16*俺の命が惜しかったら、言うことを聞け。そんな無茶な命令に


 俺の命が惜しかったら、言うことを聞け。


 そんな無茶な命令に従う必要はない。


 捕まった俺が間抜けなのである。


 俺は沙里緒さんにそう言おうとした。


 実際、口も開いていた。


 だが、俺がそう告げるより早く、沙里緒さんは言った。


「わかりました」


 さらに、こうつけ加えた。


「それで、わたしは何をすればいいんですか?」


 それは魔王ディアタナスが望んだ展開であるはずだった。


 しかし、あまりにもあっさりと沙里緒さんが『わかった』と告げたものだから、ディアタナスは魔王らしくない、ぽかーん、とした間抜けな表情を晒すことになった。


 リコルプスにそのことを指摘されて慌てて表情を、キリッ! と引き締めたが。


「よ、よし。それでは、最初に……聖剣を捨ててもらおうか。もちろん、断ればこの男の命は――」


「わかりました」


 ディアタナスが最後まで言い終わらないうちに、沙里緒さんは握っていた聖剣を――ホリエスさんを手放した。


 沙里緒さんの手から放り出されたホリエスさんは放物線を描き、地面に落ちるその寸前、光を放って、見慣れた人の形を取った。


 そして、沙里緒さんを護るように、その前に立った。


 沙里緒さんが言う。


「ホリエス、何をしているんですか?」


「もちろん、沙里緒を護る」


「必要ありません。消えてください」


「何を言っている? 相手は――」


「聞こえなかったんですか、ホリエス。わたしは『消えてください』と言いました」


 ホリエスさんの言葉を遮り、有無を言わさない雰囲気で沙里緒さんが言った。


 ホリエスさんは端正な顔を歪ませると、光となった、沙里緒さんの耳元に収まった。


 そうしていつものとおり、ピアスの形になったホリエスさんを、沙里緒さんは外し、放り捨てた。


 沙里緒さんはディアタナスを見る。


「聖剣は捨てました。それで、次はどうすればいいですか?」


「え、えっと、次は……」


 魔王が戸惑っているのがわかった。


 あっさり頷くだけならまだしも、聖剣ですら、こんなにも簡単に手放してしまったことが信じられないのだろう。


 ディアタナスが俺を見る。


 その表情から、俺を人質に取ることが、まさかここまで効果的とは思っていなかったに違いないことを感じ取る。


 けど、それは俺も同じ。


 沙里緒さんにとって、俺はそんなにも価値のある存在だったのか。


 ディアタナスが混乱した表情で、リコルプスに聞いた。


「ど、どうすればいいのじゃ!? リコルプス!」


「そんなの決まっていますよっ。ディア様の好きにしたらいいんですっ」


「我の好きに……?」


「そうですっ。今までの流れでわかったはずですっ。今の勇者はディア様の言うことを何でも聞く操り人形と同じっ。どんなことでも思うがままですよっ」


「な、なるほど」


 ふむ、と顎に細い手を当てて、ディアタナスが考え始める。


 と、何か考えついたのか。


 口元をニヤリと歪める。


 邪悪な雰囲気。


「……勇者よ、我の言うことを繰り返せ。よいな」


 何を言わせるつもりか知らないが、相手は魔王だ。


 とんでもないことに決まっている。


 俺は何とかしてそれを止めたいと思った。


 だが、遅かった。


 ディアタナスがその一言を告げてしまう。


「ディアタナス様は偉大です! ……さあ、言うのじゃ!」


「ディアタナス様は偉大です」


 とんでもないどころか、超どうでもいいことだった!


 だが、ディアタナスにとっては超どうでもいいことではないようで、沙里緒さんの言葉を聞いて、ふるふると感動に打ち震えていた。


 そんなディアタナスの様子を見て、リコルプスも感動していた。


「さすがディア様ですっ。今ならどんな命令でもできるはずなのに、あんなことぐらいで感動できるなんてっ。尊敬しますっ!」


 言葉だけ聞くと、むしろけなしているとしか思えないのだが、リコルプスの表情は本気でディアタナスを尊敬していたのだった。


 あまりにもくだらないことだったので、全力で弛緩する。


 俺が呆けている間も、ディアタナスの命令は続いた。


「次はそうだな。……ディアタナス様は最強です、って言うのじゃ!」


「ディアタナス様は最強です」


「いいぞいいぞ。もう一回だ!」


「ディアタナス様は最強です」


「今度は、ディアタナス様には勝てません、と言え!」


「ディアタナス様には勝てません」


 沙里緒さんが言われたことを復唱するたび、ディアタナスは猛烈に感動していた。


 ホリエスさんを手放すように命令した時、もっとひどいことになるんじゃないかと思った。


 それは沙里緒さんが傷つくような状況だ。


 魔王が勇者に対してリベンジしようというのだ。


 血が流れるような状況を想像するのが普通だろう。


 けど、結果はこれ。


 ただ、くだらないことを延々と言わせるだけ。


 そういう意味では、よかったのかもしれない。


 でも、俺は見たくなかった。


 ディアタナスの言うことに、唯々諾々と従っている沙里緒さんを。


 だから叫んだ。


「もうやめてくれ! 沙里緒さん、ホリエスさんを呼んで、魔王と戦ってくれ! 俺のことなら気にしなくていい! 捕まった俺が悪いんだ! だから……!」


 その言葉は沙里緒さんに届かない。


 いや、届いてはいるのだろう。


 遠く離れているわけではない。


 あ、いや、遠く離れていても、沙里緒さんとは会話できるのだ。


 とにかく、すぐそこに、沙里緒さんはいるのだ。


 なのに、沙里緒さんは首を横に振る。


「わたしなんかより、ずっと煌介くんの方が大事ですから。だから、いいんです。わたしは大丈夫です」


 うれしいとは思えなかった。


 ただ悔しかった。


 そこまで思ってくれている女の子がいるのに、俺は何も出来ない。


 いや、何も出来ないどころか、自分のせいで、俺を思ってくれている女の子が無理強いされている。


 このままでいいのか?


 考えるまでもない。


 いいわけがない!


 俺が囚われているから、沙里緒さんは何も出来ないのだ。


 なら、俺が逃げ出せばいいだけだ。


 でも、俺が行動に移すより先に、魔王がキレた。


「うるさい! 黙るのじゃ!」


 何かを叩く音が大きく響き渡った。


 叩かれたのは俺の頬で。


 叩いたのは魔王だった。


 本気じゃないだろう。


 魔王が本気を出していたなら、たぶん、俺は跡形も残っていないはずだ。


 けど、やはり腐っても魔王で、俺の頭はクラクラして、視界もぐらぐら回っていた。


 ジェットコースターを立て続けに乗ったら、こんな感じになるんじゃないだろうか。


 そんな感じで俺が何も言えない状態になったことを確認すると、ディアタナスは「ふんっ」と息を漏らして、沙里緒さんに向き直った。


「邪魔が入ったが、まあいい。……次は何を言わせようか」


 ツインテールのうちの一房を払い、腕を組む。


 やがて、クックックッ、と笑い出す。


 わかっている。


 どうせろくでもないことだ。


「よし、決めた。――勇者よ、我に永遠の忠誠を誓え」


 俺は言葉を失った。


 ろくでもない、どころの話じゃなかった。


 とんでもない話である。


 駄目だ、と叫ぼうとした。


 けど、できなかった。


 まだ魔王に叩かれた衝撃が残っていたせいだ。


 それでも何とか、沙里緒さんに踏み止まって欲しくて、沙里緒さんを見る。


 今までどおり、間髪入れず、魔王の言うことに従うと思っていた。


 だが、答えなかった。


 不審に思ったのは俺だけじゃないようだ。


 魔王が声を大きくして言った。


「どうした、勇者! 我の命令に従うのじゃ!」


 それでも、沙里緒さんは答えなかった。


 あまりにも無茶な命令に、さすがに沙里緒さんの我慢も限界に達したのだろうか?


 沙里緒さんが口を開く。


「あなたは煌介くんを傷つけました。絶対に許しません……!」


 全然違ったー!


 けど、それは冗談でも何でもなかった。


 沙里緒さんは本気で怒っている。


 それが伝わってくる。


 俺は呆気にとられていた。


 それは魔王たちもそうだった。


 そうやって俺たちが呆然としている間に、沙里緒さんは行動を開始した。


「煌介くん、今、助けますから」


 そう言うと、目にも留まらない速度で俺をディアタナスから奪還した。


 ――これはあとで聞いた話だ。


 そんなことができるなら、どうして最初からそうしなかったのか。


 そう尋ねた俺に、沙里緒さんは言った。


 万が一でも、俺が傷つくかもしれないことを考えたら、動けなかった、と。


 しかし、あれ以上、ディアタナスのそばにいさせるわけにはいかないと、苦渋の決断をしたのだ、と。


 沙里緒さんは俺を安全な場所まで避難させると、一度は放り捨てたホリエスさんに呼びかけた。


「来て、ホリエス」


「了解」


 ホリエスさんの平坦な声は変わらないのに、それでも俺には、沙里緒さんにそう呼ばれるのを待っていたと感じられた。


 沙里緒さんの手の中に、眩い光が、ホリエスさん聖剣バージョンが収まる。


 沙里緒さんはホリエスさんを構え、言った。


「全力で行きます。覚悟してください」


 数々の異世界を救ってきた沙里緒さんが本気を出した。

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