軍務への道
「フランツ。お前は大きくなったら、何になりたいのだ?」
「……」
皇帝の問に、孫は答えなかった。大きな水色の瞳で、じっと祖父を見つめている。
「儂は……」
ためらいつつ、皇帝は言った。
「……もしお前になりたいものがないのだったら……儂は……司祭になったらどうかと思うのだが」
それは、皇帝の考えではなかった。
……ナポレオンの息子は、僧職につけるしかあるまい。
そう言ったのは、皇帝の叔母、そして、最初の妻の母、マリア・カロリーナである。ナポリとシチリアの王妃だった彼女は、ナポレオンに領土の大半を奪われ、さらに対立する息子から追い払われるように、ウィーンに亡命してきた。
彼女は、フランツがウィーンに来た年の9月に亡くなっている。
このマリア・カロリーナの言葉が、いつの間にか、ウィーン宮廷で一人歩きをしていた。はっきりとは言わないが、外相メッテルニヒもまた、同じ考えを持っていることを、皇帝は知っていた。
「僕は、軍人になりたいです」
はっきりとした答えが返ってきた。
その顔には、強い決意が漲っていた。だが一方で、不安の色も混じっている。子どもなりの確固たる意志を持ちながら、皇帝に逆らうことを恐れているのだ。
「軍人……そうか」
メッテルニヒは喜ばないだろうと、皇帝は思った。
皇帝が最も信頼するオーストリアの外相は、ウィーン会議後は「ヨーロッパの御者」としてその名を轟かせていた。外交の達人が、難しい立場にあるフランツを、軍人という目立つ立場に置くことに賛成するとは、皇帝には思えなかった。
司祭という立場には、皇帝の一番下の弟、ルドルフが就いていた。芸術に理解の深い彼は、体が弱かった。
しかし、フランツは違う。
生き生きとした瞳を持ち、一時もじっとしていることのできないこの孫には、司祭という職はふさわしくないように、皇帝にも思えた。
軍人。
それがもちろん、父ナポレオンへの憧れであることは、祖父の皇帝にもわかっていた。
フランスにいた頃、ナポレオンは、まだもの心がつかないうちから、息子に、フランス兵の制服を与えた。
これら兵士の制服の着用を禁じることは、いたずらが過ぎた時の、効果的なお仕置きになったらしい。
こうしたことを知りながら、祖父の皇帝は、フランツが6歳になった時に、オーストリア兵士の制服を与えた。
ただしそれは、栄光ある白い将校服ではなく、伍長(下級兵士)の制服だった。
何の軍功もない者に、将校の制服を与えるつもりは、皇帝にはなかった。
皇帝の5人目の弟ヨーハンが、3番めの兄カールに憧れて軍務を志した時も、皇帝は、特別扱いはしなかった。彼はヨーハンを、普通の若者と同じように軍隊に入れた。ヨーハン大公は、一般兵卒達と同じように、泥まみれになって、重い大砲や武器を運ぶことから、軍事キャリアをスタートさせた。
下級兵士の制服を与えられ、孫がどういう反応を示すか、皇帝は気がかりだった。
だが、フランツはとても喜んだ。彼はもっと小さい頃にパリでしたのと同じように、皇帝の執務室の前に、見張りに立った。
皇帝の部屋を訪れる官僚は、ある者は戸惑い、ある者は子どもの愛らしさに目を細めた。
……彼が憧れているのは、軍人であって、父親ではない。
皇帝は思った。
……希望があるのなら、好きな道を歩ませるのがよい。
1820年、基礎科のコースを終了した時期は、軍事訓練を始めるべき年齢だった。
フランツは、軍事に関することなら、活発な興味を示した。要塞制度を詳しく知りたがり、また、軍事キャリアに必要だと気がついてからは、数学を大きな関心を持って学ぶようになった。
体育科目としては、ランニング、跳躍、水泳、格闘技、乗馬が取り入れられた。
……彼は、兵士としての本能を持っている。
……馬を崇拝し、本能的に乗りこなす。
そんな風に感嘆する者もいた。
9歳の少年は、何の階級もつけられず、見習いという立場で、軍務への道を歩み始めた。
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