パパは今…… 1



 サロンに集まった紳士方が、当代の勇敢な軍人について、品定めをしていた。

 カール大公、シュワルツェンベルク元帥などの名が、矢継ぎ早に上がった。


「ソンマリバ将軍。貴殿も、そのお一人ですよ」

中の一人が言った。

 イタリア系のソンマリバ将軍は、その働きが認められ、ウィーン連隊の、指揮官を拝命している。

「間違いなく、貴殿は、3大軍人の一人ですな」



 「僕だって、勇敢な軍人を知ってるぞ!」

不意に、紳士たちの足元から、甲高い声が上がった。


 いつの間に忍び込んだのやら、ナポレオンの息子が、真っ赤な顔をして立っていた。



「ほほう。それは誰だい?」

 別の一人が、揶揄するように言った。この男は、前に、フランツの紅茶茶碗をひっくり返し、あたかもフランツの仕業であったかのように、ため息をついてみせたことがあった。


 フランツは、目をいからせた。

「僕のお父さんだ!」

言い終わるなり、だっと駆け出した。


 彼は、自分のしたことに、どきどきしていた。ドイツ語で、知らない人に、自分の意見を主張したことなどなかったからだ。



 「待ちたまえ」

 誰かが後を追ってきた。

ソンマリバ将軍だった。

「待ちたまえったら、君」

将軍はフランツに追いつくと、その肩を掴んで引き止めた。


「……」

真っ赤な顔のまま、フランツは振り返った。オーストリアの将軍は、父親の敵だ。無言で将軍を睨む。


「君は正しいよ、ムッシュ。君が父親について言ったことは、全く、正しい」

 将軍は言った。礼儀正しく、そして、敬意に満ちていた。


 ……この敵の将軍は、僕のパパが、勇敢な軍人だということを認めるのか。

 フランツは戸惑った。


「だがね。逃げたら駄目だよ。そういう大事なことを言ったなら、決して、逃げちゃ、駄目だ」

フランツの目をまっすぐ見据え、将軍は言った。

「君はもう、われらがオーストリアの一員なんだ。フランスからのお客さんじゃない。頑張り給え。な。踏ん張って生きていくんだ」

イタリアから来たこの軍人は言った。





 フランツは、悩んでいた。

 なぜ父は、自分に会いに来てくれないのか。父は今、どこでどうしているのか。

 いや、そもそも、父は、誰だったのか。

 フランスの王。

 それに決まっている。

 だが……。


 すでに自分は、「ローマ王」でなくなってしまった。自分は、ただの「フランツ」だ。

 それなら父は、いったい、どうなってしまったのだろう……。


 父のことが、心配だった。不安だった。

 だが、誰に尋ねていいのか、わからない。

 どういうわけか、ここでは誰も、父の話をしないのだ。

 まるで、話してはいけないことのように。

 策略が必要だった。





 「ねえ、お祖父様」

夕食の席で、フランツは、祖父に問いかけた。

「なんだい、フランツ」


 祖父の皇帝は、孫に優しかった。

 厳しいこともあったが、わけのわからない怒り方はしない人だった。


「パリにいた頃、僕には、小姓パージュ(page)がいました」


 フランツが小姓の話題を出すと、先生方はいつも、本の話を始める。そして、いつの間にか、英語のレッスンが始まってしまうのだ。先生方が、フランツに、フランスにいた頃の話をさせまいとしているのは、明白だった。


「でも、ここにはいません」



「ああ。あれは煩わしいものだからね」

だが、祖父は、本の話にそらしたりしなかった。

「いつも後から付いて来られるのも、面倒な話だ。だから、ここウィーン宮廷では、小姓はつけないんだよ」


 フランツは希望を持った。少なくとも、祖父は、彼の話を、そのまま受け取ってくれた。フランスの話をしないよう、制止したりもしなかった。


「その頃、僕は、『ローマ王』と呼ばれていました」

 そろり。

 彼は、次の一歩を踏み出した。


「そうだね」

頷いて皇帝は、緑色のくたっとした野菜を口に運んだ。おいしそうに、咀嚼している。


 すごくまずい葉っぱなのに、と、フランツは思った。

 青臭くて、いがいがした味が、いつまでも舌に残る。

 フランツは、ほうれん草が嫌いだった。だが、どういうわけか、祖父は好んでこれを食べる。すり潰してソースに混ぜたものを、肉にかけさせたりしている。


 ……僕とおじいちゃんは、違うところが多い。



 「なら、お祖父様。『ローマ王』って何?」

 直接、「ナポレオンって知ってる?」なんて、聞けるわけがない。

 搦め手で攻めるしかなかった。


「フランツ、」

皇帝は、フォークを置いた。しばらく考え込んでから、彼は言った。

「お前がもっと大きかったら、説明するのは簡単なんだけど……」


 皿を下げるよう、彼は給仕に合図した。


「たとえば、わしは、『エルサレム王』という名前を持っているだろう? でも、エルサレムを治めているわけではない」


 それは、慣例的な称号だった。神聖ローマ皇帝の名残として、オーストリア皇帝は「エルサレム王」の称号を、引き継いだのだ。


「ほら。儂はここ、オーストリアにいて、エルサレムにはいないだろう?」

フランツは頷いた。

「それと同じことだよ。お前が『ローマ王』と言われたのは、儂が時々、『エルサレム王』と呼ばれるのと、全く同じことだ」


 自分の説明に、皇帝は、満足したようだった。

 事務的で官僚的、極めて実務に忠実なこの皇帝は、ディートリヒシュタイン先生と似ているところがあった。


 ローマ王と父ナポレオンとの関連を聞き出すことは、とてもとても不可能だと、幼いフランツは悟った。





 「あれは、アウステルリッツ?」

 壁にかけられた戦争の絵を見て、フランツは尋ねた。


 アウステルリッツの戦いは、ナポレオンが、オーストリア・ロシア連合軍を打ち負かした戦いである。


「よく知ってるね」

ディートリヒシュタイン先生もフォレスチ先生も驚いていた。


 だが、先生方は、その戦いに勝利した、偉大な将軍のことを、話してはくれなかった。


 ……やっぱり。

 先生方も、祖父と同じだ。

 ……ようし。それなら……。


 「僕は、『あること』を知ってるんだ」

思わせぶりにフランツは言った。

「でも、言わないよ。だって、秘密だもん」



 ……秘密だって? なんだい、それは。フランツ君、教えておくれ。


 フランツの計画では、彼らは、そう、せがんでくるはずだった。

 そうしたら、フランツは、父の偉大な業績を、気が済むまで思い切り、話してあげるのだ。先生たちは感激して、父が今、どうしているか、教えてくれるだろう。



「……」

 だが、先生方は誰一人、フランツの策略にひっかからなかった。



 それでもフランツは、諦めなかった。


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