パパは今…… 2



 「フランスの王様は誰?」

ある日、フランツは、フォレスチ先生に尋ねた。


 いかついこの先生は、けれど、理屈が通れば、決して、わからず屋ではなかった。そこが、ディートリヒシュタイン先生とは違う。



「ルイ18世だよ」

即座にフォレスチは答えた。


 もちろん、そんなことは、フランツも知っている。用心深く、彼は質問を重ねた。

「それなら、彼の息子が、次のフランスの王様になるのかな?」


「いや、ルイ18世には、子どもはいないからね。甥がいるだけだ。順当にいったら、その甥が、後を継ぐことになるんじゃないかな」


「その人が、死んじゃったら?」

「さあね。先のことは、神さましかわからないさ」


 ここまでは、フランツの想定通りだった。慎重に、彼は、教師を罠に導いた。

「フランスには、前にも、王様がいたでしょ? 僕、知ってるよ。それは、誰だっけ?」


「君のお父さんだよ、フランツ君」


 フランツの罠のことなど、先生は、お見通しだった。

 フランツは、父親のことが、知りたくてたまらないのだ。

 だが、教師達と皇帝、マリー・ルイーゼとの取り決めで、ナポレオンのことはまだ、話し合ってはいけないことになっていた。


 早口でフォレスチは続けた。

「でも、君のお父さんは、王位を失ってしまった。なぜなら、彼は、戦争が大好きだという、好ましくない傾向をもっていたからだ」


 フォレスチは、自分が、ナポレオンと戦って捕虜になったことがあると、話した。

「戦争はね。悲惨なものなんだ」



 少しの間、プリンスは黙り込んでいた。

 やがて、彼は、意を決したように、尋ねた。


「僕は、知ってるんだ。パパは、『島』から『脱走』したんだって。ねえ、先生。パパは、『島』に閉じ込められてたんでしょ? パパは、何か罪を犯したの?」

「プリンス……」

フォレスチは、息を飲んだ。


 ナポレオンは、罪を犯した……それは、間違いない。彼のせいで、どれだけ多くの人が財産を失い、そして、死んでいったことか。

 どれだけ多くの人が、大切な人を亡くし、絶望のどん底に叩き込まれたことか。

 みんな、ナポレオンの野心の犠牲になったのだ。


 だが、君のお父さんは罪を犯したのだ、と、この、幼い少年に宣告することは、フォレスチにはできなかった。



「人が、判断できることじゃないよ」

とうとう、フォレスチは言った。

「君は、お父さんを愛し続けていいんだ。そして、お父さんの為に、祈りを捧げなさい」



 父親について語り合ったことは、フランツによい影響を与えたように、フォレスチには感じられた。

 授業の時とは全く違う、生き生きとした興味が、その表情に表れていた。


 戦争について、もう少しだけ話したいと、フォレスチは思った。


「君のお祖父さんの皇帝が、長いお留守から帰ってきた時、町の人々は、大歓迎してお迎えしただろう? まるで、子ども達が、父親の帰宅を喜んでいるみたいだったよね」

「うん」


ワーテルローの戦いから帰ってきた時の話だ。凱旋行進をする皇帝へ向けた国民の歓呼は、小さな孫にも、印象深かったようだ。


「なぜみんなは、皇帝のお帰りを喜んだと思う? だって皇帝は、戦争に負けたこともあるんだよ?」


「それは、お祖父様が、国を守る為にしか、戦わなかったからだよ」

返事は素早かった。フォレスチは、大きく頷いた。

「そうだ。国を守るために、仕方なく戦いに応じた皇帝の帰還を、民衆は歓迎したんだ」


「パパも、みんなに好かれる王様だった……」

フランツの目がぼやけた。きっぱりとフォレスチは言った。

「君のお父さんは、王様じゃなかった。彼は、自分で皇帝になったんだ」


「でも、僕のママと結婚した人だよ。それから、僕が生まれたんだ。そうだ!」

不意に、フランツは叫んだ。

「フォレスチ先生! 先生に、もっともっと、パパのこと、教えてあげる! あのね。本に書いてあるんだ。お願い。図書室へ連れて行って!」


 言われるままに、フォレスチは、彼を、図書室へ連れて行った。

 たくさんの本が、書架に並べられていた。革表紙の独特の匂いがする。

 フランス史のキャビネットの前で、フランツは立ち止まった。

「この棚だよ、先生!」


踏み台をよじ登り、フォレスチは言った。

「よし、取ってあげよう。君は、どの本を選んでもいいんだよ」

「『フランス帝国の輝かしい歴史』って本」

弾む声で、フランツは答えた。


 フォレスチは、探す真似をした。

「そんな本、ないよ?」

「えー、前に来た時にはあったよ!」

「ないねえ」

いささか、偽善的な気持で、フォレスチは答えた。


 プリンスが利用できるここの図書室からは、もちろん、彼にとって「有害な」本は、取り除かれている。


 「あるはずだよ!」

甲高い声で、フランツは叫んだ。


 フォレスチは彼を抱き上げて、書棚の中を覗かせた。

「ないだろ?」

「前にはあったのに……」


自分でもあやふやな気持ちになったのだろうか、プリンスは首を傾げた。

「あの本には書いてあったんだ。なにかとっても、素晴らしいこと……僕のパパのこと……どんなに勇敢だったか、とか、素晴らしかったか、って。多分、そんなことが書いてあったんだ……」


 自分の手の届く下の段を、なおも引っかき回しながら、プリンスはつぶやいた。

「あの本があったらなあ……あの本……」



 本は探し出すことができなかった。それでも、フランツは、フォレスチ先生と、父親のことを話すことができたのが、嬉しく、誇らしかった。


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