12*それからあっという間に時間は過ぎ、沙里緒さんと一緒に


 それからあっという間に時間は過ぎ、沙里緒さんと一緒に喫茶店に行く日がいよいよ明日へと迫っていた。


 時間の進み方が変化するはずがないのに、それでもここ数日はいつもよりずっと早く感じられた。


 それだけその日が来るのを楽しみにしているということなのだろう。


 だが、そんな俺以上に楽しみにしている人がいた。


 一日の授業が終わり、ホームルームも終わって、放課後。


 帰る支度をしている俺の前に、その人は現れた。


「いよいよ明日ですね!」


 沙里緒さんだ。


 にこにこ微笑んでいる顔からは、明日が待ち遠しくてたまらないといった雰囲気が存分に伝わってくる。


 その眩しすぎる微笑みに俺は目を細めながら、ふと思うことがあって聞いてみた。


「あ、そうだ。沙里緒さん、勇者の力で時間を早めたりできたりしないのかな」


 できるわけないよな、そう続けるつもりだった。


 なのに。


「できます」


 なんて答えが返ってきてしまう。


「できるんだ!?」


 沙里緒さん、すごいな!


「ですが、やりません。世界に影響が出てしまうので、絶対に駄目だって、ホリエスに止められていますから」


 それはつまり、ホリエスさんが止めなかったらやっていたということなのか……。


 沙里緒さんが続ける。


「それに、待っている時間も楽しいですから。……どんなことをして過ごそう、どんな時間になるのかな、そんなふうに想像したりして」


「沙里緒さん……」


 面と向かってそんなふうに言われると、面映ゆくて仕方なかった。


 俺が照れていることに気づいたのだろう。


 沙里緒さんの頬もほんのりと紅くなり、俺たちはお互いに笑って、気恥ずかしさを誤魔化した。


 そんなことをしていたら、俺の頬に突き刺さるような視線を感じた。


 隣の席の真耶である。


「どうかしたのか?」


「何でもない」


 ……って言われてもな。


「全然何でもないって顔をしてないんだけど」


 それに、手にしたチョココロネを食いちぎる姿は思いきり「何かあります!」と言っているようなものではないか。


 真耶は残りのチョココロネを一気に頬ばると、ごくん、と飲み干し、ジト目になって言った。


「別に、これだけラブラブっぷりを見せつけておいて、まだつき合ってないとか、本当、信じられないって思ったりなんかしてないんだからね!」


 どこのツンデレだ。


「思ってるんじゃないか」


 俺が呆れたように指摘すると、真耶が目を尖らせてキレた。


「思ってるよ! 思ってるに決まってるでしょ!? 毎日、毎日、『喫茶店行くの楽しみ~♪』なんて話をすぐ近くで聞かされてるんだよ!? もうお腹いっぱいで、ここ最近まったく食事が喉を通らないんだから!」


 とか言いながら、沙里緒さんが真耶用にと作ってきた弁当はすべてぺろっと平らげられていたし、今だってついさっきチョココロネを食べたというのに堅焼きせんべいを音を立てて噛み砕いていたりする。


 そんな真耶に、沙里緒さんが申し訳なさそうな顔をして、


「ご、ごめんなさい、和希さん。わたし、そんなつもりはなくて! ただ純粋に、煌介くんと一緒に出掛けられるんだって思っているだけなんです……!」


 話している途中から、その顔が、ふにゃっ、とゆるむ。


「もしもし、沙里緒ちゃん? それが惚気以外の何ものでもないってことに気づいてる?」


「え!?」


 沙里緒さんが驚いた顔をする。


 そんな沙里緒さんを見て、真耶が、ふはー、とため息を吐き出した。


「自覚なしかー。これだから沙里緒ちゃんは」


「ま、待ってください、和希さん! わたし、そんなに惚気てましたか!?」


 そういえば、いつの間にか、ふたりは名前で呼び合うようになっていた。


 目の前にいるのは沙里緒さんで、それは間違いない。


 けど、初めて会った時から、三度、その印象が変わっていた。


 初めて会ったのはこの教室で、自己紹介した時だ。


 キリッとしていて、凛としていて。


 すごい美人だと思った。


 でも、直接話した時は違った。


 あまりの恥ずかしさに超真っ赤になって、慌てふためいて、かわいい子だなって思った。


 そして、今。


 真耶と一緒に話している沙里緒さんは本当に楽しそうで、どこにでもいる普通の女の子だった。


「そろそろ帰ろう」


 じゃれ合っているふたりを促し、俺たちは教室を出る。


 廊下は放課後特有の騒がしさに包まれていた。


 下駄箱で靴を履き替え、校庭を横目に校門へ向かう。


 他愛もない話をしながら、桜並木をしばらく歩くと、やがて分かれ道へと辿り着く。


 立ち止まると、真耶が言った。


「それじゃあ、あたし、こっちだから」


「ああ」


「明日はせいぜい、楽しんでくるといいさ。あたしはひとりで食べ歩きを楽しむからね!」


 負け惜しみみたいな言い方だが、真耶の顔には笑みが溢れている。


「ばいばい」


 言って、真耶は帰っていった。


 遠ざかっていく真耶を、俺と沙里緒さんは見送った。


 その姿が完全に見えなくなって、


「それじゃあ、俺たちも行こうか」


「はい」


 歩き出した。


 こうして、ふたりきりになっても、沙里緒さんは以前のように、緊張したりしなくなっていた。


 なので、手と足が同時に出るようなこともない。


 そのことを思い出して笑っていると、沙里緒さんが気づいた。


「煌介くん、何を笑っているんですか?」


「別に、何でもないよ」


「何でもないなら教えてください。知りたいです」


 まあ、そうか。


 秘密にされたら、気になるよな。


 俺は沙里緒さんが手と足を同時に出して歩いていたことを思い出していたと告げた。


 途端、沙里緒さんの顔が紅に染まる。


 はわわわ、となる。


 久しぶりに見る、沙里緒さんの慌てふためく姿だった。


「わ、忘れてください……!」


「それは無理な相談だ」


「なっ、どうしてですか!?」


 だって、あの時の沙里緒さんは一生懸命で、そんな沙里緒さんを忘れることなんて、俺にはできない。


「さあ、どうしてでしょう?」


「煌介くん、もしかして意地悪さんですか!?」


 そんなやりとりをしながら歩く家路は短く感じられて、気がつけば家に辿り着いていた。


「今日もありがとう、沙里緒さん」


「わたしが好きでやっていることですから、気にしないでください」


「それでもお礼を言わせてよ。本当にありがとう」


 沙里緒さんの頬がほんのりと桜色に染まる。


「煌介くん……明日、楽しみですね」


 俺は力強く頷いた。


「それじゃあ、明日」


 沙里緒さんが胸元で小さく手を振る。


 帰ってしまう。


 そう思った時、俺は沙里緒さんを呼び止めていた。


「ちょ、ちょっと待って!」


「どうかしましたか?」


「あ、あー……えっと、いや、何でもないんだ。ごめん。また、明日」


 手を振る。


 しばらく、気にした様子を見せていた沙里緒さんだったけど、もう一度、手を振って、姿を消した。


 何度見ても、忽然と姿を消すところはすごいと思う。


 けど、今はそれよりも思うことがあった。


 俺はその場に留まり、地面に伸びた自分の影を見る。


 何でもないというのは嘘だ。


 呼び止めたのは、ずっと考えていたことがあったから。


 それは、数日前の昼休みに中庭で真耶に言われたこと。


 沙里緒さんの想いに、俺はまだ、返事をしていない。


「……やっぱり、返事した方がいいよな」


 けど、どう返事をすればいいんだ?


 俺は彼女のことを、どう思っているんだ?


 見つめる影に答えがあるわけもなく、俺はその場にしばらくの間、立ち尽くした。

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