第2話 同志(「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」)

 お姉ちゃんの朝は早い。

 朝一番のメッセージは、たいてい5時に送信されている。



『千桜ちゃん、おはよう。

 お料理の写真をありがとう♪

 お肉すごいねー✨ 食べたい( ´艸`)』



 メッセージを読んだのは、送信から5時間後の10時。

 起床直後にスマートフォンをチェックして、この様だ。

 メッセージはもう1件来ていた。



『お肉にバジル合うかなー?』



 メッセージの後に添付されていた写真は、いかにもお姉ちゃんらしい。

 素焼きのストロベリーポットにハーブが寄せ植えされている。

 バックになっている、実家の古民家が、何とも言えない良い雰囲気を出していた。

 お姉ちゃんは、私より7歳年上の30歳。

 実家のある檜原ひのはら村で、小学校の先生をしている。

 無理していない? と訊くと、楽しいよ、と答えてくれる。

 昔から家庭菜園が好きなお姉ちゃんは、のびのびと敷地が使える実家が気に入っているらしい。

 でも、心のどこかで無理をしているんじゃないだろうか。

 メッセージの返信をしようとしたら、知らない番号から電話が来た。

 でも、心当たりがある。

 おそるおそる通話マークをタップすると、電話の相手は想像していた場所からだった。

 三軒茶屋の本屋。

 予約していた本が入荷したそうだ。

 私は居てもたってもいられず、最低限の着替えと化粧をして出かけることにした。

 服装は、オレンジ色のチュニックと白いスキニーパンツ。

 チュニックの胸元の部分は白い生地になっていて、そこだけブラウスみたいなデザイン。

 化粧はナチュラルメイク。少しでも濃くすると、きつくなるから、薄いくらいが良いみたい。

 センスがないのはわかっている。でも、知り合いに会うわけじゃないから、良しとする。

 世田谷線で三軒茶屋へ向かい、キャロットタワーの中にある本屋で、本を受け取った。

 対応してくれた店員は「この子がこの本を?」と軽蔑するような目をくれた。その上、心の声が漏れていた。

 オタク、と。



 ――オタクな検定に合格したくらいで、調子に乗るな。



 昨日の神田さんの言葉を思い出してしまった。

 今日買った本は、まさに“オタクな検定”の本。世界遺産検定のテキストだ。

 “オタクな検定”だって、勉強せねば合格しないのだよ。

 神田さんの捨て台詞は、私の“負けず嫌い”に火をつけてくれた。



 せっかくの休日だから、行ったことのないお店に行きたい気持ちもあったが、何度も行ったことのある全国チェーンの店に入ってしまった。

 アイスカフェオレとサンドイッチを注文し、2階のテーブル席に着く。2人用の円テーブルがたまたま空いていたのだ。

 そろそろお昼時ということもあり、店内にはお客さんが多い。

 私は片手でサンドイッチを持ち、買ったばかりのテキストを片手で広げる。

 「“ながら食い”は駄目」と小さい頃からお姉ちゃんに注意されている。

 でも、サンドイッチは“ながら食い”のために生まれたような食べ物だ。

 サンドイッチを食べながらテキストの文章を読んでいたつもりだったが、いつの間にか写真を見るだけになっていた。頭の中では旅行をしている。

 今回に限ったことではない。小さい頃から、写真を見ては頭の中で旅行をしていた。

 観光業界に興味を持ったのは、これがきっかけかもしれない。

 休憩にアイスカフェオレをすすろうとしたとき、「あの」と低い声が肩に落ちてきた。

 顔を上げて振り向くと、近くの男性と目が合った。

 “近く”もいいところだ。私のテキストを覗き込もうとしている。

 何この人……と思ったが、男性の手元に視線を落としたら、不審な気持ちは消えてしまった。彼が話しかけてきたきっかけが想像できた。

「急にすみません。俺、不審者ですよね?」

 私は首を横に振る。

「……んぜん! 全然不審者じゃないです!」

 男性は、本を手にして私のテキストを覗き込んでいたのだ。

 私はブックカバーを外せず、中表紙を彼に見せた。

「同じ本ですよね!」

「やっぱり、そうですよね!」

 男性も、本の中表紙を見せてくれた。

 彼が持っていた本も、私と同じ。世界遺産検定のテキストなのだ。

 同志、という言葉が頭の中に浮かんだ。



 注文の前に席を確保しておきたかった、という男性に、「相席でも良ければ」と同じテーブルをすすめた。

「ありがとうございます。助かります」

 男性のトレイにも、アイスカフェオレとサンドイッチが乗っていた。

「いいえ、大したことじゃないです。でも、びっくりしました。世界遺産検定のテキストを持っている人って、私は試験会場の建物でしか見たことがなかったので」

「俺もです。世界遺産、好きなんですか?」

「好きですけど、仕事のために覚えている部分もあります」

 どうしよう。この人がどんな人なのかも知らないのに、同志を見つけた気がして、落ち着かない。

「旅行代理店で働いているんです。でも、ウルルの登山禁止のことで、職場の先輩と喧嘩してしまって」

 どうしよう。初対面なのに、語りたくなってしまう。

 男性は、うんうんと頷きながら私の話を聞いてくれた。

「……俺も、世界遺産はただの観光名所ではないと思います。それに、信仰を理由に立ち入りを禁止にするところは、日本にもあります。沖ノ島とか」



 「沖ノ島」は、近年世界遺産に登録されたばかりの遺産だ。

 神が宿る島として、昔から女人禁制とされてきた。

 男性でも、一般の人は5月27日の現地大祭以外は基本的に上陸を許可されていない。

 世界遺産登録の際にUNESCOから、島への接近と上陸対策の強化を要請されたため、2018年からは研究者等をのぞく一般の人の上陸が禁止となった。



 「沖ノ島」だったら、「日本の文化だから」で片づけてしまう人が多そうなものだ。

 海域の問題などを懸念する声は聞いたことがあったが、女人禁制に目くじらを立てる人は、私の周りにはいなかった。世間にはいるとは思うけど。

 よく知る文化には暗黙の了解のように黙してしまうのに、馴染みの薄い文化を知ろうとせずに見下すのは、いかがなものか。

 飲み会のときに思い出せなかった自分が恨めしい。

 もう終わったことなので、何もしようがないのだけれど。



「ありがとうございます。私だけ変に考えているのではなくて、安心しました」

「いえいえ、おそまつさまです」

 男性は、穏やかに微笑んだ。

 無精ひげを生やしているが、意外にも可愛い顔をしている。

 この人を囲む空気はあまりにも穏やかなものだから、一度火がついた“負けず嫌い”がとろ火になってしまいそうだ。

 彼の笑顔にうっかり見とれてしまいそうだったのは、ここだけの話。

 もっとコーディネートに気を使えば良かった!



     ◇   ◆   ◇



 「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」


 日本国(福岡県宗像市・福津市)

 文化遺産

 2017年登録


 沖ノ島、宗像大社中津宮、沖津宮遥拝所、宗像大社辺津宮、新原・奴山古墳群を構成資産とする。

 沖ノ島は「海の正倉院」とも言われ、4世紀後半から10世紀初頭にかけて築かれた23の遺跡が存在し、およそ8万点もの貴重な祭祀遺物が出土している。

 女人禁制のほか、島で見聞きしたことを口外してはいけない「お言わずさま」という風習も残っている。

 自然崇拝を元とする固有の信仰、祭祀が4世紀以来現代まで継承されている点などが評価されている。

 4~10世紀までの各時代における、東アジアの交流の痕跡を見ることもできる。

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