第12話 デートではない(「日光の社寺」)
関東甲信越に梅雨明けが発表された次の日。
前日のタイムラインで見た「成城支店の支店長が本社に呼び出されたらしいよ」という情報を思い出さないように務め、いつもと違う時間に世田谷線の三軒茶屋駅を降りた。
むわっとした熱気に包まれ、思い出したように汗が出る。
汗ふきシートを使わないと駄目かな、と思った矢先、「白河さん」と声をかけられる。
「おはようございます、白河さん」
わ、もう会っちゃったよ。
“英一くん”と呼びそうになるけど、我慢。
「横田さん、おはようございます」
「同じ電車だったみたいですね」
「そうですね」
頬を掻く彼は、無精ひげが無いせいか、顔の線が綺麗に見える。
彼の白シャツがまぶしい。オリーブ色のジーンズが似合っている。脚長いな。スタイル良いな。
私が今日着ているのは、紺色のワンピース。この前着ていたものと同じだ。
地味かな。地味で充分。
デートではないのだから。
デートでなくて“同志会”なのだから。
今日は、一番近い世界遺産を見に行くのだから。
東急田園都市線の改札に入り、半蔵門線直通の渋谷方面の電車に乗る。
平日の10時頃は、意外と学生が多い。サラリーマンみたいな人も多く、シートには座れなかった。
「また俺の我が儘につき合ってもらって、すみません」
「とんでもないです。私も、行ってみたいと思っていましたから」
どうしよう。彼の目を見て話すことができない。
つま先がぶつかってしまうくらいの至近距離。
自分が汗臭くないか気になってしまう。
「白河さんは、どこの出身なんですか?」
「
ひのはらむら、と彼が言葉を転がした。
電車のアナウンスが、渋谷駅の到着を告げる。
銀座線に乗り換えるために下車しようとしたら、手を掴まれてしまった。
「表参道の方が乗り換えやすいですよ」
「すみません。そうなんですね」
危ない、危ない。ひとりで降りてしまうところだった。
ひやっとしたよ。どきっとしたような気もするけど。
「あの、横田さんのご実家は?」
彼に訊かれたから、私も訊いてみる。
「
「日光って……」
日光といえば、日光東照宮!
「さる軍団です」
想像とは違う回答が来た。
「昔は
電車は表参道駅に着いた。ホームに降りて、銀座線の電車を待つ。
確かに、渋谷駅で乗り換えるより、こちらの方が簡単だ。
「小学校の修学旅行が、日光だったんです。それで――」
「あっ、電車が来るみたいですよ」
彼は穏やかに笑った。
何だろう。日光東照宮の話題を避けられた気がする。
この電車ではシートに座ることができた。
でも、どうしよう。彼が隣にいる。
至近距離であることに変わりはない。
汗臭くなっていないかな。
「白河さんは、社会人何年目ですか?」
「3年目です。観光関係の専門学校を出たので」
「それって、資格も取れるの?」
「はい。一応」
「すごいな。俺なんか、大学出たけど無資格ですよ」
「すごくなんか……」
専門学校時代も、自分にも周りにも負けたくなくて、必死に勉強した。
就職も、目標としていた観光業界に決まった。
でも……この先もこの仕事を続けられるのだろうか。
コンプライアンス推進室の須磨さんから最終決定が告げられるのは25日だ。あと数日しかない。
上野駅で降りて、はぐれないように彼について行く。
テレビに上野駅周辺が映っていると、人が多いなあと他人事のように眺めるのだが、実際は想像以上の人の多さだった。
もしも「上野駅集合」になったら、自分だけ迷子になる自信がある。熱中症になる自信もある。そんなことをお姉ちゃんに話したら、「そんなことを自信満々に言い切っちゃ駄目」と叱られてしまうだろう。
多分、生まれて初めて上野に来たと思う。私は動物園にも東京国立博物館にも行ったことがない。国立新美術館があるのが上野じゃないと知ったときは、衝撃を受けた。
上野公園の敷地に入り、濃い緑色をした桜の木を通り過ぎ、シンプルな建物の前で歩を止めた。
◇ ◆ ◇
「日光の社寺」
日本国(栃木県日光市)
文化遺産
1999年登録
登録されているのは、「東照宮」、東照宮以外の神道の建造物の総称である「
日光山の始まりは、修験者の
室町時代には、数百の僧坊が立ち並ぶ霊場として賑わいを見せたが、戦国時代に豊臣秀吉と対立したことで衰退した。
江戸時代、徳川家康の側近であった僧・
東照宮はその後、「寛永の大造替」と呼ばれる大工事を受け、現在のような
500を超える彫刻で飾られた陽明門や、三猿像で知られる
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