白河千桜の世界遺産手帳

紺藤 香純

第1話 負けず嫌い(「ウルル、カタ・ジュタ国立公園」)

「白河さんは、何気に負けず嫌いだよね」

 空っぽのビールジョッキが目立つテーブルで、お局ポジションの先輩・高野美貴さんが呟いた。

 私は「恐縮です」とだけ答え、形だけでもお酌にまわる。でも、すぐに制止されてしまった。

 7月の上旬、東京は三軒茶屋の焼肉屋さん。

 暑気払いには早い、ただの飲み会だ。近くの支店の社員も集まって、ラフにやっている。

 新卒でこの旅行代理店に就職し、3年目になった。

 仕事は決して楽ではない。でも、やりがいもある。

 この仕事を辞めたくない。



「あの、千桜ちお先輩」

 私と同じ三軒茶屋支店の後輩・和田藍奈あいなちゃんが、こっそりとでもいうように私に話しかけてきた。

「高野さんから聞きました。去年、世界遺産検定を取ったそうですね。やっぱり、持っていた方がいいですか?」

 藍奈ちゃんは、大きな声で訊いてはいけないと思ったようだ。

 確かに私は、昨年に世界遺産検定3級を取得した。

 当初は「仕事のために」と渋々勉強していたのだが、次第に面白さを感じてしまった。

 中学や高校でも歴史の授業は好きだったから、その勉強の延長線という感覚だった。

 まだ誰にも言っていないが、2級の受験申し込みをしてある。試験は9月。仕事をしても勉強する時間はあるはずだ。

「挑戦しても損はないんじゃないかな。世界遺産に詳しくなれるし、知識が仕事にも役立つことがあるし。でも……」

 正直に言えば、観光業界で働くために有利な資格は、他にもある。むしろ、他の資格の方を優先的に取得した方が良いと思う。

 そう言えずにいると、藍奈ちゃんは「じゃあ、先に世界遺産検定せかけんを受けてモチベーションを上げてから、他の資格に取りかかることにします」とにっこり笑った。お酒に弱いらしく、グラスの中身はオレンジジュースだ。

 藍奈ちゃんは、おっとりしているが、芯が強い子だ。経験を強固な土台にして、確実にステップアップしている。

 入社当時は周りから「こりゃ駄目だな」という目で見られ、本人も気にしていた。

 でも、今となっては三軒茶屋支店うちの有望株になっている。



 皆が3杯目のドリンクを注文する頃、コースメニューのメインともいえる肉が運ばれてきた。

「お待たせしました! “ウルル”になります!」

 男性店員が、声を張り上げる。

 運ばれてきたのは、四角い肉の塊だった。

 それを目の当たりにした私は、あるものを連想してしまった。

 それは私だけではなかったようで。

「エアーズロックだ!」

 そんな反応が、テーブルのあちこちで生じた。

 肉の塊が、オーストラリアにある山、「ウルル」(通称・エアーズロック)に似ているのだ。多分、インスタ映えを狙ったメニューだろう。

 広い大地に悠々と構えるウルルの写真が脳裏に浮かんだ。

 藍奈ちゃんは、鉄板の上で存在感を発揮する“ウルル”をスマートフォンで撮っている。

 私も“ウルル”を写真に収めることにした。

 お洒落なもの、おいしいもの、面白いものを、実家のお姉ちゃんに見せたいのだ。



 “ウルル”は切り分けてもなかなか食べ切れず、男性や私のところに「手伝って!」と皿がまわってきた。

 私は今のところ中肉中背(お姉ちゃんからは「痩せの範疇」だと言われる)をキープしているが、女性としては食が太い方だ。

 料理の残りを何とかしてくれる、という認識を持たれているようで、よく料理がまわってくる。

 嫌じゃないけど、いかがなものか。

 決して嫌ではない。ひとり暮らしの身としては、食べられるときに食べておきたい。



「そういえば」と口を開いたのは、成城支店の神田好基こうきさん。

 そろそろ30歳の和風イケメン、独身。成城支店では、中高年のお客様からの評判が良いらしい。旅行の相談と見せかけてお見合い写真を持ってきたお客様も居たとか居なかったとか。

「エアーズロック、登山禁止になるんだっけ」

 神田さんの話に「そういえばそうだ」と皆が反応した。

 エアーズロック――「ウルル」は、2019年10月26日から、観光客向けの登山が禁止されることになった。

 オーストラリアの先住民・アボリジニのアナング族は以前から、ウルル登山の禁止を呼びかけていた。先住民にとって聖地であることが登山禁止の理由らしい。

 アナングやオーストラリア政府関係者でつくる協議会の理事会の投票で、満場一致で決定された。

 地元の信仰心が政府関係者を動かしたのだ。きっと、長い年月をかけて、声高に訴えて。

「馬鹿らしい。エアーズロック登山禁止なんて、馬鹿げている。登りたい人だって、たくさんいるのに」

 神田さんは冷たく吐き捨てた。

「エアーズロックは観光名所だろう。地元住民が目をつむれば済むことなのに」

 いらっとする、って、こういうことなのか。

 多少お酒を飲んでいた私は、テーブルを叩いてしまった。

「ウルルは先住民の聖なる山です。地元の信仰心をないがしろにはできません」

 高野さんが小さく拍手をしてくれた。良かった。

 神田さんをちらっと見ると、目が合ってしまった。

「白河さん、文句があるならはっきり言ったらどうだ。ぎょろっと皆を睨みつけて、不機嫌を撒き散らしやがって」

 神田さんとは数回しか顔を合わせていない。でも、神田さんの中ではそういう印象なのだろう。

 目力が強い、とは小さい頃から言われる。小学校までのあだ名は「デメキン」だった。

 神田さんこそ私を睨みつけてくる。和風イケメンが台無しだ。

「では、僭越ながら申し上げます。ウルルは観光名所ですが、ユネスコに登録された世界遺産でもあります。皆で守って、将来に残すものです。観光客が原因で地元住民が心を痛めていたのですから、観光客が配慮して登山しないのが最良ではないでしょうか」

 テーブルが静まり返った。

「白河さんに賛成」

 高野さんが小さく手を上げる。つられて藍奈ちゃんも。他の人も好意的に頷いてくれた。

「……観光客が原因で、か」

 神田さんは小さく笑った。

「オタクな検定に合格したくらいで、調子に乗るな」



 23時頃に解散となり、アパートに帰った。

 明日は休みなので、少々夜更かしをする。

 スマートフォンで「ウルル」を検索し、情報を手帳にまとめる。

 次に出勤したときに飲み会の話題が出たら、もしも私の発言を問題視されても理解を得られるように、もう少し世界遺産の勉強をしておく。

 私は負けず嫌いなのだ。



     ◇   ◆   ◇



 「ウルル、カタ・ジュタ国立公園」


 オーストラリア連邦

 複合遺産(文化遺産、自然遺産の両方で登録されている遺産)

 1987年登録、1994年範囲拡大

 

 巨大な一枚岩であるウルルと、カタ・ジュタと呼ばれる大小36個の巨石群を中心とする国立公園。

 およそ6万年前、周辺がまだ海底であった頃に、造山運動と地殻変動によって海底の堆積層が地表に隆起し、浸食と風化に耐えた部分が残り、現在の「ウルル」となった。

 周囲約9km、高さ348m、全長3,400m

 カタ・ジュタは、地表が柔らかかったため風化が進み、現在の形になったと考えられている。

 公園内では、アカカンガルーやフクロモモンガなどの有袋類をはじめ、哺乳類40種、鳥類140種、爬虫類70種、植物480種が確認されている。

 この地域には、アボリジニのアナング族の神話や伝承・狩猟方法を描いた岩壁画が多く残されている。

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