19*翌日、新しい一週間が始まった。いつものように目覚め、朝食を食べ、


 翌日、新しい一週間が始まった。


 いつものように目覚め、朝食を食べ、家族に「いってきます」を告げ、俺は外に出る。




『おはようございます、煌介くん』




 いつもなら、そう言って出迎えてくれる沙里緒さんの姿がそこになかった。


 そこにいるのが当たり前になっていたから、そこにいないことがこんなにも不自然で、違和感を覚える。


 立ち止まっていると、姉さんが出てきた。


「どうした? もういったんじゃなかったのか?」


「あ、ああ、うん。何か忘れ物をしたような気がして」


「お前、うっかりしてるんだから、気をつけないと。車に轢かれたりするぞ」


「……そうだね」


 行ってこい、と背中を押され、俺は一歩を踏み出した。


 ひとりで歩く通い慣れた通学路は、なぜか色褪せて見えた。


 学校につき、下駄箱で靴を履き替え、教室へ。


 中に入ると、俺の席のふたつ後ろの席は空いていた。


 すでに登校してきていた真耶が声をかけてくる。


「合川くん、おはよう」


「ああ、うん。おはよう」


 ぎこちなく返事をしながら席に着くと、真耶が首を傾げた。


「あれ、沙里緒ちゃんはどうしたの?」


「さあ。そのうち来るんじゃないのかな」


「何、その態度」


 真耶の視線が鋭くなる。


 が、すぐに元に戻ると、意地悪そうな顔になった。


 ふふふという笑い声が聞こえ、俺は尋ねる。


「何だよ?」


「いや~、別に~? 何でもないよ~?」


「何でもないって顔してないだろ。いいから言え」


「じゃあ、言うけど。言っちゃいますけど。合川くんってば、沙里緒ちゃんにエッチなことしたんでしょ?」


 真耶が何を言ったのか、理解するまでに少しの時間が必要だった。


「は!?」


「喫茶店に一緒に行って、盛り上がっちゃって。思わず暴走しちゃったんでしょ? だから沙里緒ちゃんと気まずくなっちゃって、今朝は一緒に登校してこなかった。さすがあたし! 名推理だね!」


「違う!」


「いや~、合川くんも男の子だったんだねぇ。うんうん」


「だから違うって」


「わかったよ――ということにしておけばいいんだよね?」


 全然わかってない!


「……だいたい、喫茶店、行けなかったし」


「え?」


「別に。何も言ってない」


 真耶は聞きたがったが、俺は聞こえないフリをしてやり過ごした。


 そのまま後ろを見る。


 沙里緒さんはまだ来ていなかった。


 来ないつもりなのか?


 耳の奧、沙里緒さんの声が蘇る。


『煌介くんのそばにいられません』


 それって、俺の前に姿を現さないとか、そういうことなのか?


 このまま、ずっと会えないというのか?


「出席を取るぞ。合川」


 そうやって沙里緒さんのことばかり考えていたから、すでにチャイムが鳴り、担任が出席を取り始めていることに、気づかなかった。


「合川、欠席か? 欠席なら返事をしろ」


「は、はい!」


 慌てて返事をする。


「よし、合川は欠席、と」


「ちょ、どうして!?」


「欠席なら返事をしろと言ったのが聞こえなかったのか?」


「それ、おかしいですよね!? 欠席なら返事、できないですよね!?」


「若いうちからそんな常識に凝り固まっていてどうする? 若者なんだ、夢を見ろ」


「意味がわからない!」


 叫ぶと、教室に笑いが漏れた。


 俺は机に突っ伏した。


 出欠確認は続き、やがて、その名前を呼んだ。


「村時」


「はい」


 凛とした声。


 絶対に聞き間違えることのない、沙里緒さんの声だ。


 慌てて振り返れば、そこにはクラスメイトの田辺くんが。


 びっくりしていたのは一瞬だけで、すぐにモジモジし始める。


 やっぱり俺たちは運命の赤い糸で結ばれているんだなとか何とか言っているのは全力で聞こえなかったことにした。


 俺が見たいのは田辺くんではなく、その後ろ。


 背筋を凛と伸ばして自分の席に座る沙里緒さんがそこにいた。


 よかった。


 来たんだ。


 いや、もしかしたら、とっくに来ていて、いつものように認識をズラしていただけなのかもしれない。


 沙里緒さんは勇者なのだから。


 朝のホームルームが始まっているので、声をかけることはできなかった。


 それでも何とか気づいてもらえないかと見ているが、沙里緒さんは真っ直ぐ前を向いたまま、俺の視線に気づいた様子はない。


 一時間目は担任の授業だったので、そのまま授業が始まるが、授業中、ずっと沙里緒さんのことばかり気にしていたので怒られた。


 そうしてようやく一時間目の授業が終わりを迎えた。


 俺は教科書も片づけず、沙里緒さんの席へ向かおうとした。


 だが。


「なんでだ?」


 沙里緒さんの姿はすでにどこにも見当たらなかった。


 それはこの時だけの話ではない。


 この後の休み時間もずっとそうだった。


 まるで出会った頃に戻ってしまったかのようである。


 話しかけたいのに沙里緒さんはそこにいなくて、話しかけることができない。


 あの時とまったく同じ状況だ。


 いや、違う。


 あの時は恥ずかしいからというのが話しかけることができない理由だった。


 だが、今回は違う。


『勇者であるわたしが煌介くんのそばにいたら、たぶん……いいえ、絶対に煌介くんは傷つきます。だから、わたしは煌介くんのそばにいられません』


 本気、なのだ。


 本気で沙里緒さんは、俺と距離を取るつもりなのだ。

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