第10話 お局は出しゃばるよ(「アルベロベッロのトゥルッリ」)
『千桜ちゃん、おはよう☁
なかなか返事ができなくて、ごめんね。
カクテルおいしそう!
バーに行ったの?』
私の送信から3日後に、お姉ちゃんからの返事が来た。
じめじめした気持ちを引きずったまま、私は遅番で出勤した。
日勤の藍奈ちゃんから「今日の世界遺産は?」と訊かれたのがうっとおしくて「アルベロベッロのトゥルッリ」と答えた。
藍奈ちゃんは見事なまでにポカンとして、それ以上訊いてこなかった。
我ながら、意地の悪い先輩だ。
それこそ、中世イタリアのアルベロベッロを治めていた、コンヴェルサーノ伯レベルの意地の悪さだ。
課税を逃れるために、解体しやすいよう簡易な家にすることを農民に命じた、コンヴェルサーノ伯。
農民の統制のための懲罰の手段であったとも言われている。
現在のアルベロベッロは、観光地となっており、建物を利用したお洒落なお店が並ぶと聞く。
領主に虐げられた歴史の上に立つ町は、住民の自治によって「好きなことをのびのびできる」町に生まれ変わったのか?
……今は、そんなことはどうでもいいか。
「白河さん、仕事の後にご飯食べに行かない?」
声をかけてくれたのは、男性ばりに仕事をこなす、高野美貴さん。
うん、恰好良い。三軒茶屋支店勤続年数10年は伊達じゃない。
高野さんは、いわゆるお局だけど、若手の飲み会に入っても全然違和感がないのだ。むしろ、若手から高野さんに声がかかるくらいだ。
遅番の後の外食はちょっとつらいけど、高野さんが声をかけてくれるのは珍しいし、嬉しい。
21時に退勤して向かったのは、キャロットタワーから歩いて5分くらいのところにある個人経営のお店だった。
「男が趣味で立ち上げました!」という感じの、ガテン系の料理屋さん。
「何名様?」と訊かれ、高野さんは「待ち合わせです」と答えた。
それを聞いたお客さんのひとりが、立ち上がる。
ガテン系の雰囲気に合わないホワイトカラーの男性は、成城支店の
「八城くん、ごめんね。だいぶ待ったでしょう」
「いえ、自分も先程着いたところです」
八城さんは、細い銀縁の眼鏡を正して、苦笑した。
「日勤やったんですけど、仕事終わりに、コンプラの須磨さんがまたお見えになりまして。黙っていればカワウソみたいやのに、あれではタスマニアデビルやわ」
メガ盛りのフライドポテトとサラダボウルとソーセージの盛り合わせを注文し、ビールで乾杯する。
「八城くんは、いつから
「4年前からです」
「神田くんは? 確か、八城くんの同期だよね?」
「カンちゃんですか。こっちに異動になって1年経ったと思います」
高野さんと八城さんの話を聞きながら、私はグループラインのメッセージを思い出した。
――神田さんと八城さんが面談していたよ。
神田さんは、社長へのメールで非難された人。
八城さんは、メールの送り主だと蔵波さんに思われている人。そして、蔵波さんの彼氏。
蔵波さんに「すまん。これから酷いことをする」と告げ、高野さんと私の前では「あれではタスマニアデビルやわ」と朗らかな八城さんが、本気で神田さんを辞めさせたいのだろうか。
「八城くんが4年前、神田くんが1年じゃあ、知らないかもね」
高野さんは、フォークを皿の端に置いた。
「成城支店でね、以前にも似たようなことがあったの。はじめは、10年前。私が旦那と離婚して、
高野さんは、さらりとすごいことを言ってくれた。
「社長への直通メールは、その頃に始まったの。『この人はうちの会社で働くのにふさわしくない』という内容のメールが送られたんだって」
メールに書かれたのは、吉祥寺支店の人だった。
初めてのことだったため、噂はまたたく間に広がった。メールで非難された社員は、もともと仕事ができないことで有名だったが、陰湿な嫌がらせを受けるようになって退職した。
その社員と同時期に噂になったのが、メールを送ったと思われる社員だ。
成城支店にいたその社員も、尾ひれのついた噂に耐え切れず退職した。
2度目は、5年前。
前回と同じように社長へのメールで非難された。
二子玉川支店の新卒の女性だった。祖父母の介護をしなくてはならない、という家の事情を考慮され、ほとんど残業はなかった。
飲み会を断れずに参加したが、全くの下戸で、周りにすすめられて飲酒したところすぐに体調を崩してしまった。その後、彼女は体調不良で1週間ほど欠勤した。
その彼女のことを誰かが社長へのメールに書き、「社会人なのに自己管理ができない」や「祖父母の介護を言い訳にして、仕事が終わらないのに定時で帰ろうとする」、「会社に貢献する気のない、あるまじき社員」と大げさに書かれたらしい。
その彼女は、双子多摩川支店の支店長に激しく叱責され、自己退職した。
そのときメールを送ったのが、飲み会に参加していた成城支店の社員だったと言われている。
二子玉川の社員と同時期に、地方の支店に異動した。
「……今回も似ているのよね。だから、コンプライアンス推進室が動いたんじゃないかしら」
「成城が正常じゃないからですか?」
うわあ、ごめんなさい。失言でした。
「白河さん、鋭い。おやじギャグがなければ完璧なのに」
高野さんは、再びフォークを手にする。
それに対し、八城さんはほとんど料理に手をつけない。
「その話をするために、俺を呼び出したんですか?」
「正確には、“俺達”をね。蔵波さんと藍奈ちゃんにこの話は酷だし、神田くんは夏風邪をひいたとかほざくから、今日来られたのは、私達だけ。ふたりの耳に入った方が良い話しだと思ったから」
高野さんは、サラダのレタスにフォークを刺した。
「お局は出しゃばるよ。若い子が理不尽に虐げられるのは、見るに堪えないから」
◇ ◆ ◇
「アルベロベッロのトゥルッリ」
イタリア共和国
文化遺産
1996年登録
南イタリアのプーリア州では、石灰岩の土壌が広がっており、古くから石灰石を用いた独自の建築が発達していた。
アルベロベッロのトゥルッリも、独自の円錐状の屋根を持つ住居である。
ひとつの部屋にひとつの屋根がついたものを「トゥルッロ」といい、その複数形が「トゥルッリ」である。「トゥルッリ」とは、部屋の数だけ屋根を持った一軒家になる。
現在、アルベロベッロの旧市街にあるふたつの地域に、1,000以上ものトゥルッリがあり、多くの人が住む現役の住居建築として地域に根差しているが、石積み技術の継承など保存上の問題もある。
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