20*放課後。生徒たちが作る独特の喧騒をBGMに


 放課後。


 生徒たちが作る独特の喧騒をBGMに机の中に忘れ物がないか確認していると、真耶が声をかけてきた。


「合川くん、ちょっといい?」


「どうした? 腹でも空いたのか。だが、残念だな。食べものなら持っていないぞ。金を出してくれるなら、代わりにコンビニまで行って俺が食べてくるけど」


「合川くんが食べてどうするのさ!? ……じゃなくて。今日一日、沙里緒ちゃんと話さなかったよね」


「……そうだな」


 真耶の言うとおり。


 結局、今日一日、俺が沙里緒さんと口を利くことはなかった。


「このままだと気まずくなるよ」


 真耶の思わぬ真剣な声に、俺は怪訝な顔をする。


「え?」


「喧嘩をするのはいいと思う」


「……何言ってるんだ? 喧嘩なんかしない方がいいに決まってるだろ」


「そんなことないよ。だってさ、喧嘩ができるのって仲がいい証拠なんだよ? どうでもいい人ならさ、喧嘩しようとも思わないでしょ?」


「そんなことないだろ。どうでもいい人とだって喧嘩することはある」


「例えば?」


 例えば、そうだな。


「歩いてて肩がぶつかったりした時とか」


 それが元で事件に発展する、なんてこともあるぐらいだ。


「とにかく!」


 真耶は大声で誤魔化した。


「喧嘩したら、早く仲直りしないと。そうじゃないと、どんどん気まずくなって、最後には疎遠になっちゃうよ」


「疎遠、か」


「うん。だからさ」


 早く仲直りしよう、と真耶が言う。


「きっかけが欲しいなら、あたしが何とかするから」


「真耶」


「何?」


「お前、いい奴だな」


 感謝の気持ちを込めて言ったつもりだった。


 なのに、真耶は急に真面目な顔になったかと思えば、


「ごめんなさい合川くんはいい人だと思うけどそれ以上には思えないっていうかいいお友だちでいましょ」


 ひと息でそんなことを言いやがった。


「そんな話はしていない!」


「え、そうだった?」


 という真耶は笑っていて、さっきのは真耶の冗談だったのだ。


 たぶん、重くなりそうな空気を少しでも軽くしようという気遣いなんだと思う。


 それがわかるから、俺も笑った。


「ありがとう、真耶。でも、いいんだ。気にしないでくれ」


「ちょ、合川くん!?」


 真耶が信じられないものを見る目を向けてくる。


 俺はそれを乾いた笑みで受け止め、立ち上がる。


「それじゃあ、また明日」


 教室を出た。


 窓の外、部活に勤しむ生徒たちの背中を眺めながら廊下を歩いていると、足音が近づいて来た。


 肩を掴まれ、強引に振り返させられる。


 真耶だ。


「ちょっと待って! このままでいいってどういうこと!?」


「どういうことも何も、さっき言ったとおりだ」


「全然説明になってない!」


 廊下に真耶の声が響き渡り、その余韻で、ビリビリと空気が震えているような気がした。


 放課後で校内に人気は少ないが、それでもいることはいる。


 教室に残っていた生徒が、何事かと顔を覗かせる。


 俺は真耶の手を掴み、歩き出した。


「ちょ、ちょっと! まだ話が!」


「話をするから、場所を移すんだ!」


 これ以上、廊下で話すわけにはいかない。


 とりあえず人気のない場所ということで、真っ先に思い浮かんだ屋上に向かう。


 実際、ありがたいことに、俺たち以外には誰もいなかった。


 安堵すると、真耶が俺の手を振り払った。


「このままでいいって、どういうこと!?」


 喧嘩腰の真耶。


 俺はため息を吐き出した。


 真耶から視線を外し、金網越し、校庭を見下ろす。


 帰る生徒たちが見える。


 その中、カップルに気づく。


 男子がそっぽを向きながら差し出した手を、女子が恥ずかしそうに握りしめた。


 どんな会話をしているのかはわからない。


 聞こえない。


 けど、楽しいものであることだけは確かだ。


 なぜなら、ふたりは笑っている。


 俺も楽しかった。


 沙里緒さんと一緒に過ごすことができて、本当に楽しかった。


 でも――。


 俺は真耶に向き直る。


「どういうことも何も、そのままの意味だ。沙里緒さんと疎遠になればいいと思っているから」




   ●




 俺の言葉を聞いた真耶はしばらくの間、驚き、固まっていた。


 けど、すぐに我に返って、突進してきた。


「本気!? それ、本気で言ってるの!?」


 襟首を掴んで、ガクガク揺さぶってくる。


「なんで答えないのよ!!」


 俺は真耶の手を振りほどき、叫ぶ。


「真耶が揺さぶってるからだろ!」


「話を誤魔化さないで!」


「誰のせいだよ!?」


 真耶が睨みつけてくる。


 冗談を言ったり、茶化したりできる空気ではない。


 襟元を直しながら、俺は告げた。


「……本気だよ。本気で言ったんだ」


 真耶が睨みつけてくる。


「沙里緒ちゃんのことが嫌いになったの?」


「まさか!」


 即答する。そんなわけがない。


「俺だって一緒にいたい。沙里緒さんと過ごす時間は楽しい」


 そう、沙里緒さんと一緒に過ごす時間は、とても楽しい。


 ひとりになって、俺はそれを実感した。


「だったらどうして疎遠になろうとするのよ! 意味がわからないよ!」


「泣いたからだよ!」


「え?」


 戸惑っている真耶に、俺は昨日の出来事を語って聞かせた。


「自分のせいで俺が傷つく。だから一緒にいられないって。ごめんなさいって、そう言って沙里緒さんは泣いたんだ」


 冗談だと思った。


 いや、思いたかった。


 でも、冗談じゃなかったのだ。


「それが沙里緒さんの望みなら、俺は叶えたい」


 そのためなら、喜んで疎遠になろう。


 胸の内でそうつけ加えると、それまで黙って俺の話を聞いていた真耶が叫んだ。


「ふざけないでよ! そんなのが沙里緒ちゃんの望み!? そんなことあるわけないじゃない! 沙里緒ちゃんは合川くんと一緒にいたいに決まっているでしょ! そんな簡単なこともわからないの!?」


 好き放題言いやがって。


「わかってるよ、それぐらい!」


 どれだけ沙里緒さんに好きだという気持ちを伝えられと思っている。


 わからないわけがないじゃないか。


「だったら……!」


「でも、駄目なんだよ!!」


「どうして!?」


「どうして、だって……? ……そんなの決まってる! 俺が一緒にいたら、沙里緒さんが傷つくからだ!」


「え?」


 真耶が呆気にとられた顔した。


 俺は自分の考えを、思いを、剥き出しのまま、吐き出した。


 沙里緒さんは勇者だ。


 伝説の勇者の再来と呼ばれ、異世界のピンチをわずかな時間で何とかしてしまえる、すごい人だ。


 でも、そんなすごい人が、俺が捕まっただけで、魔王の言うとおりに動く、操り人形になってしまった。


 今回はよかった。


 ディアタナスの要求がくだらないものだったから。


 よくないけど、よかった。


 けど、次は?


 また違う世界の魔王が沙里緒さんに復讐することを考えて、やって来たとする。


 何の力も持たない俺は、あっさりと魔王に捕まってしまうだろう。


 そして人質になってしまうだろう。


 その時、沙里緒さんはどうなる?


 すべての魔王がディアタナスみたいな奴とは限らない。


 いや、むしろ、ディアタナスは少数派だろう。


 大多数の魔王は、自分の邪魔をした勇者を排除したいと願うに違いない。


 自らの野望を打ち砕いた恨みを晴らすため、散々いたぶって、そして――。


 それを、人質の俺は特等席で、目の前で見せつけられるのだ。


 だから、と俺は言った。


「離れるんだ」


 と、そう言った。


 真耶は何かを言いかけ、でも、その言葉を呑み込んだ。


 何度も、同じようなことを繰り返している。


 何を言えばいいのか。


 どんな言葉を吐き出せばいいのか。


 わからないのかもしれない。


 けど、どうでもいい。


 何を言われても、どんなことを言われても、俺の気持ちは変わらない。


 沙里緒さんと一緒に過ごす時間は楽しかった。


 だから、喫茶店、一緒に行きたかった。


 いや、喫茶店だけじゃない。


 もっといろんなところに行ってみたかった。


 遊園地とか、映画館とか。


 買い物だってしてみたかった。


 いろんな場所で、いろんな思い出を作っていきたかった。


 心の底から、そう思う。


 でも、もうできない。


 沙里緒さんと一緒の時間を、俺は刻めない。


 それが沙里緒さんのためだから。


 俺たちがいる屋上に風が吹く。


 太陽がゆっくりと沈んでいく。


「……そういうことだから」


 真耶をその場に残し、俺は帰るために足を進めた。


 途中、真耶が言った。


「結局、合川くんって沙里緒ちゃんのことなんか、本当はどうでもいいんだね」


 冷たく、凍えた声。


 親友がこんな声も出せるのかと俺は驚いた。


 けど、何より、気になったのは、その内容だ。


 気になったというより、聞き捨てならなかった。


 立ち止まる。


 振り返って、言う。


「今、なんて言った?」


「『沙里緒ちゃんのことなんか、どうでもいいんだね』って言ったんだよ」


 聞き間違いじゃなかった。


「俺の話、聞いてなかったのか? 沙里緒さんのことが大事で、だから俺は――」


「一緒にいられない、だったっけ」


 言葉を奪われ、気勢を殺がれつつも、そのとおりだったので俺は頷く。


 真耶が鼻で笑った。


「何がおかしい?」


 ただじゃおかないという雰囲気をにじませる。


「おかしいに決まってるよ。だって、今、沙里緒ちゃんは傷ついているじゃない」


「は? どうして?」


「だって、好きな人と一緒にいられないんだよ? 傷ついているに決まっているでしょ。それなのに傷つけるから一緒にいられないって。何それ、かっこつけてるの? 全然かっこよくないんですけど。むしろ超絶ダサいんですけど」


「……どうやら、俺の話、聞いてなかったみたいだな……」


「聞いてたよ。魔王が来て、傷つけるかもしれない、でしょ? でもさ、それはあくまで可能性の話だよね? そんな可能性の話より、今、沙里緒ちゃんを傷つけているのは、合川くんだよ。一緒にいたいのに、いられない。それがどれだけ沙里緒ちゃんを傷つけていると思う?」


「だから――」


「沙里緒ちゃん、泣いてたんでしょ?」


「――――!」


「泣いている沙里緒ちゃんを放っておくの? それでいいの? 合川くんは」


「そんなの……」


「答えて、合川くん」


「………………、いいわけあるか!」


 思いきり叫ぶ。


「だよね」


 聞こえてきたのは、底抜けに明るい声だった。


 驚いて見れば、真耶が笑っていた。


「そうだよ、いいわけないんだよ。間違ってるんだよ。ふたりともそんなに想い合っているんだから、それなのに一緒にいないのが正しいなんて、絶対に間違ってるよ」


「真耶……」


「ふたりの問題なんだから、ひとりひとりで考えて答えを出さないで、ふたりで考えて答えを出さないと」


「ふたりで考えて……」


「そうだよ。だから、ほら、早く沙里緒ちゃんのところへ行かないと。ちょうど校門を出たのが見えたから」


 その場から俺を追い払うように、真耶が手を振る。


 俺はそんな真耶をしばらくの間、見つめていた。


 けど。


「ありがとう、真耶」


「お礼はお昼ご飯一回分でいいよ」


 大食いの真耶におごるのだ、ずいぶん高い借りになった。


 だが、俺は笑って頷いた。


 真耶に背中を向け、走り出す。


 屋上から出ていく前、立ち止まり、聞く。


「なあ、真耶」


「何?」


「なんでこんなにしてくれるんだ?」


「そんなの決まってるよ」


 沈んでいく太陽を背負った真耶は、太陽に負けないくらい眩しい笑みを浮かべていた。


 俺は見とれ、ドキッとした。


「ふたりとも、大好きな友だちだからだよ」


「俺も大好きだぞ、真耶のこと」


 真耶の気持ちに背中を押され、俺は走り出した。


 沙里緒さんの元へと。

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