第20話 ワシリーの初恋実らせ隊(「ヴァイマールとデッサウのバウハウス関連遺産」)

 8月第3週の土曜日。

 東急世田谷線下高井戸駅付近に、レンタカーを運転する侍が出没……なんて冗談はさておき。

 今日は、地元に帰る予定の日だ。

 正確には、地元に遊びに行く、かな。



「すみません、私の地元なのに、車出してもらって」

「すみません、俺も無関係なのに同行させてもらって」

「いいって、いいって。じゃあ、行こうか」

 “ワシリー”が運転してくれるこの車は、私の地元・檜原村へ向かう。



 高野さんからグループラインのお誘いがあったのは、ちょうどお盆の頃だった。今日より10日前である。

 グループ名は「ワシリーの初恋実らせ隊」。

 ワシリーって、誰だろう。

 高野さんのことだから怪しいグループではないだろう。

 グループの目的もわからないうちに、参加してしまった。



『あ、千桜先輩🌸

 ようこそです』



 と、藍奈ちゃん。



『来てくれたんですね。

 ありがとうございます。』



 なんと、彼――“英一くん”もメンバーに入っていた。



『待っとったで。』


 八城さん。そういえば、この前「旅の夜風」で彼と連絡先を交換していた。



『すみません、今仕事が終わりました』



 蔵波さんもグループのメンバーだった。



『じゃあ、全員そろったところで打ち合わせをしましょう。

 お局は出しゃばるよー!』



『名台詞やー』



 高野さんの決め台詞(?)に、八城さんが茶々を入れる。

 これで全員そろったのか。

 高野さん以外は、この前「旅の夜風」に集まった人達だ。

 でも、ひとり足りない。

 ……そうか、あの人が“ワシリー”なのか。

 かつて、ドイツに「バウハウス」という技術者専門学校があった。その技術者で指導者のひとりが、ワシリー・カンデンスキーという人物。

 多分、あの人のあだ名はその“カンデンスキー”に引っかけて“ワシリー”となったのだろう。

 命名したのは、世界遺産に詳しい彼だと思う。

 グループラインでの打ち合わせの結果、彼と私の檜原行きに“ワシリー”を同行させ、“初恋の人”に会ってもらうことになった。



 八城さんが言うには、“ワシリー”はかなりの奥手で、“初恋の人”の前で照れないように頑張っていたのだそうだ。

 就職してから疎遠になってしまったが、たまに八城さんが話題に出すと照れてしまって話を打ち切ろうとするらしい。

 だから今回、思い切って“ワシリー”の初恋を実らせようと、陰から手助けすることになった。



 高速道路で、あきる野まで行き、一般道で檜原村役場へ向かう。

 ここまで来ると、都内とは思えないくらい緑が深い。

 村役場の駐車場が、今日の集合場所だ。

 “ワシリー”にとっては8年ぶりの再会。

 喜ばしいことなのに、私は複雑だ。



 ワシリー・カンデンスキーをもじった“ワシリー”は、神田好基さん。

 “初恋の人”は、私のお姉ちゃん・白河千尋。



「お姉ちゃん、ただいま。ごめんね、大人数で来ちゃって」

「千桜ちゃん、おかえりなさい。全然平気だよ……あれ、もしかして“ギター侍”? やだ、変わってない! 元気だった?」

 お姉ちゃんは大きな瞳を輝かせ、神田さんの手を握る。

 神田さんは耳まで真っ赤になって俯いてしまった。飲み会のときの、酒がまわってやんちゃした勢いはどこ行ったんだ。

 お姉ちゃんは、私よりも小柄で可愛い。私とは全然似ていない。

 神田さんも八城さんも、白河という苗字を聞いても、私とお姉ちゃんが結びつかなかったようだ。

「神田さん、わかりやすいですね」

 彼が私に耳打ちする。

「お姉ちゃん、可愛いですから」

 お姉ちゃんは目は大きいけど、私みたいにぎょろっとしていない。

 私も、そんなお姉ちゃんみたいになりたかった。

「俺は千桜ちゃんの方が好きですよ」

 にししし、と蝉が鳴く。

 急に顔が熱くなってしまった。

 今日の予想最高気温は37度。

 まだ午前中なのに、かなり気温が上がっているのだろう。



     ◇   ◆   ◇



 「ヴァイマールとデッサウのバウハウス関連遺産」


 ドイツ連邦共和国

 文化遺産

 1996年登録


 ドイツ中部に位置する都市・デッサウと、そこから少し南の都市・ヴァイマールには、第一次世界大戦後の1919年に建築家ヴァルター・グロピウスによって開設された総合造形学校「バウハウス」の校舎などが残されている。

 「バウハウス」とはドイツ語で「建築の家」という意味で、中世の建築職人達の建築総同組合「バウヒュッテ」にちなむ名称。

 従来の美術学校と工芸学校を合併させ、建築のための総合教育を目指した学校であった。

 教授陣には、画家のパウル・クレーやワシリー・カンデンスキーなど、当時を代表する前衛芸術家が名を連ね、学生はこうした環境のもと、新しいデザインと技術を模索しながら、近代芸術の基礎を築いていった。

 バウハウスは1925年にデッサウに移転。

 しかし、台頭してきたナチスはその斬新な教育と思想に対し「非ゲルマン的」として弾圧を加え、閉校を余儀なくされる。

 1932年にベルリンで再度開校したものの、再びナチスの圧力を受け、翌年に廃校になった。

 世界遺産に登録されているのは、教授用住居の「マイスター・ハウス」やデッサウの校舎など14年間のバウハウスの活動の足跡を残す建造物群である。

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