。
だが、父帝は、信仰に厳格であり、特に、カソリックの規律を破ることは、決してない。
マリー・ルイーゼは、シュワルツェンベルクのおっちょこちょいをよく知っていた。それに、メッテルニヒが絡んでいたとしたら……。
「そういうこと」が、娘に手を出しても構わない、という皇帝の許可でなど、あるわけがなかった。
自分と
あろうことか、その罠を仕掛けたのは、メッテルニヒだったとは。
彼女を、ナポレオンに「売った」、メッテルニヒ……。
……どうして、思うような美しい恋ができないのか。自分の恋愛は、全て、
彼女は嘆いた。極めて浪漫的な悲しみに浸った。
……それが、皇女の宿命というものなのだ。
……秘密の、恋。
彼女は、上の女の子、アルベルティーナを、「私のかわいそうなダーリン」、下の男の子、ヴィルヘルム・アルベルトを「まるぽちゃの小さなおでぶちゃん」と、好んで呼び習わした。子どもたちは、母と父のことを、「シニョーラ」「シニョール」と呼ぶよう強いられた。
彼らは、極秘の恋の果実だったから。
時折、ウィーンから、ナイペルクの前の結婚でできた子、アルフレッドが遊びに来た。だが、彼女のもう一人の息子には、彼らの存在すら、知らされなかった。
下の男の子を産んでからも、マリー・ルイーゼは何度か妊娠、出産を繰り返していた。だがいずれも、流産したり、産後すぐに子どもが死んでしまったりと、うまくいかない。
子どもの父親、ナイペルクは、その都度、優しく彼女を慰めた。その優しさの中に、幾分かの怯えを感じ取り、彼女は、不機嫌になった。
始まりは、密通だった。マリー・ルイーゼの夫は、エルバ島で生きていたのだから、そこは、言い逃れができない。
ナイペルクは、不倫の罪に怯えていた。
……流産や死産は、犯した罪の報いなのだ。
前回のウィーンへの帰郷の折、皇帝は、彼にそっけなかった。大公ら他の皇族達も、彼のことなど、まるで眼中にないようだった。マリー・ルイーゼでさえ、人がいる時は、彼を素っ気なく扱った。
さすがに、ナイペルクは理解した。
……自分は、メッテルニヒに嵌められたのだ。
……皇帝は、何もご存じない。むろん、皇女を自分に与える気など、露ほどもなかったし、これからもそうだ。
……相変わらず自分は、ハプスブルク家の家臣なのだ。そしてそれは、死ぬまで……。
ウィーンで、彼に親愛の情を示してくれたのは、幼いライヒシュタット公、ただ一人だった。
何年ぶりかで会った彼は、ウィーンを発つ前と同じように、ナイペルクの後を追い回し、軍隊の話をせがんだ。その態度には、身分の違いなど、全く感じさせなかった。
……自分はこの子の父親から、妻を取り上げてた……。
かつての敵の息子に、せいいっぱいのことをしようと、その時、ナイペルクは決意した。
*
前にウィーンへ行ってから、3年が経とうとしていた。今年は、フランツに会いに行ったほうがいいような気が、マリー・ルイーゼはしてはいた。
パルマに封じられてから、息子には、まだ2回しか会いに行っていない。なにしろ、遠すぎるのだ。
連続した妊娠と、うまくいかない出産で、彼女は疲弊し切っていた。
父の皇帝と新しい皇妃には、昨年のヴェローナ会議で会ったばかりだ。
今年は里帰りしなくても構わなかろうと、マリー・ルイーゼは思った。
それなのに、ウィーンの息子からは、今年こそ来て下さいという手紙が、何通も届けられた。
その難しい言葉遣いや、正確な
こちらの事情も、考えて欲しかった。
ウィーンに行けば、往復と合わせて、4ヶ月、パルマを留守にすることになる。ナイペルクとの二人の子どものうち、上の女の子は6歳、下の男の子は、まだ3歳だ。
母を「お母さん」と呼べない彼らは、本当にかわいそうな存在だった。
パルマ領有の権利は、彼女一代限りのものだ。フランツもそうだが、アルベルティーナやヴィルヘルムにも、相続の権利はない。また、二人の父、ナイペルクは、勇敢な軍人ではあったが、財産を作る才には恵まれていなかった。
貴賤婚は、罪だった。だから、アルベルティーナとヴィルヘルムのことは、絶対に、ウィーンの宮廷に知られるわけにはいかない。彼らが、祖父の保護を受けることは、永遠にない。
彼らは、何も持つことがないのだ。
父親が財産を残さなかったという点では、フランツも同じだった。腹の立つことに、ナポレオンは、ガラクタの他には、息子には、何も残さなかった。ナポレオンの残した財産は、兵力維持の名目で、全て部下の手に渡された。
だが、ナポレオンの息子には、祖父から、ライヒシュタット公という地位が授けられた。彼の生涯は、祖父の皇帝によって、保証されている。
その上彼は、人前で堂々と、彼女のことを、「お母様」と呼ぶではないか。二人の
同じ母から生まれた妹や弟に比べると、フランツは、なんと幸せなことだろう!
遠く離れていて、ちょくちょく会えないからといって、それが何だというのだ。
煮え切らない返事を、マリー・ルイーゼは、ウィーンの息子に書き送った。
すると、とうとう、家庭教師、ディートリヒシュタイン自らが、手紙を寄越した。今年こそはウィーンに帰ってくるようにという、強い要請だった。
手紙には、プリンスは、一昨年、「リウマチ疾患」に罹ってから、時折、変な咳をしている、と書かれていた。
寝込むほどではないが、信頼していたフランク医師が亡くなられ、新任のゴリス先生は、優秀な医師なのだろうが、やっぱり自分は、プリンスのことが心配だ……。
そんなことが、わかりにくい長ったらしい文章で、くだくだと書かれていた。
またいつもの心配性が始まったのだろうと、マリー・ルイーゼは思った。
……ナポレオンが亡くなってからというもの、プリンスは覇気がなくなってしまった。なんだか憂鬱そうに、ふさぎ込んでばかりいる。子どもらしい、生き生きとした感動が、全く感じられない……。
これまでにも、ディートリヒシュタインからは、そんな報告が、わんさと届けられていた。
子どもが勉強を怠け、学科に興味を持てないのは、よくあることだ。ディートリヒシュタインの指摘は、針小棒大に騒ぎ立てているとしか、マリー・ルイーゼには思えなかった。
パルマの事情を優先させ、やっぱり今年は行けない、と、はっきり書いてやろうと、マリー・ルイーゼは思った。
彼女の考えを変えさせたのは、新しい夫の、ナイペルクだった。
ライヒシュタット公に会いに行くべきだと、彼は言った。自分は、彼を、狩りに誘い、いろいろ話をするつもりだ、と。
ディートリヒシュタインの手紙には、彼女があまりに長いこと、息子をほったらかしにしているので、ウィーン宮廷での彼女の評判が、悪くなっている、とも書かれていた。
その辺りにも、ナイペルクは注意を促した。
実家の宮廷で、自分の評判が悪くなるのでは困る。
マリー・ルイーゼは、しぶしぶ、重い腰を上げた。
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