パルマ小公子

 タレイランによる臨時政府が成立した。元老院は、ナポレオンに対し、廃位を宣告した。ナポレオンはこれを受け容れ、無条件退位を宣言した。


 元皇妃一行は、オルレアンに移送された。そして、ナポレオンには、いかなる状況下においても会ってはならないと、臨時政府の名の元に、通告された。

 マリー・ルイーゼは、自分たちは、臨時政府の捕虜になったのだと悟った。

 ギロチンにかけられた大叔母、マリー・アントワネットのことが、脳裏を過る。

 不安だった。





 オーストリア外相、メッテルニヒの行動は迅速だった。間もなく、マリー・ルイーゼの処遇が決まった。彼女はパルマに封じられることになった。息子にも相続権が認められ、パルマ小公子を名乗ることが許された。

 この時は。

 すぐに、オーストリアの最高位にある、エステルハーツィ、リヒテンシュタイン両公爵が、父帝フランツとの面会を申し出た。彼女はオルレアンを出、再びランブイエに向かうことになった。




 「僕は、パパに会いに行く!」

オルレアンの庁舎中庭で、かつてのローマ王、フランソワは泣き叫んだ。

「この馬車じゃない! 僕の馬車を持ってきて! パパのところに行くんだ!」


「いつか。いつかね」

ママ・キューが、なんとか彼をなだめようとしていた。しかし、火に油を注ぐだけだった。


 年配の婦人がやってきた。町のおかみさんだ。

「小さな王様の手に、キスをしてもいいかね?」

「え? ええ」

ママ・キューは、上の空で答えた。

「あたしは、ルイ17世の御手にキスをしたこともあるんだよ」

言いながら、老婦人は、「小さな王様」の手に、唇を押し当てた。


「行くんだ! パパに会いに行くんだーーーっ!」

老婦人に手を取られ、唇を押し付けられている間中、フランソワは叫び続けていた。



 「ビスケットを用意していただけないかしら。それから、飲み物を何か。プリンスがどんなに待つのが嫌いか、知ってるでしょ? 馬車の中で、彼を待たせたくないの」

 こっそりと、ママ・キューは、従僕に命じた。

 プリンスの癇癪を恐れているのだな、と、従僕は感じた。


 最初は10台だった馬車は、今では6台になっていた。減った4台には、ナポレオンの親族と、新政府下のパリに職を求めて去っていった人たちが乗っていた。

 馬車は夜通し走って、翌日の昼間、ランブイエに到着した。

 ランブイエの宮殿は、ロシア兵に警備されていた。


 ……「あたしは、ルイ一七世の御手にキスをしたこともあるんだよ」

 モンテスキュー伯爵夫人の脳裏で、町のおかみさんの言葉が意味を結んだのは、馬車が走り始めてからのことだった。

 ……ルイ一七世はタンプル塔に閉じ込められ、そこで死んだ。

 オーストリア皇帝……プリンスの父方の祖父……との初めての接触に先立ち、不吉な思いを、彼女は拭えなかった。



 一足違いで、ナポレオンの使者がオルレアンに到着した。ナポレオンは、マリー・ルイーゼ一行がフランツ帝に会う為に出発したことを知った。もう、妻子は自分のところには来ないと悟り、絶望した。



 ナポレオンは、毒をあおった。マリー・ルイーゼの一行が、ランブイエに到着した日の未明のことだった。

 だが、その毒は古く、効き目はゆるやかだった。

 「自分は、生きることを宣告されたのだな」

意識を取り戻したナポレオンはつぶやいた。


 マリー・ルイーゼがこのことを知ることはなかった。





 フランツ帝は、なかなか、娘の元を訪れなかった。

 時間を持て余し、パルマ小公子となったフランソワは、ランブイエの街へと出かけていった。


 同じ年頃の子どもの一群(その多くは浮浪児だった)に会うと、彼は、自分のお菓子を分け与えようとした。

 しかし、彼のお菓子箱は、空っぽだった。フランソワは、ため息をついた。

「本当に、上げるつもりだったんだよ? でも、もう、残ってないんだ。悪いプロイセンの王様が、持ってっちゃったんだ」


「おもちゃはあるの?」

子どもの一人が尋ねた。

「ルイ18世が、全部、盗んでいった!」

今度は怒りを込めて、彼は答えた。





 とうとう、皇帝フランツが、ランブイエを訪れた。出迎えたマリー・ルイーゼの目から、涙が溢れた。無言で、父と娘は抱き合った。


 「パパの敵でしょ? 会いたくない!」

ぷいと横を向くプリンスを、ママ・キューはなだめ、言葉を尽くして説得した。

 今、彼は、母と祖父の後ろの、階段の上に立っている。


 母親が、ドイツ語で何か言って、息子を、父親の前に押し出した。

 少年は、礼儀正しく、初めて会った祖父の手にキスをした。

 フランツ帝は、少年の、カールした金色の髪を見、青い目を見た。

「ああ、この子には間違いなく、わしの血が流れている。ハプスブルクの血だ」

口ごもりつつ、彼はつぶやいた。


 ……よし。

 モンテスキュー伯爵夫人は、大急ぎで彼を祖父の前から連れ去った。

「ねえ、ママ・キュー。お祖父様は、ブ男だね?」

 プリンスがささやいた。

 間一髪だった。



 フランツ帝は娘に、ウィーンに帰り、そこから与えられた領土・パルマへ出発するよう、命じた。

 ナポレオンには会ってはならない、と、固く禁じた。




 ランブイエの城には、フランツ帝の後、ロシア皇帝アレクサンドルと、プロイセンのフリードリヒ・ウィルヘルム国王が訪れた。



 ロシアの皇帝ツァーの前で、パルマ小公子、フランソワはおとなしかった。ツァーは、ナポレオンの息子を見て、「素直で可愛く、賢そうないい子ではないか」と感心していた。

 ツァーは、半日近く、マリー・ルイーゼと話し込んでいった。



 プロイセン国王が来た時は、残念ながら、パルマ小公子は、お昼寝中だった。

「よいよい、眠っているのなら。子どもには、昼寝が必要だ」

 起こして来ましょうと言った養育係のレディを、人の良いこの国王は押しとどめた。

 プロイセン王は、ロシアのツァーのように、長居はしなかった。30分そこそこで帰っていった。

 彼は、幼い小公子から、お菓子を盗んだという疑惑が掛けられていることなど、もちろん、知らなかった。




 この二人の国王は、この後、紛糾するウィーン会議で、マリー・ルイーゼの味方になってくれた。

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