13*ついにその日がやって来た。今日、俺は、


 ついにその日がやって来た。


 今日、俺は、沙里緒さんと一緒に、喫茶店に行く。


 昨日の晩、今日、着ていく服を選んでいたら、ドアが開いていたからという理由で入ってきた姉さんが、何をやっているのか聞いてきた。


 下手に隠し事をするとあの手この手を使って無理やり聞き出そうとして面倒くさいことになるので、素直に沙里緒さんと出かけることを告げると、ならこれがいい、あれがいいと、口出しされた。


 自分ではあまり似合わないコーディネートだと思ったけど――。


 家の前で、すでに待っていた沙里緒さんには好評だった。


「かっこいいです、素敵です!」


 姉さんに、持ち帰りできるようなら、喫茶店で何か買っていくことに決めた。


 そんなことを思いつつ、俺は陽射しを受けてきらきら輝いている沙里緒さんを見る。


 リボンとフリルがたくさん着いた、水玉模様のワンピース。


 淡いライトグリーンが春めいて、爽やかさを演出していた。


 首元でさりげなく光るネックレスも清楚でよかった。


 とても沙里緒さんによく似合っている。


「そういう沙里緒さんも、その、素敵だよ」


 言った途端、沙里緒さんが真っ赤になって、ぼしゅんっ!! と爆発した。


「あ、ああああああありがとうございましゅ……!」


 しかも噛み噛みである。


 そんな様子がおかしくて思わず噴き出してしまうと、真っ赤になったままの沙里緒さんが上目遣いで、むーと睨んでくる。


「もう、ひどいです、煌介くん!」


 そんな沙里緒さんもかわいく思えて、俺はさらに沙里緒さんが怒り出すまで、見とれてしまった。


 変な空気になってしまったのを吹き飛ばすように、大きな声で言う。


「そ、それじゃあ、行こうか」


「はい!」


 俺たちは並んで歩き出した。


 友だちとしては近い距離で。


 昨日、あれから考えたのだ。


 自分の想い――沙里緒さんのことを俺はどう思っているのかを。


 最初は綺麗な人だと思って。


 次にかわいい人だと思って。


 好きだと言われてうれしく思って。


 一緒にいて楽しくて。


 だから、答えはすぐに出た。


 俺は沙里緒さんのことが好きなんだと思う。


 自分の気持ちを自覚した瞬間、部屋の中をゴロゴロ転がりまくって、姉さんに「うっさい!!」と怒られ「プリン買ってきて!!」と何の脈絡もなく言われたことは関係ないので割愛する。


 とにかく、そういうことだから、俺はそのことを、今日、沙里緒さんに伝えようと思っていた。


 でも、問題があった。


 それはどこで伝えるべきかということ。


 まさか日常会話に紛れ込ませるわけにはいかないだろう。


『今日はいい天気だよね。そういえば沙里緒さん、俺は君のことが好きだよ』


『うれしいです……!』


 なんてことになるわけがないし、ムードがなさすぎる。


 告白の返事をするというなら、それなりの場所というか、雰囲気というか、シチュエーションを用意すべきだろう。


 だが、悲しいかな。


 合川煌介十五歳、生まれてこの方、一度も女の子に告白したことがありません。


 なので――、なんてことを思っていたので、沙里緒さんが声をかけてきたことに、俺はなかなか気づけなかった。


「あの、煌介くん?」


 沙里緒さんが俺を見ていた。


 ヤバい。


 何か言わなければ。


「べ、べべべべ別にこういうのはやっぱりロマンチックであるべきだよな!? とか、そんなことは考えてないから!」


「ロマンチック?」


「わああああああああ!? 何でもない何でもない何でもない!」


 何を口走っているんだ俺は!?


「そ、それで、何?」


「喫茶店、ここみたいです」


 どうやら俺が考え事をしている間に着いていたらしい。


 沙里緒さんが呼び止めてくれなかったら、危うくとおりすぎてしまうところだった。


「ご、ごめん。ありがとう」


「いいえ。……でも、どうしましょうか」


 沙里緒さんが表情を曇らせる。


 楽しみにやって来たのはいいものの今日は定休日だった、というわけではなく。


 俺たちが着くのが早すぎて、開店時間前だったのだ。


「とりあえずどこかで時間を潰そうか」


「そうですね」


 沙里緒さんが俺を見てくる。


「えと、何?」


「どこで時間を潰すのかな、と思いまして」


 そういうことか。


「そうだな……。沙里緒さん、どこか行きたいところとか、ない?」


「あります」


 おお、あるのか。なら、


「それじゃあ、そこに行こう。それで、それってどこ?」


「この喫茶店です!」


 などと、自信満々に言う沙里緒さんだった。


「あ、うん。それは俺もそうだけど……そうじゃなくて。今、時間を潰すために、どこに行こうかっていう話をしていたと思うんだけど」


 わかっているとは思うが、一応確認の意味も込めてそう告げた途端、自信満々だった沙里緒さんの顔が超絶真っ赤になる。


「そ、そそそそそうでした! ごめんなさい、わたしったら……!」


 どうやらわかっていなかったみたいである。


「い、いや、いいんだ! 俺が紛らわしい言い方をしたのが悪いんだから!」


 言いつつ、沙里緒さんって天然なところもあるんだな、と発見した俺だった。


 じゃなくて。


「どこでもいいよ。沙里緒さんが行きたいところに行こうよ」


「ここ以外で、ですよね?」


 まだほんのりと頬を紅くしたまま、沙里緒さんが言う。


 もちろん、と頷いてみせる。


「え、えっと……煌介くんと一緒なら、その、どこでもいいです」


 そんなふうに言われて、うれしいやら、恥ずかしいやら。


「そ、それじゃあ、適当に散歩でもしようか」


「はい!」


 というわけで。


 そこら辺をぶらぶら歩きながら、真耶のことだったり、これから入る喫茶店だったり、昨日見たテレビの話だったりをする俺たち。


 ちなみに、テレビの話の時はこんな感じのやりとりがあった。


「――っていう番組を見てたんだけど」


「煌介くん、大きな声で笑って、お姉さんに怒られていましたよね」


「そうなんだよ。俺の部屋の壁、すごく薄いからこっちの声が向こうに筒抜けで――って、何で知ってるんだ!?」


「そ、それは、その……煌介くんに万が一があってはいけないと思って、力を使って」


 そういえば、二十四時間、おはようからおはようまで、見守られていたことがあったのを思い出す。


 謎の怪現象の正体が沙里緒さんだと判明して以来、視線を感じなくなっていたから、てっきりそういうことはしなくなったんだと思っていたけど。


 沙里緒さんが言う。


「煌介くんを怖がらせてしまいましたから。反省して、煌介くんが視線を感じない形で見守る力の使い方を会得したんです。あ、で、でも、トイレとか、お風呂とか、あともちろん着替えも! そういう時は見ていませんから! プライバシーはちゃんと守っています!」


「あ、ああ、うん。プライバシーは大事だよね!」


 沙里緒さんの勢いに思わず頷く俺だったけど。


 よくよく考えてみれば、二十四時間、見守られている時点で、プライバシーはないような気がするのは、俺の気のせいだろうか。


 でも、まあ、悪気はないわけだし。


「煌介くんはわたしが護ります!」


 すべて俺のため、なんだよな。


 俺は改めて沙里緒さんを見た。


 こんなに綺麗な女の子が、俺のことを好きだという。


 初めて会った時から、ずっと。


 そして、今日。


 俺はこの人に、自分の気持ちを打ち明ける。


 と、その時、沙里緒さんがポケットを押さえ、表情を曇らせたことに気がついた。


「どうかした?」


「え? べ、別に、どうもしませんよ?」


「そう?」


 俺の気のせいかと思ったけど、そんなことはなかった。


 それから散歩を続ける中、何度も沙里緒さんがポケットを押さえ、表情を曇らせたのだ。


 俺は立ち止まる。


「やっぱり、何かどうかしたんだよね?」


 沙里緒さんも立ち止まり、困ったような表情を向けてくる。


「な、何を言っているんですか。何もありません」


「けど」


「そ、そんなことより、そろそろ喫茶店の開店時間じゃ……」


「まだあと三十分くらいあるよ」


「……そ、そうでした」


 何だろう。


 何だか無理して話題を逸らそうとしているみたいな気がする。


「話したくないなら、無理に聞いたりしないけど……何かあるなら、話してよ。困ったこととかだったら、俺にできること、何でもするからさ」


「煌介くん……。……本当に、大丈夫ですから」


 そう言った沙里緒さんは笑っていたけど、それはいつも見せてくれる、胸が高鳴る感じの笑顔じゃなくて、むしろ何だか胸が締めつけられて痛くなるというか、全然大丈夫という顔じゃなかった。


 きっと話せない理由があるのだろう。


 話せるのなら話してくれると思うし。


 なら、無理に聞き出すのはよくない。


 でも、どんな理由で話せないのか、気になった。


 その時だ。


 沙里緒さんの耳元が光った。


 そこにあるのは剣の形をしたピアス――ホリエスさんである。


 どうしたんだろう? と思っている間に、ホリエスさんは人の形で顕現。


 沙里緒さんに言った。


「彼は本当に心配している。話すべきでは?」


「それは……」


 沙里緒さんは口を開いて何かを言いかけるものの、結局、何も言わず、口を閉ざしてしまう。


 そんな沙里緒さんを見てホリエスさんが言った。


 沙里緒さんが止めようとするが、それを無視する形でだ。


「実は沙里緒は召喚に応じるように言われている」


「召喚? それってどういう意味?」


「…………異世界がピンチ」


 答えるまでに間があったのは、どう言えばわかりやすく伝わるか、考えるための時間だろう。


「へぇ、なるほど。異世界のピンチか――って本当に!?」


 沙里緒さんを見る。


 困ったような、今にも泣き出しそうな、そんな顔をした沙里緒さんが、こくり、と頷いた。


「だったら行かなきゃ! どうして行かないの?」


 もしかしてすごい理由でもあるのだろうか。


 異世界のピンチより優先しなければいけない、そんな理由が。


「今日は煌介くんと一緒に喫茶店に行くって約束しましたから」


「え、そんな理由で!?」


 異世界のピンチより優先しなければいけない理由、しょぼ!!


 なのに、沙里緒さんはこんなことを言うのだ。


「わたしにはそんな理由じゃありません……!!」


 沙里緒さんから放たれた予想外の大声と、その内容に、俺は呆気にとられる。


 咄嗟に何か言おうとして、でも何を言えばのかいいのかわからなくて、俺はぐむっとした息だけを吐き出した。


 俺がそんなふうにしていると、沙里緒さんが謝った


「あ、ご、ごめんなさい!」


 けど、その瞳には強い光が宿っていて、それが俺を真っ直ぐに射貫いた。


「確かにそんな理由と思われるかもしれません。でも、わたしにはそんな理由じゃないんです」


「そ、そっか」


 そんな間の抜けた言葉が出てくるのを他人事のように感じているのは、考えていることがあったからだ。


 素直な気持ちを言わせてもらえるのならば、俺と過ごす時間をそんなふうに思ってもらえてうれしい。


 うれしすぎて胸が詰まる。


 俺はそのことを伝えた。


「ありがとう、沙里緒さん。本当にすごくうれしいよ」


 こんな言葉でしか、この胸の中にある想いを伝えられないことがもどかしい。それでも沙里緒さんは、


「煌介くん……」


 と、笑顔の花を咲かせてくれた。


 その笑顔を見ていたいと思った。


 できるなら、ずっと。


 でも、それは駄目だ。


「沙里緒さんはやっぱり異世界に行くべきだと俺は思う」


「そんな! どうしてですか!?」


 どうしてと来た。


 ああもう、本当にうれしいから困ってしまう。


 俺は自分の中にあるそんな感情を振り払うように、大きくかぶりを振って言った。


「だって、沙里緒さんは勇者なんだ。そこに沙里緒さんを待っている人がいるんだ」


 だから、沙里緒さんが今優先すべきなのは、俺と喫茶店に行くことじゃない。


「喫茶店はまた今度一緒に来よう。約束する」


「彼もそう言っている」


 ホリエスさんが促すように、沙里緒さんの肩に触れる。


 沙里緒さんは首を縦に振らず、その代わり、こんなことを言い出した。


「……ひとつだけ、約束してくれますか?」


 沙里緒さんの表情は真剣だった。


 いったい何を言うつもりなのだろうか。


 ものすごいことだったらどうしよう……い、いや、たとえどんなことを言われても、俺は約束する! さあ、どんと来い!


「わたしが異世界に行っている間に、絶対どこにも行かないでください」


 全然すごいことじゃなかった!


 というか、え、そんなこと?


 俺が面食らっていると、沙里緒さんが不安そうな顔をする。


 俺は慌てて言った。


「うん、わかった。約束するよ」


「本当ですか!?」


 すごい前のめりで言われた。


「も、もちろん」


「本当に本当ですか!?」


「本当に本当」


「本当に本当に本当ですか!?」


「本当に本当に本当」


 何だか永遠にこのやりとりが続きそうな気がする。


 でも、まさか、そんなことあるわけない。


「本当に本当に本当に本当ですか!?」


 あるわけあった!


「えっと、なんだったら、ゆびきり、する?」


「します!」


 ものすごい勢いで頷く沙里緒さん。


 小指を差し出してくる。


 沙里緒さんの小指に、小指で触れる。


 絡ませる。


 沙里緒さんのそれはすごく細くて、力を入れると折れてしまいそうで。


 彼女が勇者であることを知っているのに、その事実が信じられなくなる。


 そんなことを思っている間に、ゆびきりが終わり、絡ませていた小指が離れ離れになった。


「約束、しましたから! 絶対に、もう、どこにも行かないでくださいね!」


「もちろん。針千本は飲みたくないからね」


 笑顔で応じた。


「それでは行ってきます。すぐ、戻ってきますから」


「うん。いってらっしゃい」


 沙里緒さんの姿がホリエスさんとともに、かき消えた。


 この時、沙里緒さんが『本当』を重ねた意味に気づいていたら、違った未来が待っていたのかもしれない。


 けど、この時の俺は、小指に残った沙里緒さんのぬくもりに、信じられないくらいドキドキしていて、それどころじゃなかったのだ。

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