誰も見ていなくて、良かったね!


 もうすぐ2歳になろうというのに、ローマ王は、一向に、言葉をしゃべろうとはしなかった。話すのは、「ママ・キュー」と「パパ」だけ。

 その「パパ」も、周りが言わせようとすればするほど、子どもの口からは出てこない。


 「この、怠け者め!」

 皇妃とともに、ドレスデンへ向けて旅立つ前……それはナポレオンにとっては、そのままロシア戦線へ赴く旅でもあった……、ナポレオンは、ぽん、と息子の頭に手を置いた。

「俺がお前の年齢の時には、兄のジョセフをめちゃくちゃにぶん殴っていたものだぞ!」


 だがナポレオンは、息子の言葉が遅いのを、さほど心配してはいなかった。ひどく気に病んでいたのは、皇妃の方だった。



 ……ローマ王がしゃべらないのは、彼が、完璧に満たされているからではないか。

 オーストリアのフランツ帝から手紙が届いた。マリー・ルイーゼの手紙への返事だ。父の言葉に、皇妃は、少しだけ、慰められた。


 「そうですよ。お父様の皇帝の、仰る通りです。モンテスキュー伯爵夫人が先回りして、全部やってしまうのがいけないんです。おかわいそうなローマ王は、ご自分の気持を口にする暇さえないんですよ!」

憤慨したのは、モンテベッロ公爵夫人だった。

「おまけに彼女の夫は、とっても細かくて粘着質だし!」


 ドレスデンで、ナポレオンがロシア遠征に出兵した後、マリー・ルイーゼに様々な指示を出したのは、式部長官でもあったモンテスキュー伯爵だった。これは、皇妃が、諸王の前で恥をかくことがないようにという、ナポレオンの配慮だった。

 だが、マリー・ルイーゼには、窮屈だった。


 もちろん、彼女は、息子の養育係の夫を悪く言うような真似はしなかった。かわりに、モンテベッロ公爵夫人アントワネットが、悪口を吐きまくっていた。





 モンテスキュー伯爵夫人は、ローマ王の遊び相手を探していた。ようやく合格を出したのは、ローマ王より少し年上の子どもだった。


 二人の少年は、宮廷の庭で、元気に遊んでいた。そのうち、戦争ごっこが始まった。

 ローマ王は善戦したが、体格差は、大きかった。彼は打ち負かされ、地面に組み伏せられた。


 「誰も見てなくてよかったね!」

ローマ王を助け起こしながら、年上の少年は言った。

「安心していいよ。殿下デンカが負けたなんて、誰にも言わないから!」


 いや、ママ・キューこと、モンテスキュー伯爵夫人が見ていた。だが彼女は、地面に倒れたローマ王を助けに行こうとはしなかった。微笑んで、二人の男の子の、取っ組み合いを眺めていた。


 ……ローマ王は、うちの子たちが小さかった頃より、強くて生き生きして見えるわ。まだ2歳だけど、3歳の時のアナトールと同じくらい、大きくて力があるもの! 息子たちよりずっとかわいいし!



 同じ年頃の子どもたちと遊ばせるという、ママ・キューの試みは大当たりだった。間もなくローマ王は、おしゃべりを始めた。同じ年頃の「友達」が、さらに何人か、宮殿に招かれた。





 「ロシア戦線で、ナポレオンは戦死した。よって共和制を復活させる」

 12月23日。パリ都心部で、マレー将軍が宣言した。



 マリー・ルイーゼは、皇妃付きの女官長、モンテベッロ公爵夫人とサン・クルーの森を散策していた。

 子どもがたくさんいるこのレディには、不思議な懐かしさがあった。夫人と一緒にいる時だけ、マリー・ルイーゼは、素の自分に戻れる気がした。


 侍従が駆けてきた。

「大変です! クーデターが起きました。陛下がお亡くなりに……」

そこまで言って、絶句した。


 モンテベッロ公爵夫人は息を飲んだ。

 モンテベッロ公爵夫人は息を飲んだ。彼女の夫、ランヌ元帥は、対オーストリア戦で戦死しだ。しばらく忘れていた戦火への恐怖が蘇る。


 「宮殿に戻ります」

だが皇妃は、落ち着き払っていた。


 ……この人には、夫が死んだという言葉が聞こえなかったのだろうか。

 混乱した頭で、アントワネットは考えた。





 クーデターを起こしたマレー将軍は、強固な共和制思想の持ち主だった。為に、何度も捕らえられ、この時は、強制入院させられていたのを、抜け出しての決起だった。

 すぐに疑惑が持たれ、嘘が暴かれた。マレーは捕らえられ、処刑された。



 その間ずっと、マリー・ルイーゼは、冷静だった。陸軍士官学校へ避難せよとの指示にも従わなかった。


 一時間もしないうちに、革命は虚報であると伝える早馬が来た。


 普段、オーストリア女などと呼んで蔑んでいた宮廷人は、堂々たる皇妃の態度に、さすがはハプスブルク家の皇女だ、と賛嘆を惜しまなかった。


 皇妃は、慣れていたのだ。ウィーンを離れ、国中を逃げ回った経験が2度もある。


 ただ、その口から、夫の身を案じる言葉は、ついぞ吐かれることはなかった。今ではすっかり心を許しているモンテベッロ公爵夫人に対しても。





 ナポレオンは、死んではいなかった。彼はまだ、モスクワにいた。

 ロシア軍は、兵を増やしつつあった。加えて、コサック兵(ロシアの半農武装集団)が出没し、夜もおちおち眠れない。


 もうすぐ冬が来る。ロシアで冬を迎えるわけにはいかない。

 そんな折、パリで起きたマレー将軍のクーデターが、ナポレオンの心を決めさせた。

 彼は、撤退を決意した。




 ロシアの、冬の訪れは早かった。

 撤退の途上で、寒さはどんどん厳しくなった。零下20度から31度にまでなるのに、フランス軍は、まともな冬服の用意さえなかった。

 凍傷。飢餓。そして、凍死。

 人も馬も、次々と死んでいく。

 隙を見て、コサック兵が襲撃してきた。彼らの背後には、ロシア正規軍が控えている。



 42万人の大部隊で出発したフランス兵のうち、13万人が、捕虜になった。30万人が、戦死、あるいは怪我や病気で、命を落とした。この中には逃亡した者も多かったが、いずれも、故国に帰りつけたかどうか、定かではない。

 半年かかって国境まで辿り着いた者は、わずか5000人だったという。



 マリー・ルイーゼが贈ったローマ王の肖像画は、コサック兵に追われて橋を渡る直前、荷を減らす為に焼却された。





 ナポレオンは、夜中にパリに到着した。

 予告もなく宮殿に赴き、またもマリー・ルイーゼに夜襲をかけた。

 戦場で彼は、常に新鮮な肉を食べており、そのおかげで健康だった。洗いたての清潔なシャツを着ていた。



 帰還したナポレオンは、「フランスは、出兵前と全く変わらぬ栄華にある」と強調した。街灯が赤々と灯され、舞踏会が開催された。クリスマスシーズンには、例年と同じように、ベルサイユ周辺の森で狩りが行われた。



 ぽつり、ぽつりと、敗残の兵士達が帰ってきた。やせ衰え、襤褸をまとい、表情を失っていた。彼らは、街の明かりを見て、目をしばたたかせた。



 ナポレオンの参謀、ベルティエ元帥が帰ってきたのは、2月に入ってからだった。2年前、花嫁を迎えにオーストリアに派遣された特命大使でもある。彼は虚脱し、廃人のようだった。


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