ナポレオンの死


 フランツは、10歳になっていた。


 7月13日。皇帝から知らせが届いた日、ディートリヒシュタインはいなかった。宮廷歌劇場の支配人でもある彼は、時々、こうして留守をする。


 慎重に協議された結果、その知らせは、フォレスチが齎すことになった。時間も、夕食後の静かな時間が選ばれた。




 ドアを開けて入ってきたフォレスチを、フランツは、ぱっと振り返ってみた。

「あ、フォレスチ先生」

何かまた、いたずらを考えていたのだろうか。バラ色の頬をしている。


「プリンス……」


 口ごもるフォレスチの顔いろを、フランツは素早く読み取った。

 不審そうに小首を傾げる。


「君のお父さんのことだが……」


「お父さん……」

 プリンスの顔が、一瞬、輝いた。だが、その輝きは、みるみるうちに、不安に飲み込まれていった。



 ……だめだ。このままではよくない。

 目をつぶり、殆ど一気に、フォレスチは言ってのけた。


「元フランス帝国皇帝ナポレオン・ボナパルト陛下におかれましては、5月5日、お亡くなりになられました由……お伝え致します」


 フランツの呼吸が、止まったように感じられた。

 青く澄んだ瞳を見開いて、彼はじっと、フォレスチを見つめた。


 視線が痛い。

 フォレスチ自身の両目も見開かれていた。目の奥が空気に晒され、乾燥していくのがわかる。


 耐えられない苦痛だった。

 やがて、大量の涙が、フランツの目からあふれ出た。

 フォレスチが予想していたよりもひどく、フランツは泣いた。


 翌日、コリンがお悔やみを述べた時も、フランツの涙は、際限もなくあふれ出た。

 彼は泣いた。

 いつまでも泣き続けた。





 ナポレオンの死因は、胃がんだと伝わった。


 ウィーンでは、皇帝の義理の息子、孫の父親の死に対して、何の儀式も行われなかった。

 普段どおりの宮廷生活が営まれた。

 皇帝と皇妃、廷臣たちは、予定を変えなかった。彼らは、知らせを受けた翌々日の早朝、泊りがけの狩りに出かけていった。



 これは、メッテルニヒの意見だった。

 オーストリア皇帝は、義理の息子の死という家族間のことがらよりも、公の立場を大切にすべきだというのである。


 皇帝の孫について聞かれると、メッテルニヒは答えた。


「ライヒシュタット公に関しては、話は、いささか個人的な色合いを帯びてくる。ナポレオンは、ライヒシュタット公の父親である。私は、彼が父の死を嘆くことに反対する、いかなる前例をも見出すことができない。しかし、このことを、彼に仕える者たちにまで敷衍することはできない」


 宮廷にいた二人の家庭教師達は、顔を見合わせた。


 父の死を悲しんでいいのは、息子だけ。彼の身の回りの者は、ナポレオンの死を悼んではいけない。

 しかし、わずか10歳の子どもに、どうやって、父の死を弔えというのか。



 通達を受け、フランツに仕える者たちは、故人を悼む半旗や喪章を取り外した。

 表面上、何事もなかったかのように、人々は暮らした。

 しかし、フランツと、彼の二人の家庭教師達は、暫くの間、人前に姿を表わさなかった。





 若いコルシカ人の医師、アントマルキが、ナポレオンの意志を実行に移した。

 セント・ヘレナでナポレオンを看取ったこの医師は、後に、『回想記』を出版している。


 アントマルキ医師は、銀の小箱に詰められた元フランス皇帝の心臓を、パルマの女公爵マリー・ルイーゼに届けた。

 そして、形見として、愛する妻の魂に留めておいて欲しいという、ナポレオンの願いを伝えた。


 だが彼は、かつての皇妃に、会ってさえもらえなかった。

 「護衛官」のナイペルク将軍が対応した。元皇帝の心臓を持ったまま、コルシカ人医師は、直ちに追い払われた。





 ひとり。

 ただひとりだけ、フランツは、父の死を、慟哭し続けた。

 頭を垂れ、深い悲しみをその目に浮かべ、彼は、孤独だった。


 去年辺りから、彼は、父親の話をしなくなっていた。

 教師たちは、フランツはもう、父親のことを忘れたのだと思っていた。少なくとも、その執着は断ち切ったのだ、と。


 だが、それは間違っていた。

 心の奥深くに、父への憧憬と、生き別れた悲しみを秘めて、幼いフランツは、自らを鎖して、生きてきたのだ。

 ぴんと張った緊張の糸が、ぷつんと切れた形だった。





 息子の悲しみの深さを人づてに聞いて、マリー・ルイーゼは手紙を書いた。



 愛する息子よ。お父さんが亡くなって、あなたがとても悲しんでいると聞いたので、手紙を書きます。

 あなたの悲しみは、わたしの悲しみと同じくらい、大きなものでしょう。もしそうでなかったら、あなたはお父さんにとって、とても恩知らずな子どもということになってしまうでしょうから。

 あなたは、父親の美徳だけを受け継ぎ、この悲しみへと導いた父の失敗は避けるよう、心がけねばなりません。




 この手紙を読んで感激したのは、出張から帰ってきたディートリヒシュタインだった。


 彼はウィーンを離れていて、ナポレオンの死に接したプリンスを、すぐに慰めることができなかった。

 メッテルニヒの薄情な通達に対しても、共に憤ることはできなかった。


 だが、全ては時が癒やしてくれる筈だ。

 そもそも、ナポレオンの死は、5月だ。もう、3ヶ月も経っている。


 それなのに、彼の生徒は、相変わらず、どっぷりと、悲しみに沈み切っていた。愛情深い(と、ディートリヒシュタインには思えた)母親の手紙にも、なかなか、返事を書こうとしない。


 手紙を受け取ってから2週間後、ほとんど叱責するようにして、ディートリヒシュタインは、フランツに手紙を書かせた。

 もちろん、ディートリヒシュタインの厳しいチェックと、添削済みの文章だった。

 だがそれでも、母の悲しみに寄り添う、優しい手紙だった。


 フランツは、母の、父への裏切りを、まだ知らなかった。

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